ハーモニー(サブタイトル いつかどこかで)

高山長治

第1話

何時もの仲間が、久しぶりに居酒屋に集う。西銀座にあるノアと言う飲み屋だ。大学時代から山登りをともに行っていた、俗にいう気心知れた山仲間である。従って、飾りもエチケットも持ち合わせない、壮年らの屈託のない会話が挨拶代わりに始まった。

「いや、久しぶりだな。元気か?」

「おお、元気だよ。それにしても、随分老けたな」

「何言いやがる、お前だって白髪頭じゃねえか」口を尖らせ反撃した。

すると、関口が頭を撫ぜながら言い返す。「白髪頭だけれど、まだまだふさふさだ。それに比べ、お前なんかほとんどねえじゃねえかよ」すかさず、二宮が「馬鹿野郎、大きなお世話だぜ」言いつつもお湯割りを口に運んでいた。

そして小一時間ほど経ち、酔いが回り始めた頃、近眼の鼻先にずれた眼鏡を直しながら、関口が突飛でもないことを語りかける。

「俺、今度大学に入ったんだ」

すると怪訝そうに聞き返す。

「なんだって…」

それでも、まじになってか、問う。

「本当かよ。大学って、昔通った大学かい?」

「いいや、そうじゃない。四年生の大学じゃないんだ」

「それじゃなんだよ、どんな大学なんだ?」

 唐突な話に訝る二宮に、構わず関口は、「いきがい大学」へ入学した動機やその経緯、更に実態を語り始めた。

「じつはな、この大学に入ろうと思ったきっかけは、呆け防止というか、定年後の人生でなにか新しきことにチャレンジする……赫々云々。と、言うことなんだよ。まあ、単純な動機さ。けど、入ったからには一生懸命勉学に励むつもりだがな」

しばし聞き及ぶ二宮が、感心し頷く。

「そうか、そう言うことだったのか。しかし、お前もいい歳こいてよくやるよな。感心するぜ。俺なんか、とてもそんな気持ちは起きねえし、いまさら大学へ通って勉強しようなんて思わんよ」

そんな会話が、居酒屋の片隅で交わされていた。数日後関口が、そのことをついと思い出し、改めて入学した経緯や動機を反芻していた。

六十歳で定年退職し、その後関連会社に二年ほど勤務して、完全フリーの第二の人生を歩もうとしている時だった。ひょんなことで、俺はまた大学生になった。唐突な話だが事実であり、六十三歳の新入学生だ。と言うのも、二月のある朝、日課の早朝ウォーキングを済ませ、朝食前に新聞に目を通そうと広げたら、広告チラシがパラッと落ちた。その時生徒募集の広告に目がとまる。

「うんにゃ?」と、拾い上げると、(財)いきいき埼玉主催の平成二十三年度「彩の国いきがい大学」の生徒募集であった。どんなものかと目を通すと、入学条件が埼玉県在住の六十歳以上の方とある以外に、特段の条件がない。「おお、該当するじゃねえか。それに試験がない」と、ろくに考えもせず、暇つぶしになるなと、FAXで入学申込書を送ったところ、数日たって運よくと言うか、やはり入試も面接もなく合格通知が自宅のポストに入っていた。

そんなことで、この四月に南浦和にある「さいたま市文化センター」で合同入学式があった。このいきがい大学、二年制の学園と一年制の学園がある。なんと埼玉県下に八学園あり、俺は晴れて生徒数百二十六名の一年制の川越学園の生徒となった。学園では一班から十班に区分けされ、それぞれ十二、三名で編成されている。さらに男女共学で女性の割合が六割と、オバタリアン軍団が幅を利かすなか、ジジイ連の男性も負けてなるかと、背筋を伸ばし張り合うこととなる。やはりこの時ばかりは、シニアといえど遅朝の寝起き眼とは輝きが違う。

しかし、よくもこんなに集まってものだと、周りの生徒仲間の顔をまじまじと見た。

ところで話はがらりと変わるが、俺には孫娘がいて、近所に住んでいる。

同様にこの四月から幼稚園に通い始めた。支度をしている時の目の輝きが、なんとも可愛らしい。それに幼稚園に着くと担任の先生に迎えられ「先生おはよう、皆さんおはよう」と挨拶し、保育の始めと終わりにクラス内で歌を唄うらしい。

そう連想しつつ、はたと気づく。

ううん、待てよ。俺たちだってクラス全員で始業時に「四季の歌」と終業時に「今日の日はさようなら」を唄うことになっているではないか。なんだこりゃ、幼稚園児と同じじゃねえか? そう言えば学園の規律でも、名札の着用、学生証携帯、欠席届提出義務等々がある。「おいおい、これも中・高生と同じだぜ」と、小馬鹿にするなとへつらい吐くが、それでも愚直に受け入れることとなった。

「まあ、それも決まり事だからな…」

それにしても、大学へ通うのは何年ぶりだろうかと思い起せば、四分の一世紀どころか四十年ぶりの学園生活となる。随分経ったなと、若き頃が思い出され懐かしい限りであるが、この歳になって思いもよらぬ展開へと進んだことに、自身少々気負い気味だ。

さてはて、これからどんなアクシデント、いや学生生活が始まることやら……。

そんなこんなで、毎週一回の授業日には川越学園へと通い外部から講師(例えば現役のNHKアナウンサー)を呼び授業を受け、さらに校外授業の一環として埼玉県民活動総合センターでの宿泊学習や、授業外の生徒が主体となった学生自治会活動などに専念し、七月に入り我ら一班十二名の仲間とも、また他のクラスとの交流が深まり親しくなっていた。

つい先日の親睦を兼ねる宿泊学習では、夕食後酒を飲みながらの交流に大いに盛り上がったが、ここはシニアの特権で中・高生とは異なる規律である。もちろん、硬い授業も行われた。その時の講義内容を紹介しよう。武蔵野大学医学部教授による、大脳皮質や海馬がどうたらの、「脳科学に学ぶ」と言う、高尚なものだった。

シニアの頭には難解な内容だが、要は俺たち生徒に対するボケ防止の講義のようだ。

まあ、有り難い話で神妙に聞き入るが、どうも難しすぎてと言うか、日頃考えたこともない専門的、且つ、高等な内容ゆえ只々頷くばかりで、はたしてボケ防止に役立つのかと神妙な面持ちで聞き入るばかりだった。さらに八月は一丁前に夏休みがあり、九月からの学習スケジュールでは、悪質商法対策、地域の伝統文化、遺言と相続、認知症に関する知識等多彩な授業が組まれていた。

何と言うことはない、「俺たちが、これから必要になることばかりだ」と、少々納得しつつも、「呆けたら役に立たんじゃないのか?」と軽口を叩くも、それなればと年甲斐もなく意固地になり、頑張ろうと意を新たにする。

さらに十月の学園祭や若い世代との交流、そして十二月には公開学習、それに授業外でのクラブ活動(各言う俺は書道部に入部した)、学生自治会活動として我が一班はオオトリ(年度末)の卒業懇談会を受け持つことになった。

それと話しは変わるが、学び舎は通常大学のような自前の校舎がなく、川越市民会館の一室が教室だ。それも、ほぼ毎週の木曜日に会議室を借り受ける俄が教室である。三つの会議室をぶち抜き、百二十六名の生徒が机をならべ椅子を置き教室に充てるが、これらの作業も、当然学生が当番制でやっている。

それはさておき、大学の目的が「社会参加による生き甲斐を高め、卒業後地域活動のリーダーとして活躍する」とあるので、この高尚な目的とは若干異なるが、そこを勝手に解釈し学ぶと言うか、絆を築く方向として我ら一班の趣を示すと、「出会い、ふれあい、新入生、老若男女が集う川越学園同期生。入学動機、新たな経験、初心貫徹。見知らぬ同士が語り合い、戸惑い、慣れ、友情と絆の言葉の羅列。求めるものはなんだろう。どんな形で繋がるか。身体はシニアでも心は正しく新入生。はて、一年かけてどんなものになるか楽しみだ。だから皆で考え、皆で行動し、皆で築いてゆこう」とした。

なんと立派な御託を並べたものだ。

ちよいと気は早いが来年三月には卒業し、一班の仲間とは離ればなれになる。その時、互いに誓い合うに違いない。「いつかどこかで、また一緒に学べたらいいね」と。堅苦しくなくていいんだ。純粋に絆が結べて、これから何時でも何処でも気軽に集い、語り合える仲間が持てたらな。

はてさて、これからどうなることやら。年甲斐もなくと言ったらそれまでだが、とにかくこの歳で新しきことにチャレンジすることとなった。ところで入学動機と言えばじつに単純で、じっくり考え検討して、いきがい大学の一年生になったわけではない。

それゆえ少々心もとないが、そんな躊躇している場合じゃない。なにせ始まっちまったんだからな。「とにかく、やるっきゃない」と、昔風にいえば「褌を引き締めて頑張ろう」と、密かに後付けで心に決めた。

それに蛇足だが、俺は一班の班長、学生自治会理事と卒業懇談会の実行委員長を兼務することに相成った。これまた、結構忙しくなる予感がする。

これじゃ当分、呆けている暇はねえわな……。と心内。

図らずも、これから一年間は呆けずにいられるだろうと、安堵しているところでもある。

それで、冒頭の二宮と久々に会って、居酒屋の片隅でお湯割り焼酎を飲みながら、関口が近況報告とばかりに、グラスを傾け煙草を燻らながら話し出した。


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