美容室での年越しは レモンと月にご用心【陸】

高峠美那

第1話 セキの仁王立ちの理由

 数日続いていた雪風は、今宵の主役を白銀しろがねの月に明け渡したようだった。

 新らしい年を明日に控え、冬の澄んだ空には銀色の三日月が存在感を示している。


 年の瀬…。

 あと、数時間で年が明ける。

 それなのに、墨滴ぼくてきのような雲が月を隠した。


 リン!


 闇に染まった路地裏に、変わらぬ澄んだ音が鳴り響く。


Hair dressingヘアドレッシグ Lifeライフ


 ここは美人オーナーが営む、幽霊美容室。


 大きく開いた木目の扉から、一気に冷たい冷気が店内に吹き込んだ。


 ぶわっ…と、セキの着流し和服のすそがひるがえる。

 ぞわりと走る悪寒。

 黒い足袋たびのその上は、ふだんは見えない長い足。

 だがそんな事にはかまわず、自ら合わせを蹴り上げ、おびを腹の下にぐっと下げた。

 

「お早いおつきですが…本日はまだ、お通しするわけには参りませんね」


 意識して落とした声が、セキの本気度を表した臨戦態勢りんせんたいせい


 袖口を長い指できつく握り込み、あえてゆっくり…肩の高さまで腕をあげて見せる。

 そうして、左右に広げた袖を強くピンと張れば…。


 パン!


 背中と胸て張った着物が乾いた音を鳴らした。同時に店内の空気が共鳴して、冷たい冷気を外へと押し戻す。


 セキの右隣では、ゲンスケが丸メガネを顔から抜き取り、左隣では、エモトが長い片耳ピアスをこれ見よがしに揺らして低く唸った。


「…年が明けるまで、お待ちを」


 リン!!


 扉は誰の手に触れられる事なく固く閉じた。

 閉め出された者と、店にいる者。

 その境界線で木目の扉は、セキにがある。

 

 数秒間、強風にさらされたようにガタガタと扉は揺れたが、まったく開く気配がないとわかると、諦めた来店客は闇夜に遠退いて行った。


 緊張を緩めた三人が、密かな安堵で振り返ると、美容室の店内では、あるじであるオーナーが、ユナからティーカップを受け取った所だった。


 爽やかなレモンの香りと、ゆったりと湯気が立ち上がるティーカップ。


「ん〜。やっぱり、ユナが入れるお茶は美味しいわね」


 優雅そのものの仕草は、いつもと何も変わらない。


「オーナー! 追い返しちゃったわよぅー」


 途端いつもの口調に戻ったセキに、オーナーはにっこりと笑った。


「まるで、弁慶の仁王立ちね」


「だって、まだ年は明けてないでしょ。アタシ達、オーナーが心配なのよぅ」


「セキ、おまえが言うとかっこつかないからやめてくれ」


「貴様の女言葉は、気にいらん」


 脱力したゲンスケとエモトにあわてて駆け寄るのは麗奈だ。


「だ、大丈夫ですか?!」


 心配しながらも状況がつかめず、おどおどと目を泳がせている。


 無表情を装うユナだが、人形のような白い顔が少しだけ緩んで見えるのは、ユナもほっとしているのだろう。

 

 多忙の年末を過ごした彼女達にも、等しく新しい年を迎える準備がある。


 今は、セキやゲンスケで門前払いできるやからも、年が明ければそうはいかない。


「さあ、もう遅いわ。セキ、この子、駅まで送って行って。麗奈、あなたは正月五日間はゆっくりとお休みしなさい」


「え? お店、お休みするんですか?」


「店はやるわよ」


「じゃあ、私も来ますっ」


「だめよ。五日以降も、出勤して良いかは誰かに連絡させるから、それまでは店に来ちゃだめ」


「え、でも…」 


「良いお年を…。ね?」


「あ、はい…」


 オーナーの愛情を感じる抱擁に、追求したい麗奈の欲など雪と同じで直ぐ溶ける。


 結局、とぼとぼと歩く麗奈は、不安がそのまま顔に出ていた。


「麗奈ちゃんは初詣、どこへ行くの?」


 そんな麗奈に、セキはあえて明るく話しかける。


「どこも、考えてないです」


「あら、お友達とは行かないの?」


「今は、そんな友達いないです」


 駅前は、流石にたくさんの人が出ていた。年越しを一緒に過ごしたい人がいるのは良い事なのだ。


「セキさん」


 見上げてくる麗奈に、次に聞かれる事柄を予測する。


「皆さんは…年明け、何かあるんですか?」


「察しの良い子ね。でも、オーナーが話さない事を、アタシが話すわけにはいかないの」


「…そうですよね」


「別に、麗奈ちゃんを除け者にしようってわけじゃないのよ」


「はい。わかってます。でも、私が皆さんと同じ幽霊だったら、もっと一緒にいれるのかなって思って…」


「……」


 群衆の賑やかな話し声。電車が路線を通りすぎる騒音。駅内に絶えず流れるアナウンス。


 それなのに、麗奈との無音がこんなにも痛い。


「麗奈ちゃん。安易なこと考えちゃだめよ。オーナーを裏切るような事したら、アタシはあなたを許さない」


 低いセキの声に、麗奈ははっと顔を上げた。


「ごめんなさい! 別に、本気で…その…幽霊にって思ったんじゃなくて、何かあるなら、私も知りたかっただけなんです。…軽はずみな事言って、ごめんなさい!」


 涙目で必死に訴える麗奈に、セキも眉間を和らげる。


「ただ…寂しかったんです」


 その感情を、分からなくはないセキは優しく麗奈の頭を撫でた。


「あの人はね、あなたを大事に思うから店に来るなって言ったのよ」

 

「わかってます。それでも…何も教えてもらえないのは、寂しいんです」


「こまった子ねぇ」


 クスクス笑うセキを、通りすぎる女子が振り返る。

 着物姿というだけで目立つのに、かわいい女の子に泣かれていてはどのような状況を想像されているのだろうか。


「もし、五日たっても連絡がなかったら…」


 途端、麗奈の怯えた顔に、セキは言いかけた言葉を止めた。


「…ユナちゃんが、必ず行くから待っていてね」


 雲が抜けた月明かりが、不安な顔で頷く麗奈の顔を照らす。

 

 彼女を…そばに、おきすぎたわね。


 だが、決めるのはオーナーであって、セキではない。


 目的の電車がホームに入ると、セキは色っぽいウィンクを麗奈に投げ、笑顔で手を振って別れた。


 そのセキを、数人の女子が後を追う。だが、彼女達が話しかける間もなく、セキは路地を曲がった所で姿を消した。

 

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