第5話 あなたはどうして
存分に絶景を堪能してくれたレティシア。
そろそろ足を休めてもらおうと、俺は次に山中の滝スポットへと案内していた。
小さな滝と浅い滝壺がある、綺麗な空気と清涼感で満ち溢れた場所だ。
「この水……冷たくて気持ちいい」
裸足になった彼女はスカートをたくし上げ、滝壺の水へ足を鎮める。
深さはせいぜい膝下までしかないから、溺れたりはしないだろう。
「それに空気がとっても澄んでる。息をするのが、こんなに美味しいなんて……」
「田舎でしか味わえない感覚だろ?」
「あら、シティガールにマウントを取れてそんなに嬉しい?」
「そんなつもりで言ったんじゃないが」
「冗談よ」
クスッと笑ってくれるレティシア。
おお……遂に小粋なジョークまで飛ばしてくれるようになったか。
ちょっと心の距離が近付いた気分。
ホント、無理矢理デートに誘ってよかったなぁ。
「なぁレティシア、この機会に自己紹介でもしないか?」
「自己紹介?」
「俺たちはまだ、お互いのことをなにも知らない。せめて好きな食べ物とか趣味くらいは知ってもいいと思うんだ」
「私は……別に興味ないけれど」
「俺は興味あるなぁ」
「ハァ、わかったわ」
レティシアは観念した様子で、
「私はレティシア・バロウ。好きな食べ物は紅茶とスコーン。趣味は……強いて言うなら子供と遊ぶことかしら」
「へえ、子供が好きなのか」
「少なくとも嫌いではないわ」
「いい趣味だ。素敵だよ」
「フン……あなたの番よ」
レティシアは俺にバトンタッチ。
今度は俺が自己紹介する番だ。
「俺はアルバン・オードラン。好きな食べ物は上等なステーキだけど、減量のために控えてる。趣味は剣の稽古と、とにかくダラダラすること」
「努力家なのか怠け者なのか、よくわからない人ですこと」
「自分でもそう思う。でもブヨブヨだった身体をここまで引き絞った事実だけは、努力家だと自負してる」
「あら、私も見習わないとかしら」
「俺は今のレティシアくらいが好きだけどな~」
「それ、セクハラ発言ですわね」
「あ、ゴメン」
クスクスと笑い合う俺たち。
なんか楽しいな、こういうの。
そんな感じで、俺たちが他愛無い話でいい具合に盛り上がっていた――その時である。
『グルル……!』
どこからか獣の唸り声が聞こえた。
そしてズシンズシンという重たげな足音と共に、一体の黒い巨体が姿を現す。
「! モンスター……!?」
「おぉ、キラーベアーだ」
現れたのは黒い毛と大きな身体を持つ、キラーベアーというモンスター。
並の刃物では傷も付かない分厚い皮に、人間など簡単に引き裂ける鋭い爪を持つ。
性格も極めて獰猛で、人を見つけるとすぐに襲い掛かって来る習性がある。
「この森の熊さん、時々出没するんだよ。農作物を荒らすから困ってるんだよなぁ」
「な、なにを呑気なことを言っているの!? 急いで逃げなきゃ……!」
『グルルァ!』
キラーベアーは一気に駆け出し、レティシアへ襲い掛かろうとする。
ま、彼女の方が美味しそうに見えるのは否定しないが、
「害獣風情が」
俺は、腰の剣に手を掛ける。
「レティシアに近付くな」
そして瞬時にキラーベアーへ間合いを詰め、鞘から剣を抜き放った。
『グギャア……!』
一刀両断。
キラーベアーは巨体を真っ二つに斬り裂かれて、即死。
滝壺を血の色に染めた。
「あ~もう、せっかく綺麗な水を堪能してたのに。立てるか、レティシア」
俺は滝壺の中で腰を抜かした彼女に、手を差し伸べる。
「あ、あなた……あんな大きなモンスターを一太刀で……!」
「言ったろ、剣の稽古が趣味だって」
再びレティシアを抱きかかえ、彼女を陸へと上げる。
そしてさっきまで俺が座っていた岩の上に腰掛けさせた。
「どこか怪我はないか?」
「だ、大丈夫……」
まだ少し放心状態のレティシア。
まあモンスターを襲われるなんて、公爵令嬢にとって初めての経験だったろうな。
「怪我がないなら、なによりだ」
ニコッと笑って見せる俺。
こういう時は少しでも安心感を与えた方がいいよな、うん。
「……ありがとう、助けてくれて」
「どういたしまして」
「ねえ、アルバン……」
「なんだ?」
「あなたはどうして、私に優しくしてくれるの?」
その時、ふとレティシアがそんなことを尋ねてきた。
「……どうしてって――」
「あなたは無理に私と結婚させられた、政略結婚の被害者なのよ?」
「自覚してる」
「なら、尚更わからないわ」
レティシアはまだ少しだけ手を震わせ、俯く。
その表情はどこか虚ろとしていた。
「バロウ家から支援だけ取り付けて、私なんて放っておけばいいのに。一体どうして?」
「それは勿論、可愛いお嫁さんとイチャイチャしたいから! ……ってのは建前だけど」
「本音を教えて」
「言っても怒らない?」
「怒らないから!」
それなら、と俺は切り出し――
「本音を言えば、キミが"なにをして誰の恨みを買ったのか"を知りたいからだ」
「……」
「なにも知らぬ存ぜぬでは、
「知らない方が身のためよ」
「そうはいかん。どっちにしたって、俺はもう無関係じゃないんだ」
過程はどうあれ、俺はバロウ家のお家事情に巻き込まれてしまった。
好む好まざるに関わらず、既に政争の渦中に身を投じているのだ。
「いいえ、まだ無関係でいられる。だから興味を持たないで」
「まるで、キミに関わっちゃいけないような口ぶりだな」
「……ええ、その通りよ。あなたは私に関わるべきじゃない」
そう言った直後、彼女は改めて俺の目を見つめる。
「あなたの紳士的な態度に免じて忠告してあげる。……オードラン家を守りたければ、私を迫害なさい」
「――なんだって?」
「徹底して不仲を演じるの。そうした方が身のためよ」
「……」
俺、ビックリ。
これはまあ、凄い一言が飛び出したぞ?
私を迫害なさい、だって?
一体どんな境遇に身を置けば、そんな言葉が口から出るんだ?
これは思った以上に色々と抱えてそうな感じだな。
でも……一つハッキリした。
「……そうか、わかった」
「それでいいの。あなたが妾を取るのは止めないから、お好きに――」
「キミは決して悪女なんかじゃないと、よくわかった」
「――は?」
「税を横領して淫靡にふけるとか、婚約相手の資産にまで手を出す浪費家だとか聞いたけど、ありゃ全部嘘だな。キミがそんなことするワケない」
レティシアが悪行三昧の放蕩娘だって?
冗談じゃない。
彼女は優しさと聡明さを併せ持った才女だ。
悪行なんてしようものか。
「キミを迫害するなんて断る。俺には理由が見当たらない」
「あなた……! 忠告だと言ったのが聞こえなかった!?」
「なら説明してくれよ。キミは一体なにをした?」
「…………言えないわ」
「だったら忠告なんて聞けないね」
俺は彼女に背を向け、肩をすくめる。
「ま、教えてくれなくても別に構わない。どうせ全部こっちで調べる」
「……後悔するわよ」
「後悔なんてしないさ。面倒くさいからな」
……ぶっちゃけ、大方の予想はついてる。
おそらく――いや間違いなく、彼女は何者かに陥れられたんだ。
そして結果的に、バロウ家とベルトーリ家を追われることとなった。
だが、ウチに送ったのは間違いだったな。
「そうだ、一つ”賭け”をしよう」
「賭け……?」
「俺はキミのことを調べ上げる。なにがあったかを詳しく知る。その上で俺が本当に後悔しなかったら、仲良くしてくれ」
「……後悔したら?」
「慰めてほしいかな?」
「なにそれ、賭けになってないじゃないの」
「そりゃあね。八百長は悪党の専売特許ですから」
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