第12話 銃声

 イレーナは恐怖で血の気が失せ声も出ないようで、男は華奢な彼女の体を難なく拘束している。


「手を離しなさい。そうしたら見逃します」

「ふん、何言ってんだよ。一歩でも近づいたら……」


 クロエは鞄から取り出した拳銃を男に向けた。

「わたくしはフロレンス国の者です。わたくしの国では『自衛権』というものがあり、身辺の危険に対して防衛する権利が保障されています。この国で通用するかどうかは外交筋での判断になりますが、わたくしは貴族ですのである程度融通されるはずです」

 実際には元貴族だが、脅しをかけている今は細かいことは気にしていられない。


「三つ数えるうちにその娘を離さなかったら発砲します」

 警告はした。

 それでも男の顔は変わらず、貴族の女にそんなことができるのかとでもいうような嘲りが浮かんでいる。


「一」


 クロエは引鉄を引いた。銃声が石造りの建物に囲まれた路地に響く。


 弾丸は男の耳の上の髪を掠め、茶色の髪が数本落ちた。


「あら、わたくしとしたことが失礼しました。でも、数えるのなんてもうどうでもいいわね。あなた、その娘を離す気はなさそうですもの」

 銃を両手で持ち直し、銃口を男の眉間に合わせる。


「そ、それでも貴族かよ。聞いて呆れるな」

「背後から撃たなければ正当防衛です」

 男の顔には脂汗が滲んできた。


 馬車の向こうでも、仲間の悲鳴が聞こえてきたので形勢は不利に傾いていると判断したのだろう。

 イレーナの体をクロエの方へ突き放し、背中を向けて逃走した。


 イレーナは突き飛ばされてその場に転んだ。

 エリーゼも駆け寄り、イレーナに怪我がないか確認する。転んだ時に手をついて手の平に掠り傷ができたが、それ以外は大丈夫だった。


 程なくして逃げた男の呻き声がした。

 声のした方を見ると、男の顔の前に金色に光る丸いものが宙に浮かんでいた。

 その光る物体は男の顔や頭に何度もぶつかり、男も捕まえようと両手を振り回すが、その度に素早く移動して男の手をすり抜ける。


 光る物体は男の手を掻いくぐり、顎下から体当たりした。

 その一撃で男は膝をつき、地面に頽れて動かなくなった。気を失ったらしい。


 光る物体はふよふよとクロエに近づいてきた。クロエも心当たりがあるので、両手を差し出すと、手の平で光は小さくなり金色の毛を持つ小さな魔獣が現れた。

「きゅう」

 ソニーはクロエの腕を伝って肩に登り、鼻面をクロエの頬に擦り付けた。


「あ、ソニーだ」

「わあ、わたし初めて見た」

 ソニーはクロエの肩から下りて、イレーナの膝の上に乗った。手の平の傷を避けて肩に登り、彼女の目の端に浮かんでいた涙を舐める。

「くすぐったいよ」

 その後エリーゼに飛び移り、金色の毛並みを撫でてもらってうっとりと目を閉じる。

「柔らかーい。可愛い!」

 少し前まで泣きべそをかいていた娘達がソニーの愛らしさで笑顔になっている。クロエはひとまず息をついた。


「大丈夫ですか⁉ お嬢様方」

 馬車の反対側からクリスティアンが来た。頬の下と口元に大きな青あざができているが、足元はしっかりしている。

 あなたこそ大丈夫なのかと女性三人に寄ってたかって心配され、赤面するところがまだ若い。


「一人は逃げられましたが、もう一人は馬車に縛りつけてあります。銃声が聞こえたのですが……」

 クリスティアンはクロエの持っている拳銃を見た。

「わたくしが撃ちました。でも気を失っているのはこれのお陰です」

 イレーナの腕の中にいるソニーを差した。

 クリスティアンは口の端を上げたが、あざに障ったようで細く息を吸う。


 その後クリスティアンはのびている男に近寄り息があるのを確かめたら懐から紐を出し、慣れた手つきで後ろ手に縛り上げた。


「警察に……」

 暴漢達の処遇について警察に連絡した方がいいのではないかと言おうとしたが、喧騒が更に大きくなりこちらに近づいてきているので中途半端に途切れた。


 クリスティアンが通りの様子を見に行って、すぐに戻ってきた。

「そこの階段へ! できるだけ上に行ってください」

 石造の建物の脇に鉄製の外階段がある。

 クリスティアンの切迫した顔にただならぬものを感じとって、クロエはイレーナとエリーゼを階段へと促した。


 暴漢の男も目を覚まし立ち上がろうとするが、後ろ手に縛られているので何度もよろける。

 クリスティアンが手を貸して立ち上がらせ、一緒に階段へ走り出す。


 大きな咆哮が聞こえてきた。

 思わず階段の半ばで足を止めたクロエは、重量のある足音が速度を上げてこちらの路地に向かっているのを感じた。


 階段の手前で暴漢の男はバランスを崩して転び、後ろを見て悲鳴をあげる。


 そこに現れたのは牛より少し大きいくらいの黒い毛並みの狼だった。


「ま、魔獣⁉︎ 何でこんな街中に」

「大狼よ!」

 イレーナとエリーゼは西の森に棲息する魔獣が中心地に近い二区に出没していることに驚いている。


 西の森からここまで来るのに六区か五区を通る。大型魔獣が出現したらそれなりの騒動になるので、二区に現れる前に伝達が来て警戒する時間はあるはずなのだ。


 大狼は鼻に皺を寄せ、尻餅をついている男に唸る。

 人間の頭など丸呑みできそうなくらい大きな口を開け、男に向かっていく。


 銃声が鳴り響き、大狼の動きが静止した。


 銃弾は大狼の牙に当たり、甲高い音を立てて斜め前の建物の木製のドアにめり込んだ。


「銃弾では魔獣の牙に太刀打ちできないか」

 だが、上顎から伸びている牙に当たった衝撃は頭蓋骨にも響いたようで、大狼は金色の目を見開いているが焦点は合ってない様子だった。


 今だと叫ぶ声がした。

 大狼の首に一閃が見えた。

 その後の衝撃が凄まじく目を瞑ってしまったので何が起こったのかを見極めることはできなかった。


 どん、と重い物体が倒れる音がして振動が階段にまで伝わった。

 クロエが目を開けると、大狼は開いた口から赤い舌をだらりと出して地面に横たわっていた。


 警官や騎士隊が走り込んできて大狼を取り囲み網で覆う。

 網が掛けられる寸前で大狼の上からひらりと飛び降りた男が外階段に向かってくる。


「クロエ」

 短い砂色の髪と若草色の瞳の男。

「パトリス様」

 十日くらい前に会った冒険者の男だった。

 パトリスは目を糸のように細くして人懐っこい笑顔を浮かべた。

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