10.君が覚えていない理由
―雅人―
「お疲れ様でーす」
「おう、お疲れー」
ライブを終え、汗だくになったメンバー達が楽屋に戻ってきた。
「疲れたー!ねー、皆でご飯食べに行こ!」
千隼が元気よく声を張り上げる。いいねー、と同調する声が続いた。
「行こうよー」
「どこにするの?」
「やっぱ焼肉でしょ!」
「おい、明日もあるんだから羽目外しすぎるなよ」
わいわい盛り上がっているところに一応釘を刺す。はいはーい、と明らかに適当な返事が返ってきてため息が出た。
「……ったく」
「あっ、雅兄も行くー?」
千隼が無邪気に絡んでくる。
「いや、今日はいい」
「そうー?」
「お疲れ様です、石黒さん」
背後から突然肩を叩かれて飛び上がった。
ダンサーの一員としてライブに参加していた朝陽が爽やかな笑顔を向けてくる。
「お、お疲れ様で……」
「朝陽くんー!お疲れ様でした」
「お疲れー、千隼。明日もしっかりなー」
千隼に労いの言葉をかけてから、朝陽は俺の方を向いた。
「彼らのこと送って行くんですか?」
「え?いや……」
すると、聞こえたのか近くにいた大知が振り返った。
「雅人さん、俺らだけで行ってきて良いでしょ?」
「ああ、うん。騒ぎにならないようにだけ気をつけろよ」
「はーい」
連れ立ってメンバー達が出て行くと、楽屋には俺と朝陽の二人だけになった。
「えっと……松岡さんは、この後は」
「何も予定無いですよ?」
「あ……そうですか」
「石黒さんは何かあるんですか?」
「いえ、特には」
素直に答えると、朝陽はにっこりと笑った。
「じゃあ、ご飯行きません?」
「……誰と?」
「俺と」
「誰が?」
「石黒さんが」
「二人で?」
「もちろん」
「……はい?」
「嫌ですか?」
こてん、と首を傾げられ、いやそんな事は、と思わず言ってしまった。
「良かった。じゃあ着替えて来ますね」
「え、ちょっ」
「正面玄関のロビーで待っていてくださいねー」
朝陽はそう言い置くと、さっさと自分の控室へ戻って行ってしまった。
***
朝陽に連れて行かれたのは、ライブ会場から歩いて十五分程度の距離にある、半個室のイタリアンだった。
「……飲みます?」
アルコールのメニュー表を差し出す。ついさっきメンバー達に釘を刺しておきながら自分が飲酒するのもどうかと思ったが、このまま素面でサシなんてやっていられない。
だが、朝陽は首を縦に振らなかった。
「いえ、やめておきます」
「そ、そう」
「今日は普通に、ご飯食べましょ?」
今日は、って何だ、とどうでもいい部分に引っかかりつつ、食事のメニュー表を広げる。
何にしようかと迷っていると不意に、朝陽が小さく笑う気配がして顔を上げた。
「……何すか?」
「ああ、いえ」
朝陽は笑いながら、さっき俺が手にしたアルコールのメニューを指差した。
「瞬から聞いたんですよね。雅人さんはお酒入ると泣き上戸になりますよ、って」
「は?!あいつ……っ」
何を余計な事を、と顔に血が昇る。
「それは面倒くさいなあ、と思って」
「い、いや、いつもそんな風になるわけじゃ!」
「あはは、冗談ですよ。まあ、お酒はまたの機会にでも。俺、これにしよっかな」
「え?それ」
朝陽が指差したパスタの名前を見て、思わず口が滑った。
「トマト入ってるのに食べれるのか」
「……え?」
朝陽の困惑した表情を見て、しまったと思った。
「あ……すんません。何でもない」
誤魔化し、店員呼び出しのボタンを押す。
俺の記憶が正しければ、朝陽はトマトが苦手なはずだった。なのにわざわざ、トマトソースがメインのパスタを選んだ。
やっぱり、別人なのか……?
注文を終え、水で喉を潤す。
「あの……」
「ん?」
「朝陽さん、て、どういう字を書きます?」
聞くと、朝陽はスマホを出してメモ機能を呼び出し、字を打って見せてくれた。
『松岡朝陽』
「……へえ」
「同じですか?」
問われ、画面から顔を上げる。
「同じです」
「ふうん……そうなんだ」
呟き、朝陽はスマホを伏せた。
「友だちだったんですか?」
「え?」
「"あさひ"さん、と」
真面目な表情で聞かれ、答えに逡巡した。
「友だち、です」
朝陽の目をまっすぐ見つめ返す。
「今でも俺は、そう思ってる」
「……そっか」
頷いた朝陽が何を考えているのか読めず困惑する。
「あの、松岡さん」
「はい?」
「俺と話したいって言ったのは……」
言いかけたところで、注文した料理が運ばれて来てしまった。
「ま、とりあえず食べましょ」
「はあ……」
促され、フォークとスプーンを手に取る。
自分で選んで注文したんだから当たり前だが、朝陽はトマト色に染まったパスタを美味しそうに食べた。何だか変な気分になる。
「あなたは、本当に俺が知っている朝陽じゃないんですか」
朝陽が顔を上げる。
「名前一緒だし。顔もそっくりだし。両利きなのも、ダンスやってるのも同じ。なのに、あんたは俺の事が分からないって言う」
そこまで言い、苦笑が漏れた。
「でもトマト食べてるしなあ。やっぱ違うか」
勝手に一人で結論付け、フォークにパスタを巻き付けた。
「……年が経てば、昔嫌いだったものも急に好きになったりするかもしれないですよ」
食べようとした手が止まる。
「……え?」
朝陽は食べる手を止め、真剣な表情で俺を見てきた。
「石黒さんなら信じてくれると思って話しますね」
俺、と続けた朝陽の唇から信じられない言葉が飛び出した。
「記憶喪失なんです」
「……はい?」
手から滑ったフォークが、食器に当たって硬い音を立てる。
「何て?」
「記憶喪失。……っていうと、ドラマとか映画の中の話みたいでしょ?でも本当なんです」
「いや、待って」
理解が追い付かず、制止する。
「どういう事……じゃあ、やっぱり」
「石黒さん、”朝陽”と最後に会ったのはいつですか」
問われ、五年前だと答える。朝陽は頷いた。
「五年前、地元に帰った日に事故に遭ったらしいんです。それも俺は覚えていないんですけれど」
「は……?」
―五年前。
母親が体調を崩したからと言って、朝陽は地元の名古屋に帰って行った。
朝陽が言うには、その日の夜に車に跳ねられたらしい。
「頭を強く打って、何日も眠ってたらしくて。目が覚めた時は訳が分からなかった。知らない人がしきりに、あさひ、あさひって俺に向かって呼びかけてくるの。自分の名前すら思い出せなくなってて、もうパニックだよねえ」
冗談ぽく笑いながら朝陽は話すが、俺は少しも笑えない。
「友人だっていう人とか、いっぱい見舞いに来てくれたんだけどさ。誰一人分からないの。親の顔すら分からないし」
「治療とかは」
「いっぱい病院回ったし、色んな治療試した。けど何にも思い出せなかった。そのうち、もういいやって思っちゃって。携帯の番号変えて、連絡先も親以外は全部消して、生まれ変わったつもりで一から人生やり直してやろって思って、東京に来たんです」
「お母さんは?病気だったんじゃ」
「あ、もう元気になりましたよ。長く入院していたけれど」
「そう……」
電話が繋がらなかった理由は分かった。避けられていた訳じゃないことも分かった。
だけど。
「全部忘れたのに、またダンスを始めたのはどうして……」
「ああ、それ不思議ですよね」
朝陽は頬杖をつくと、苦笑した。
「頭は忘れても体は覚えてるのかな。音楽聞いたら踊りたくなって、もしかして俺、ダンス得意だったんかな?って思ったんです。それでダンス講師になって、振り付けの仕事とかもするようになって」
ふと言葉を切ると、朝陽は俺を見て微笑んだ。
「でもまさか、こんな都会の真ん中で誰かと再会するなんて思わなかったな。……不思議ですね」
「……覚えて、ないんだよな。俺の事」
確認するように問うと、朝陽は寂しげに笑って、ごめんなさい、と一言返してきた。
「がっかりさせちゃいましたか」
「……いや、すっきりした。聞けて良かった」
笑ってみせたのは、精一杯の強がりだった。
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