3.踏切の向こう側に

―雅人―

ただ踊ることが好きだった。

将来どんな仕事に就くかとか、大人になった自分がどうしてるのかなんてまだ何も考えていなかったあの頃。気がついたら、当たり前のように俺の隣にいた。

松岡まつおか朝陽あさひ――あいつは、俺の憧れだった。


五年前。

朝陽とは、専門学校生だった頃に所属していたダンスサークルで出会った。

子鹿みたいなやつだと思った。黒くつぶらな瞳とか、激しいステップをものともせずにこなす細い脚とか。踊る時の体の動きも軽くしなやかで、我ながらなかなか良い例えだと思ってた。

『ほんとに好きなんだな、ダンス』

あるときそう声を掛けたら、屈託のない笑顔が返ってきた。

『うん。俺ねえ、踊ってる時が一番幸せ』


のんびりした話し方とは裏腹に、ステージに立てば表情を一変させた。

一度そのステージを見た者は最後、朝陽が踊り終えるまで決して目を逸らせない。

圧倒的なカリスマ。当然のことながら、女の子から声を掛けられることも多かった。


『モテますねえ』

『えー、そんな事ないよ』

『可愛いとか、かっこいいとか、言われまくってんじゃん』

『俺、お母さん似なんだよね。昔よく言われたな、あんた私に似て良かったわねー、なんて』

『ふうん、美人なんだ。母ちゃん』

『あはは、まあね。そうかも』

『もしかしてマザコンか、お前』

『いいじゃん』


そんな朝陽のお母さんが、突然入院した。

朝陽は、地元へ帰らなければならなくなった。


朝陽が地元に帰る一週間前、ダンスサークルの仲間で集まり、朝陽の送別会をした。

『どうすんだよ、地元帰って』

『うん…就職先探さなくちゃだね。働くとこ、あるかなあ。高卒、専門学校中退。なかなか厳しそう』

『ダンスはどうするんだよ』

『あーそうだね。俺ダンス得意だし、先生でもやろうかな?』

この時ばかりは、いつもののんびりとした話し方に苛立ちを覚えた。

『…もう、こっちに戻ってくる気は無いのかよ」

『え、分かんないよ、そんなの』

『諦めんのかよ。似合わねえよ、お前に…地方の、ダンス教室の先生なんか』

『そんな言い方は良くないなあ』

『ダンスで世界目指すっていう夢は、どうしたんだよ!』

思わず、大きな声が出た。

俺達が所属していたダンスサークル”D.network”は、国内の様々な大会で優勝していた。

いつか世界で認められるようになりたい。メンバー全員が、いつしかそんな夢を抱いていた。

『それは…申し訳ないけど。俺以外の皆で、これからも頑張ってさ』

『お前なしでなんて考えられねえよ!』

『めっちゃ熱烈だなあ。雅人、そんなに俺のこと好き?』

からかうような口調に、かちんときた。

『…ああ!好きだよ!』

『へ…?』


売り言葉に、買い言葉。

完全にその場の勢いで口に出したけれど、…本心だった。

俺は、朝陽に恋をしていたんだ。ずっと。

出会ったあの日から、…ずっと。


―朝陽が地元に帰る前日。

最後にサークルに顔を出しに来ていた朝陽と、駅までの帰り道を並んで歩いた。

『明日、見送り来てくれる?』

いつもと同じ調子で聞いてくる朝陽に、行かない、と固い声で返事をした。

さすがに察したのか、ふと一瞬黙った後、こないだのあれ、と朝陽が恐る恐る口を開いた。

『その…酔ってたんだよ、ね?』

冗談だっての。ばーか、本気にすんなって。

そう言って、誤魔化してしまえば良かった。

『本気だよ』

『…雅人』

『でももう、いいから』

『え…?』


言うつもりなんか無かった想いだけど。

まさか、あんなに困らせるとは思ってなかった。


足を止めた。いつの間にか、最寄りの駅についていた。

俺と朝陽は、乗る電車の方向が逆だった。俺の乗る電車は、踏切の向こう側だった。

『雅人、俺…』

『ごめん』

『え、何…』

踏切の音が鳴る。俺はかけ出す。雅人、と呼ぶ声を背中に受けて振り返ると、遮断機が目の前に落ちてきた。

『朝陽』

呆然と立ちすくむ、朝陽に向かって言った。

『すきだ』

激しい風と共に、通過列車が走り抜けた。

かき消されただろうか、それとも、聞こえていたんだろうか。

遮断機が上がる前に、俺は朝陽に背を向け走って逃げた。

『雅人!』

俺を呼び止める声に、もう振り返らなかった。

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