第158話 試験官 アトリス=ジノワール

 「やあ、皆! 初めましてになるかもだけど、私が誰だか分かる者はいるかな?……いや待てよ、初めましてなんだから、そもそも居るわけがないか。アハハハッ、ゴメゴメ!」


 (……ん、ゴメゴメ?)


 教壇に立つミラモルと瞬きを交わし、教室内をグルリと一周。


 騎士生一人一人の顔を笑顔で確認していく一人の女。


 「コツ、コツ、コツッ」とブーツの音を響かせ、俺の真横でピタリと止まる。


 ゆっくりと見上げると、そこには大きく丸い瞳が宝石のように燦燦と煌めいていた。


 「お~、君がハルセ君だね? 話は姉からも、そこのミラモルからも聞いているよ」


 俺を見下ろし声をかける女。

 赤毛のツインテールがユラユラと揺れ、白く眩い歯が笑顔をさらに輝かせる。


 そもそも大人の女性というよりも、あどけなさが垣間見える少女の出で立ちからは、騎士生達とさほど歳も変わらないとさえ感じられる。


 俺は首を傾げつつ、彼女の全身を上から下へと流し見た。


 (まぁ、見た目はともかく試験官だし、服装は騎士の正装、一種制服のようだし……)


 でも、彼女は一体誰なのか?

 未だ自己紹介すらない現状に、教室内には「で、誰?」と心の声が木霊しそうであった。


 その何とも言えない静けさの中、女は漸く自己紹介を始めた。


 「じゃあ、ハルセ君。試験頑張って。さて皆! 私が誰で何のためにここにいるのか、疑問に思っている人も多いことだろう──」


 彼女の声にその場の全員が思った。


 何のためにって、試験官だよね? と。


 「私の名前はアトリス=ジノワール。君達が目指す王国騎士団、その副団長を任されている。以後お見知りおきを」


 片手を胸に、軽く足を引いて会釈をするアトリス。

 

 何気ない仕草──しかし、気品溢れる一つ一つの動作は美しく、添えられた笑顔も相まって、その場の空気を一変させた。

  

 そして、静寂を打ち消す歓喜の渦が巻き起こった。


 「うおおー! 王国騎士に絶対なるぞ俺は!」

 「お前、さっさと座れ! 副団長のご尊顔を拝めねぇだろうがあ!」

 「男共、うるさい! いい加減にして! 今から試験なのよ」


 (──この人が、先生が言ってた団長の妹?!)


 目が点になる俺を余所目に、拳を突き上げガッツポーズをする多くの男子騎士生達と、それに向けてヤジを飛ばす女子騎士生。


 アリシアとダルケンもご多分に漏れず、その中に混じって躍起だっていた。

 

 だが、冷めやらぬ熱気も、豹変したアトリスの声によって終止符の氷床と化した。


 「おい……静かにしろ、お前ら。今から、試験だと言うことを忘れてはいないか? 私がここにいるのはその試験官としての任を果たすためだ。それ以外に何もない。ここは三学年の教室だな? 昨年まではどうだったか知らんが、士官学校は三学年からが生存競争サバイバルの本番だ。簡単に正規騎士になれるなんて舐め腐るなよ」

 

 急に鋭くなった口調と突き刺すような氷の眼差し。


 血の気が引いて真顔となった多くの騎士生達が、まるで肖像画のように机に並んだ。


 ギラリと睨み付けたアトリスだったが、静かに俯き、再び顔を上げながら口元に笑みを浮かべた。


 「おっとっと、ゴメゴメ! 皆を怖がらせるつもりはないんだけど、試験は大変だから浮ついてちゃ受かるものも受からないよってことね。じゃあ、ミラモル。ここからは私が引き継ぐけどいいかな?」


 彼女の振りに、こちらも笑顔で応えるミラモル。


 「ええ、相変わらずのようで安心しました。私も貴方とお会いするのは久方振りでしたからねぇ。試験が終わったら一杯いきましょうか」


 「貴方こそ相変わらずのようですね。教士が騎士生達の前でそんな緊張感のないことを言うようじゃ、ダメダメですよ。まぁ、その一杯が貴方の驕りということなら良しとしようか」


 ミラモルとアトリス。

 他愛もない会話を交わす二人に、緊張の糸がほんの少しだけ解れた気がした。


 とはいえ、いよいよここからが本番だ。


 彼女の口から試験の概要についても改めて周知された。


 先ず第一に、学科試験は単なるペーパー試験ではない。


 より実践的な試験への昇華。

 これはアトリス自身、机上の空論ほど使い物にならないものはないと考えているからだ。


 実際の戦場では知識は持ってるだけでは意味を成さず、即座に行動へと落とし込むだけの適応力、判断力が要求される。


 魔法にしろ薬学にしろ、全ては実戦の中で使えてこそ意味がある。


 当然、勝つための戦略も同様だ。

 これらに重点を置いた試験内容が、彼女の口から俺達へと示された形となった。


 「あ、あの副団長。それって騎士生同士で戦えってことですか?」


 俺は思わず、アトリスの話を遮り質問してしまった。


 彼女はニンマリ、「そうだよ」と平然と答えた。


 アトリスの試験課題は学科と実技、それに実地試験の全てを掛け合わせたもの。


 騎士団と同じく二団に編成された騎士生同士の衝突──つまり、互いの力を賭した総力戦を行えとの指示であった。


 これによって枝葉のように分かれていた試験科目は一本の幹に集約され、一つの試験で評価されることとなる。

 

 「副団長、イメージ的には少数精鋭同士で戦うといった感じでいいのでしょうか? 組み分けすると、10対10になるかと思うのですが」


 「ん? ハルセ騎士生、いつ私がこの学級を二つに分けるなんて言ったかな? 三学年は君達、星命アマツミともう一つ月命級ツクヨミクラスがあるじゃないか」


 「それって、学級対抗ってことですか?」


 「そうだよ。それにまだもある」


 「おまけ?」


 「まぁ、続きは後で。とりあえず皆、移動しましょう」


 はにかんだ笑顔で答えたアトリス。

 その勢いに押される形で試験会場へと一斉に移動を開始した。



 ◇◆◇



 歩くこと数十分──。

 俺は勿論、ここにいる星命級の全員が頭に疑問符を並べていた。


 というのも、試験会場となるのは王国騎士団本部内とばかり思っていたが、試験官アトリスの後をついて行くと、いつの間にか王都の門をくぐって湖の大橋上を歩いていた。


 俺はどこに向かっているのか、彼女に向かって尋ねようとした。


 「……あ、あの」

 「あの、アトリス副団長!」


 けれど、ダルケンが俺の声を圧し潰した。


 一瞬、俺をちらりと見た彼は、まるで何かを悟ったかのように頷き、前を歩くアトリスの元へと走り寄った。


 どうやら代わりに、彼女から目的地を探ってくれるのだろう。


 「俺の名前は、ダルケン=シュトラウツと言います。団長とは仲良くさせていただいてます! 以後、よろしくお願いします!」


 ( 違ったぁー!)


 彼の問いは全く試験に関係なかった。


 (この状況で何言ってんだコイツは……てか、何で団長に妹がいるって知ってるんだ? 俺、言ったっけ?)


 頭をポリポリと照れくさそうに掻き、さも「メリッサさんとお付き合いさせてもらってます」と言わんばかりのことをこんな状況で堂々と言い放った。


 アトリスはダルケンに近づくと、ゆっくりと口を開く。


 「そうか、君がダルケン君か。無論、よく知っているよ。……ね。アハハッ、面白いことを言うじゃないか。でも、姉さんのことを君が語るには早すぎないかな? たかだか騎士生のご身分で、私の姉さんを我物のように語るその口……永遠に閉じてくれようか?」


 彼女の言葉が憎悪に満ちた。


 アトリスの怒りが暴走しているのか……。

 彼女の足元に水飛沫が舞い、紺碧の属性力が体から漲っている。


 (副団長の属性は水? ルーチェリアと同じか……って、え? あの怒りようって、まさかのシスコン?)


 いつもは自分がガンを飛ばし、相手を威嚇しているダルケンだが、今は自分よりも立場も力も圧倒的上のアトリスから嘗め回すように睨みを利かされている。


 「あ、え、えっと……」


 「ああ? 聞こえねぇよ、はっきり言えよ小僧。姉さんが何だって? 私の姉さんと何だって? 姉さんのことをいつもいつも考えているのは誰だって?」


 (……ダルケンはそこまで言ってない)


 俺は確信した。


 (間違いない……超絶的なシスコンだ)


 王国騎士団副団長アトリス。

 彼女は生粋の姉命──乃ち、シスター・コンプレックス。

 目の前で繰り広げられる感情の暴走に、疑う余地など微塵もなかった。


 俺を含め、星命級の全員が青ざめている中、一人の若い男の声が聞こえた。


 アトリスは釣り上がった目を丸く戻し、声の方へと振り向く。


 「準備は出来たようね」


 「ハッ! 指示通り完了しております。月命級の騎士生達も開始地点に向かわせました」


 「そう。ご苦労だったね。じゃあ、皆! ボーッとしてないでさっさと行って始めよう!」


 何事もなかったかのように拳とともに声を張り上げ、前進を始めた彼女だが、その背に集まる騎士生達の視線は、戦慄に包まれていた。

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