第19話 新生活の行き詰まり――そして遠く離れた地で……

 高校の勉強は難しい。

 小学校、中学校と大して復習もしないで理解でき、満点をとれるものがいるが、彼らにとって最初の挫折は高校のことが多い。

 逆に言うと、それだけ小中学校のカリキュラムは挫折を生じないように考えられているということであり、その意味で義務教育という本来の目的に沿ったものだともいえる。

 義務ではない高校の勉強はその先を見ている。

 ほとんどのものは大学を目指すのであり、大学の勉強は分野にもよるが大学院を目指すものである。

 そういう意味で、小1が義務教育のとっかかりであるとするなら、高1は高等教育のとっかかりという点で似通った性質を持つのかもしれない。

 と、いうわけで……


「キツい」


 和之は数学が苦手だった。

 その傾向は中学校の頃からあり、どちらかというと国語の古文や社会の日本史などが好きだった。それに対して数学はかろうじて及第点というぐらいであり、確かに県内トップの高校に受かるぐらいの能力はあれど、高校数学の最初で挫折してしまった。


「やれやれ」


 そこで手を差し伸べたのがフランだ。

 なにせ科学者、しかも自作であらゆるものを作り出す万能の科学者である。したがって、彼女に教わるならばきっと和之も定期テストの数学ぐらいはどうにかなるのではないだろうか?


「いや、脳に直接知識を焼き付けようと思っているが……」


 そう言って、謎のヘッドギアを取り出すフランは、科学者は科学者でもマッドな方のそれであった。


「それって、絶対に副作用あるよね?」

「うーん、多分しばらく数式でしかしゃべれなくなるかな……まあ、半年もすれば日本語も戻ってくるよ」

「それは絶対にまずいから!」


 半年どころか3日で入院して精密検査をされるだろう。そして、そのまま長期入院コースがいいところだ。


「うーん、なかなか八方良しとはいかないねえ」


 ということで、和之は学校の勉強にそれなりの時間を費やすことになった。

 そうなると、何が問題か?


「まいったなあ……部活はできないのがわかっていたけど、まさかバイトも厳しいとは……」


 一応、今は平日に3日、夕方からコンビニのバイトをしている。

 だが、もとより体格に恵まれない和之にとっては、夕方のコンビニバイトは体に負担がかかり、その日はもう勉強する気力がなくなってしまう。

 最低限の宿題を済ませるともう後は眠るだけのような生活を続けていて、苦手な数学を優先する時間が無い。


「せめて土日が入れれば……」


 だが、平日に比べて人気の土日には高校生の彼より長く務めている大学生などが先にシフトに入ってしまう。そして、平日のハードスケジュールでいっぱいの和之には、土日に集中して勉強を詰め込むというのも難しかった。

 仮に土日にバイトが入れられるのならば、それは時給が高いし平日の帰宅後ももう少し余裕ができる。だが和之にとってそうだということは大学生たちにとってもそうであり、新米の和之が土日のシフトに割り込むのは難しかった。


「ご主人、ダンジョンに入って稼げばよいのでは?」

「それは考えたけど、目立つじゃない。いくら学校では目立たないようにしてるっていっても、ダンジョンのアイテムを売りに行ったら目立つじゃないか」

「それなら、変装を解いていけばいいのでは?」

「そっちはそっちで、他で素顔を見られたらバレちゃうよ」


 ここで面倒なのは、フランたちの望みでダンジョン探索時が素顔、普段の学校生活がメガネということになっていることだ。

 もしこれが逆なら、謎のダンジョン探索者がいるということだけで、少々話題になっても姿を消してしまえば学校生活には問題が起きない。


「そうですね……ではあと2、3手加えますか……」

「何をする気?」

「要は、この近辺のダンジョンにご主人、白井和之が潜っていて、それが絶世の美少年であることが問題なのです」

「う……絶世の……っていうのは違うと思うけど……」


 美少年、ぐらいだったら受け入れてしまう和之だった。


「なのでこうしましょう、まずは……」



 ゴールデンウィーク。

 世間では大型連休で、町には学生があふれ、行楽地や観光地にも大勢の人出が見られる。そして、それはダンジョンにおいても同様であった。

 普段は学校で来られない学生探索者、普段は会社があるので週末の限られた時間でしか探索できない副業冒険者などが大挙して泊りを伴う遠征を行っており、世間のダンジョンはどこも普段以上の探索者が入っている。

 例えば例の過疎古墳ダンジョンなども、常に管理局分室の休憩スペースに人がいるぐらいには人が来るぐらいだ。


「はあ、俺たちは休めばよかったかなあ……」


 と愚痴をこぼすのは専業の探索者だった。

 装備は革の鎧と槍、ジョブは「槍兵」である。

 ここ、大阪の天王寺動物園は歴史のある大きな動物園で、観光地としても有名だった。当初は移転の話もあったが、攻略で拡大を抑えられることがわかって、そのまま存続となった。

 現在、ダンジョンは動物園の一角に存在し、多くの探索者により封じ込められている。ダンジョンのランクとしてはC、高くもなく低くもない。10レベルから25レベルぐらいまでの中堅探索者に適したダンジョンだ。

 なお、最寄りの地下鉄が「動物園前駅」であることと関連して、ここは「動物園中ダンジョン」と呼ばれている。


 普段から人気のダンジョンではあったが、ゴールデンウィークの最中ということもあって、兼業や学生の探索者であふれかえっている。

 その多さは、難易度の低いエリアではむしろピクニックとかできるのではないかというぐらいモンスターが姿を消し、各々の探索者グループが拠点を作って周辺にモンスターが湧くのを待っている。

 動物園中ダンジョンは、広大なフィールド型ダンジョンだ。

 最南端に東西に高い人工の壁がそびえたち、そこに入り口がある。

 そこから北に行けば行くほどモンスターが強くなっていき、北の山の山頂にボスモンスターがいる。


「しょうがないよ。それとも奥に行ってみるか?」

「それもなあ……ここ急に敵が強くなるからなあ……」


 仲間が奥に、というのを槍兵の男は渋い顔をする。

 かつてここで無謀に奥に進んだ結果、死にかけたことがトラウマになっているのだ。実際、レベルが20になる彼にとっては、ボス以外の敵は十分対処可能だし、狭い場所で不利な槍系のジョブならばこの場所は最も適しているといえる。

 仲間の説得に、なんとか奥に進むことに同意した槍兵の男の目に、不意に異質なものが映った。


「なんだあれ?」


 指さした彼の視線の先を仲間も追って、目を丸くする。

 そこには、ダンジョン内を歩くのに適したといえない姿のがいた。

 そして、その後を続く3人のがいた。

 女性の方は、本格派、というよりどちらかというとコスプレ系の露出度の高いメイド服を着ていて、整った顔を赤らめた黒髪の美人。

 そして、後ろに続く幼児は女生徒は逆に正統派のメイド服を着てトコトコと後をついているが、そもそもあのサイズのメイド服という時点でコスプレなのは確定的に明らかである。


「おいおい、あんな格好でダンジョンに来るなんて自殺志望者か?」

「配信者とか?」

「だが、あんなの見たことあるか?」

「というか、子供がダンジョンに入れるとか正気か?」


 槍兵とその周囲の仲間たち、あるいは近くにいた探索者たちは「これはまずい」と思い、その一団に近づく。

 が、そこに突然モンスターがポップする。

 このダンジョンは何もないところからモンスターが現れる。

 広いので頻度としては草原の向こうや森の中から近づいてくるものが多数なのだが、まれに探索者の至近に突然現れることもある。


「やぺえ」

「数が多いぞ!」


 男たちが慌てて鞘に納めて、あるいは背負った武器を構えて対抗しようとするが……


「へっ?」


 現れた大きなライオン型のモンスター、5体のそれらは、通常レベル20程度の戦士系探索者が同数必要だ。それに加えて後衛の魔法系、弓系探索者の援護もあってようやく対処可能なレベルで、最低10人は必要だろう。

 だが……


「ふっ」

「おりゃ~」

「……えい」


 剣を下げていた幼児メイドが剣を抜き放つと見えない速度で一閃、ライオンの首が落ちる。獣耳を付けた褐色肌の幼児メイドが飛び蹴りをモンスターの眉間にヒット、ライオンはそのまま崩れ落ちる。そして銀髪の幼児メイドはライオンの足を持って振り回し、上に振ったあと地面にたたきつける。

 一瞬のことで、動けなかったのは男たちだけではなく、襲ったはずのライオン型モンスターも同様だ。そこに、剣士幼女メイドが素早く駆け寄って真正面から頭を一突き、そして褐色獣耳幼女メイドが回し蹴りで顎に命中させ、脳を揺らせてライオンを気絶させる。


「あ……え?」


 注意するつもりで近づいてきた男たちは武器を構えたまま、何が起こっているのかわからず硬直してしまっていた。

 そこに、ただ一人動かなかった露出過多女性メイドが歩み寄る。

 近くで見ると意外に背が低いことがわかる。せいぜい中学生の女子ぐらいだろうか。遠くから見た時は幼女メイドとの対比で大きく見えていただけだったらしい。

 だが、遠目で見て美人だと思ったその容姿は想像通りだった。

 髪は長い黒髪ストレートで、頭にはメイドっぽくホワイトブリムが黒髪に似合っている。肌は白く、まるで北欧人かと思うようなぐらいでシミ一つない。

 そして肩を出している衣装からわかるように体つきは華奢で、どちらかというと弱く守ってあげたくなるような雰囲気を醸し出していた。

 彼女は、男たちの前に来てニコッと微笑んで言った。


「何か御用ですか?」


 その声もきれいではあったが若干低めであることがちょっとイメージがずれている。


「いや……あの……そんな恰好で、危ないっておもったん……だけど」

「ご心配ありがとうございます。ですが、ご覧の通り私たちはこれで問題ありませんので」


 確かに、高レベル10人がかりで、それなりの時間をかけてやっと倒せるぐらいのモンスターを瞬殺した彼女たちの実力は疑いようがない。だが、それはそれとして、いったいどのようなからくりで、そしてなぜ幼女、なぜメイド服など疑問は次から次へと湧いてくる。


「え……あ……悪い、名前を教えてもらえるか?」


 せめて、後で調べるにしても名前を知らなければ検索もできない。

 メイド女性は再び微笑んで、言葉を発した。


「ええ、問題ありません。私の名前は白雪真央しらゆきまお。探索者を始めたのは最近ですが、ユニークジョブをいただいたので戦えています」

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