第八話 マトモってなんですかい?

「あ、カレー食べたいデス!」

「ふぅん。唐突に中々面白いヤツだな! 後で一杯おごってやるか」

「えっと、ちょっと面白すぎない? さっきまでジェーンちゃんが覗き見てたコンクリ練ってDIYしてる人、びっくりしてるよ? それに重ちゃん。カレーは飲み物みたいにおごってあげるものじゃないと思うの……」

「間違えた、ホントはワタシ、サッカーしたいんだったデース! おごってください!」

「仕方ないな……」

「間違え過ぎだよ! 重ちゃんも、財布を取り出そうとしないの! サッカーっていうスポーツををどうおごってあげる気なの?」


 オレと三咲は、学校帰りに出会ったジェーンと直ぐに仲良くなった。

 それは、向こうが積極的だからというのもあったのだが、この娘結構面白い。いや、オレの真横で揺れるふわふわ一刀流な髪型も良かったりはするが、それを被った中身だって中々良かったのだ。

 つーと言えば、ぴゃおんと言い、ハローと言えば日本語でOKと言う。どうやらジェーンはオレと違って意外性が持ち味らしい。幼いながら稚気を超えたハジケを既に身につけているようだった。

 さっきも、いきなり涙目でテンタクルイエローとか叫びだし、くねくねし出して三咲の目を点にしていたのだ。

 どうやら、彼女は裏設定でテンタクル戦隊の紅一点(イエロー)であり、その時が親友たちに隠していたその正体を披露する絶好のタイミングだったらしい。

 オレが道の向こうに犬見つけて柴犬だって言った瞬間にそんなドラマチックを置こうとするとか、そもそも出会ったばかりのオレたちを親友とするとか普通におかしいよな。

 ロジカルシンキングが持ち味のばかさねちゃんとしては、こういう手合は得意ではない。だが、サトイモデース、と両手をちょきにして言い張るこの子はそんな苦手を越えた愉快さがあった。

 持ち前のツッコミぢからで追いきれなくなったのか息も絶え絶えに、しかし三咲は気になったことを尋ねる。


「ね、ねぇ……そういえばジェーンちゃんってどこの国から来たの?」

「ンー、ワタシは、イロイロデース! パパと一緒にイロンナクニ、巡りましター」

「そっか。例えばどんな国が良かったとかあったりするか?」

「ソーですネー……何だかんダ日本ですかねー? 驚きがたくさんデス! 特にハトに豆デッポウとかいうコトワザとか、ステキでース!」

「そのこころは?」

「一網打尽デス! メシウマ!」

「ハトも豆もどっちも食べちゃうんだ!」

「クックルドゥドゥドゥ!」

「わー、ジェーンちゃん、どうしてニワトリの真似して走り出しちゃうのっ!」


 そして歩道を逃げ出すジェーン。追いかけながら、ニワトリにしては速すぎるよぉ、と叫ぶ運痴な三咲だったが、オレには分かる。

 アレは、ヒクイドリだ。トサカも足の長さも全然違う。ヒクイドリは聞くに最高時速50キロとか出すって言うんだから、モノマネでも速くて当たり前だな。

 やがてジェーンは、当然のように飽きて止まり――止まりきれなかった三咲はおっぱいからすっ転んでいる――オレの方にてこてこやって来る。

 黙っているとジェーンは、とても悲しそうに、言った。


「おうどんは……アリマスか?」

「はぁ……そんなに家に来たいなら、仕方ないな」

「ヤッタデス!」


 考えるな、感じろ。なるほどよく言ったものだ。異国の少女にもそれはどうやら通じるようで、ぶっちゃけ意味不明に対して雑に返したら喜んでくれた。

 起き上がったばかりの三咲あたりは、このやり取りに目が点である。三咲もとことこやって来て、問う。


「あれで分かるなんて、重ちゃんは、てれぱしーでも使えるの?」

「なんだ、三咲はジェーン語が分かんないのか? オレ、これなら百点採れる自身があるぞ?」

「がーん! 重ちゃんは、ネイティブジェーンちゃんだった!」


 意味不明に対して、立派に対応出来たオレによく分からない驚きを覚える三咲。まあ、しかし種を明かせばそれは簡単なことだ。

 子供に対しては、ただ落ち着くまで好きにやらせるのが正解なのだ。正直なところ、ただのテンション上がりすぎた構ってちゃんだろうからな、この子。その言動に意味はなくても、もっと構ってやる、って返答してあげたらそりゃ喜ぶだろ。


 しかし、何を勘違いしたのかちょっと照れくさそうに頬を染め出す三咲。両の人差し指をつつき合わせるようにしてから、アホの子は言うのだった。


「ね、ねえ。初対面の子の気持ちが分かるなら、私が重ちゃんに言いたいこととか、分かるかな?」

「ん? 結婚して欲しい、とかか?」


 三咲は何を言ってるのか、天才だが人の心を読めるまでオレは人間超えちゃいないというのに。だから、また雑に思いついた下らないことを口にしたオレだったが。


「……本当に、分かっちゃうの? え、それじゃあ私があんなことやこんなことを考えてたってことも筒抜けだった?」


 何でかそんな雑な言葉に真剣になり、顔を青く赤くさせる三咲。いや、オレの何を考えていたのか、漏れ聞こえる何もかもがいやらしい感じである。


「オウ! あなた、とっても格好いいデース!」


 ちなみにその隣でジェーンは電柱を口説き出してた。それ、さっきの柴犬がションベンかけてたヤツだけどな。あれか、ジェーンなりのマーキング的な何かなのだろうか。和犬なんかには負けてられないのだろう、きっと。


「やれやれ」


 オレは、思わず頬を掻く。どうやら、この場でマトモなのはオレ一人のようだった。





「すやぁ……」

「寝ちゃったな」

「やっと眠ってくれた……」


 せっかくだからとオレが手づから作った蕎麦を食べさせてやると、元気ハツラツなジェーンもおねむになったようだ。カウンター席にて、ぽてりとその頭を転がせる。

 家に来ても、急に客とカードゲームをはじめたり、あざらしの保護動画に真剣になったり、相変わらず意味不明な子だった。

 すやすやしている幼子に対してまるで生けるニトログリセリンを見るかのように恐る恐るしながらも、三咲はほっと一息つけたようだ。

 そっと柔いほっぺをぷにぷにしてから、三咲は呟く。


「変わった子だったね……でも、寂しそうだった」

「流石に、三咲にも分かるか」

「うん。途中でやっと私を見て、ってずっとやってるんだなって気づいた」

「そうだな」


 オレも三咲にならうようにジェーンの髪を撫でる。思ったよりそれは柔くて、縮れていた。

 滑稽な方が注目される。泣いて笑っている、そんなメイクのピエロでなければならないという、勘違いをしている少女だった。それが悲しいかどうかまでは、オレには分からない。

 最低でも、今寝入っているばかりのジェーンは幸せそうだった。


「ジェーンちゃんのパパって……どんな人なんだろうね。重ちゃんは、知ってるみたいだけど」

「悪いことを考えている、いい人だな!」

「あはは。それって悪い人じゃないかな……」


 三咲は、力なくそう言う。しかし、本当にそうなのだろうかとオレは思うのだ。

 嫌で悪をするのと、好きで悪をするのは違わないだろうか。どっちも悪であると断じる気には、どうしてもオレにはなれない。

 ただ、オレたちに任せるまで小さな子を独り、寂しくさせていた大人は良くないとは思うけれども。


「……いらっしゃい」


 何時ものように愛想のないお母の挨拶。聞いた、オレたちはふと新しい客の方へと向く。


「おお、やっぱりここに居たか」


 すると、カツン、ずると、杖をつき片足を引きずりながら歩む老翁がそこにはいた。

 ジョン・ドウ。どう見たところでいい人でしかない彼は、ジェーンを認めそのままゆっくりと歩いてきて、オレたちの近くに立ってから頭を下げた。


「すまないね。ジェーンが迷惑をかけたみたいで」

「そんなことはないぞ。面白かった」

「面白かった、か……ぼくはコメディはどうにも苦手なんだけれどね」

「だからやるんじゃないか? 反抗期だな!」

「はは……それは、なんとかしないとね……」


 思いだしたかのように帽子を外してから、ジョンは目を伏せる。

 それを見るに、本当にこうまでジェーンが変わってしまったことを、彼は心から残念に思っているようだった。しかし、少女の近くまで寄って、彼は愛おしく見つめながら撫で擦らない。

 そんな象徴的な様を薄く見て、三咲は言った。


「貴方はどうして、そんなに酷いことが出来るんですか?」

「ん? どういうことだい?」

「とぼけないで下さい。だって、そんなに愛しているのに……愛さないなんて、酷い……」


 少女は涙の代わりに、声を落とす。

 好きが、好きなのは結構はたから見ているとわかりやすい。そして、ジョンが、ジェーンを愛しているのは明白だ。

 それなのに、手を伸ばさない。ただその安息を願う。好きなのに、決してそれを示さない。


 そんなこと、愛している貴方にだって可哀想だと三咲は言うのだった。


 老翁は、はじめて口の端を持ち上げる。


「ふふ。優しい子だね、キミは。でもね、それをしたら良くないんだ。だって、この子はぼくの子供だから」


 ぼくなんかよりよっぽど幸せになってもらわないと、困るんだよ。


 そう言い微笑んで、ジョンは三咲が思わず息を呑むほど恐ろしく尖った牙を見せ付けるのだった。





「なあ」

「なんだい?」


 により呆けてしまった三咲を放って、オレは追いかけ外に出る。

 そして、足を引きずりながらもしっかりと子供を背負った、お父さんの背中に向けてオレは声を投げかけた。

 ジョンは振り返りもせず、応じる。


「どうして、イクスを狙うんだ?」

「楽しいから」

「それは……止められないのか?」

「ああ、そうだね」


 ずる。ジョンは影を引きずって歩む。真っ直ぐ、闇の奥へと。

 その背中は広くなくとも、小さな我が子と重い覚悟が鎮座しているようだった。むやみに暗い、これは確かにシリアスがお似合いでコメディチックなジェーンとは違うなとは思う。

 でも、そうだったって幸せになってもいいのにと、オレはそう考えなくもない。どうしてコイツは悪くなろうとするのだ、と思うオレにジョンは語る。


「情とか愛とかそんなものは、長生きの間の暇つぶし。闘争こそが楽しみだ」


 オレに、その言葉の深意はよく分からない。ただ、寂しさと実感は怖いくらいに込められていたので、軽く返答は出来なかった。

 吸血鬼。意味不明なそれなのだというこの爺さんに、オレはどんな言葉をかけられるだろう。

 一瞬迷い、それを横目に見たジョンはまた笑顔になった。


「……まあ、そう思ってはいてもね、楽しみのために全部を捨てられるほど、ぼくは器用じゃない」


 大切なのは、戦い生きることか、どうか。暇つぶしのために生きる人間だっている。だから、そんなことは意外なほどに当たり前。


 なるほど目の前のお爺さんは、自分の子供を愛していた。だからこそ、抱けない。


 けれど、それって一番つまらないよな、とオレは思う。


「最悪の場合、キミにこの子を頼みたい」


 決意を込めて、悲しげに。月光のもとに白くジョンは言った。

 けれども。


「ヤダよ」


 オレは軽く、そう返して。


「だって、オレがジョン。お前を最高に満足させてやれば全部丸く収まるんだろうからな!」


 強く、拳を握る。


 目を丸くするジョンに対してまったく、オレ以外にマトモなやつはいないのかと笑んでから、オレは叫ぶ。


「覚悟とかそんなもん全部捨てて、かかってこい!」

「死して尚、死なず……一体キミは……なんなんだい?」



「ジェーンの友達だ!」


 そして、オレは短く月下の吸血鬼に向かって、そんな当たり前の啖呵を切るのだった。



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