第5話 主従契約
外に出かけていた息女が使用人と共に得体の知れない親子を連れて帰って来た事で、紅連家の屋敷内はちょっとした騒ぎになった。息女が変わり者で度々不可解な行動を取っては周囲を引っ張りまわすのは、紅連家の使用人はもちろん領地内に住む住民にとっては日常茶飯事で慣れ切った物だったが、流石に死にかけの浮浪者にしか見えない人間を連れて帰って来たのは初めてだったらしい。しかも、銀髪に真紅の瞳を持つ子供までいる。当然本来ならば当主の開斗の判断を仰ぐべきなのだが、その時はあいにく仕事で帝都に出向いており不在であった。使用人達は皆困惑していたが、聖が「何をしておる! 早く医者を呼ばぬか!」と、五歳児とは思えぬ威圧感のある大音声で呼ばわったので使用人の一人が慌てて駆け出して行った。その間に律を客室らしき部屋まで運び、床を敷いて寝かせる。
間も無く医者が到着し、紅連家の屋敷の中では見た事の無いみすぼらしい人間が運び込まれているのを見て驚いていたが、目を吊り上げて睨んでいる聖の姿に気づき、何も言わずに診察を始めた。
その結果、極度の過労と栄養失調だと判断された。これまでの流浪による無理が紅連家の領内に到着して安心した途端、一気に押し寄せて来たのだろう。休養と栄養をしっかり摂らせるようにと伝えて医者は帰って行った。
それからしばらくして律が目を覚ました。
「ここは・・・・・・?」
「かあさま!」
体を起こすと駆け寄って来たひなたを抱きとめながら、傍に立っている美しい少女の姿に気づく。
「起きたか! ここは紅連家の屋敷だぞ!」
「紅連家の・・・・・・?」
「お目ざめですか」
「貴方は・・・・・・?」
「私は
「ご息女・・・・・・!?」
倒れた律を背負って運んで来た初老の使用人――六助が今までの経緯を説明した。
聞き終えた律はその場で三つ指をついた。
「何とお礼を申し上げれば良いのか・・・・・・。これ以上のご迷惑はおかけ出来ません。私共の様な物を屋敷に入れては紅連家の名に
律の仕草と言葉遣いを見た六助は、即座に彼女がただの浮浪者などでは無い事に気づいた。
(この佇まいは平民の物ではない。上流階級の教育を受けている)
いそいそと床から出てふらつきながらも退出しようとする律を、聖は扉の前で仁王立ちして行く手を塞ぐ。
「どこへ行く? お前は今日からここに住むのだ!」
「えっ・・・・・・。 あの、どういう意味でしょうか?」
「お前の息子は今日から私の家来になったのだ! だから母親のお前も今日から紅連家の者である!」
ふんぞり返りながらまるで勝ち誇ったような笑みで高らかに宣言する聖。言っている意味が理解できず、六助とひなたの顔を交互に見る律。
助けを求めるような律の視線を受けた六助だったが、苦笑しながら「お嬢様は一回言い出すと決して曲げません。 ともかく、体調が回復するまでは休まれると良い。 旦那様が帰宅なされてからもう一度話をしましょう」と、助け舟を出した。
あまりにも突然過ぎる提案に律はまだ困惑していたが、「いいから休め!」と、聖に半ば強引に床の中に戻された。五歳児の少女とは思えぬ力強さである。それからしばらくして別の使用人が粥の入った鍋を持って来て律の前に丁寧に置く。蓋を取った瞬間に、長らく嗅いでなかった食欲をそそる香りが鼻を刺激した。
(米の粥など、最後に口にしたのは何時だっただろうか)
「ひなた、おいでなさい」
まずは息子に一口食べさせようとする律であったが、ひなたは首を横に振る。
「かあさまが全部食べて」
倒れた自分を気遣っているのだろう。しかし、まともな食べ物を碌に口にしていないのはひなたも同じ筈である。
「それはお前が全部食べるのだ。こ奴の分は別にちゃんと用意する! しかし、その前に風呂だな」
そう言うと聖は六助に「湯を沸かして服を用意するのだ!」と命令する。 六助は
部屋には律と聖だけが残った。
「美味いか?」
「はい、とても」
律の答えに聖は満足そうに頷いた。氷陣家から逃げ出して以来、傷つき疲れ果てた律の身体にはこの一杯の粥が全身に染み渡るように生きる力を漲らせてくれる。
「何故、ここまでして下さるのです? それに、ひなたを何故貴方の家来に・・・・・・?」
律は聖に問いかけた。当然の疑問である。 律は自分達が氷陣家の人間だった事を明かしてはいないので、彼女達から見ればただの行き倒れた浮浪者の親子に過ぎない。なのに、彼女はひなたを自分の家来にすると言い、その母親である自分も家に置くと言い出したのだから。
「あ奴は普通の人間ではないな?」
聖の返答に律は背筋が凍り付く。このひなたと同年代であろう少女は、息子の秘密に勘づいているのだ。
呪子。日天国を亡ぼしかけた史上最悪の怪物「妖神」の化身である事を。 一体何故?
「髪は銀色で目が真っ赤。 何となくだが私にはわかる。だからこそだ! 私は周りの誰もが持っていない、普通ではない家来が欲しいと思っていたのだ! ふはははは!」
そう言って聖は高らかに笑った。その表情からは悪意は感じられない。
(一体、この方は・・・・・・?)
目の前に立って笑っている、自分の恩人である少女に律は感謝と同時に途方もない困惑を覚えるのであった。
「この二人を召し抱えたいって? いいよ」
「旦那様!?」
傍に控えるように立っていた六助がぎょっとした様な声を上げた。
それから十日程経ち、用事を済ませて帝都から戻って来た紅連家当主、紅連開斗は律とひなたを屋敷に置く事をあっさり認めた。
帰宅した直後に玄関に迎えに出て来た聖と六助から経緯を聞かされると、着替えもせずにそのまま親子と面会をしたのである。
「よ、よろしいのですか? そんなにあっさりと!」
「構わないさ。 今更使用人が二人増えた程度で何の問題も無い。それに」
「それに?」
「彼女、美人じゃぁないかッ! ぶっちゃけ好みだ!」
「い、いえ。 そんな・・・・・・」
あまりに堂々とした言い方に、決して社交辞令でも何でもない心の底からの言葉である事が律にも六助にも理解出来た。律は流石に気恥ずかしいのか、頬を少し赤くしながら俯く。
屋敷に運び込まれてから律の体調は瞬く間に回復していた。体はまだまだ痩せたままだったが、肌の色艶は大分マシになり本来の美しい外見を取り戻しつつあった。
執事の六助は呆れた様な表情を浮かべている。
「しかし旦那様。 それだけの理由で・・・・・・」
「六助、美人は嫌いか?」
「い、いえ、そういう訳ではありませんが」
「なんだ、じいやは
「お嬢様!? どこでそんな言葉を覚えて来ていらっしゃるのです!? それは誤解ですぞ!」
「ならば良いじゃないか。何が気に入らない? この二人が浮浪者だったからか?」
「それは・・・・・・」
聖の問いに六助は押し黙ったが、問題なのはそこでは無い。当初、確かに六助は律とひなたの事をただの浮浪者だと思っていた。だが、その後の律の佇まいを見てその考えを改めた。問題は間違いなく上流階級の出身であろうこの二人が、何故浮浪者になっていたのか? と、いう事である。
間違いなく訳ありなのだ。この二人を迎え入れた結果、紅連家に禍が訪れる事にならないか。 六助が危惧しているのはそこであった。
「率直に聞く、君達はどこの家の出身なのかね? その佇まいは決して浮浪者などではあるまい」
六助の危惧を見透かしたように開斗は律に問いかけた。その視線はすでに何もかも見通しているようにすら律には感じられた。
(この方には何も隠し事は出来ない。 ならば全てを話してしまおう)
律は包み隠さずこれまでの経緯を話した。自分は氷陣家の妾であり、息子のひなたは三男であった事。ひなたの髪と目の色が突然変化して呪子であると判断され、親子諸共処刑されそうになった事。そこを武芸指南役の光徳に助けられてそのまま逃げだした事。二カ月の流浪の末ここに辿り着き、倒れた所を聖に助け出された事。
開斗は目を閉じて、聖は腕を組んで表情を変えぬまま律の語りを聞いていた。一番動揺していたのは六助であろう。呪子の事を知らぬ四雄家の関係者などまず居ない。
紅連家にも呪子が生まれたという記録はあるが、それは最も新しい物で五百年も前の物だ。その後は紅連家で呪子が生まれたという記録は無い。紅連家に限らず今となっては呪子の存在をまともに信じる人間などほぼ居ないはずである。
だが、その呪子が今まさに目の前にいるのだ。
(斬るべきか?)
六助は執事であると同時に元々は護衛も兼ねていた。年老いてからは若い使用人に任せるようになってはいるものの、武術の腕は未だに落ちてはいない。今の間合いならば確実にひなたを始末する事が可能である。
ひなたが本当に呪子なのかどうかはわからない。しかし、律の話によればひなたは優れた身体能力を持ち、餓鬼の群れすら彼の姿を見た途端恐慌状態に陥って逃げ出したという。もしも本当にひなたが妖神の化身ともいうべき呪子であるならば紅連家の危機、いや、日天国の危機である。
幼子である現在ならばまだしも、成長すればどんな怪物になるかわからない。始末するならば好機は今しかないだろう。
「じいや! 控えろ!」
聖の声に怒声が響き渡り、六助はハッと思考を引き戻された。気づけば無意識に右手が懐に収めてある短刀に伸びている。冷や汗がどっと流れた。
「申し訳ありません」
頭を下げる六助を見て開斗は苦笑を浮かべている。
「頭を上げろ、六助。仕事熱心なのは良いが神経質過ぎても頭が禿げるぞ。まぁ、座れ」
開斗は六助に席へ座るように促すと、茶を自分の手で淹れて六助の前に差し出す。六助はそれを恭しく丁寧に受け取った後、上品に啜った。 仄かな甘みと苦み、そして豊かな茶の香りが口の中に広がって心を落ち着かせてくれた。
「呪子であろうと構わんさ。 聖が君達を屋敷に置く事を望むのならば」
「・・・・・・本気でおっしゃられるので?」
「聖の人を見る目に間違いは無い」
律が横目で聖を見ると、胸を限界まで張って勝ち誇った様な笑みを浮かべている。この子にしてこの親ありという様に、開斗もやはり型破りな人物である事は明白であった。
「六助。新たに使用人の部屋を二つ用意するように」
「畏まりました」
六助が退出して行く。
聖がニヤリと笑い、ひなたの方を向いた。
「今日からお前は私の家来だからな!」
ひなたは未だ困惑の表情を浮かべては居たものの、彼女が母親の命の恩人である事はしっかり理解していた。
「・・・・・・はい。 聖様」
そう言ってひなたは頭を下げた。
「本当によろしかったのですか、旦那様」
二人が正式に使用人となる事が決まり与えられた部屋に向かった後、六助は主人の為に酒と肴の用意をしながら問いかけた。
「不安か、六助?」
「いえ、しかし・・・・・・」
「なぁ、六助 聖の事をどう思っている? 正直に答えてくれ」
「は?」
六助の家系は代々紅連家に仕える忍びの家系である。六助自身は開斗の父親である先代から執事として仕えて来た。 開斗の事も彼が幼少の頃から面倒を見てきたが、子供の頃から優秀で将来は傑物になるだろうと思わせる片鱗を覗かせていた。
そしてそれは開斗の娘である聖も同様である。 しかし、彼女の場合は良くも悪くも型破りが過ぎて周囲を振り回し過ぎる所があった。
「少々破天荒な方ではありますが、実に将来が楽しみな方だと思っております」
「うん。 それには俺も同意だ。如何せん破天荒過ぎて付いて行ける人間がいないからな!」
そう言って、開斗は愉快そうに笑う。しかし、六助からすればこれは笑い事では無かった。今の所、彼女の行動力に何とか付いて行けてるのは六助のみだ。しかし、六助も老齢である。 あと何年か経てば体の方が付いて行けなくなるのは明白だった。
「私が現役で居られるのも良くてあと十年程度でしょう」
「うん、そうだな。だからこそだ。 前に代わって聖の側に仕える若い人間が必要になって来る。しかし、若いだけじゃ務まらない。というか、まともな人間じゃ無理だろうな」
「旦那様、まさか・・・・・・」
「それこそ妖神の化身と言われる呪子である位がちょうどいいかもしれないぞ?」
開斗は実に楽しそうであった。
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