1.カクヨム甲子園に出会う前のお話

 これは、私がカクヨム甲子園に出会う前のお話。





 私は「字の本」を読まない子供だった。


 図書室には沢山通っていたが、借りるのは漫画や絵本、占いや心理テスト、迷路などの本ばかりだった(ブラックジャック、漫画伝記、かいけつゾロリ、おばけマンション、ひみつシリーズなど)。文章を読まない私を心配した母は、夏休みの自分で好きな本を選んで行う音読の宿題で、子供向けではあるが当時の私にとっては「長い文章」であるような本を音読させた(それはどれも角野栄子先生の作品だった)。そのような訓練(?)をしても私は文章嫌いを克服できず、小学校高学年になるまで小説をほとんど読まずに過ごした(小学校高学年になるとだんだん長い文章が読めるようになり、自ら図書室で小説を借りるようにまでなった。沢山は読まなかったけれど)。


 しかし私は小さい頃から物語を考えるのは好きだった。絵を描くことが好きだったので、自由帳に漫画を描いていたのだ。小学四年生になると、『kira kira』という雑誌名までつけて雑誌作りを始めた。架空の専属モデルのオーディションの運営から企画作りまで全部自分で行い全て手描きで描く。自由帳十枚を重ねてホチキスで止めて本にする(夏休みスペシャルでページが増量されることもある)。それを私は一人で長いこと続けて、雑誌で言うと三年分、つまり三十六冊くらいは作ったのではないだろうか。その趣味がきっかけで私は「本を作るって楽しい!」と思い、雑誌の編集者を志すようになった。


 小学五年生になった私は『kira kira』の編集と同時進行で漫画も描いていた。そんな日々を過ごしていたある日、今の私に繋がるような重要な気付きを得た。


 私の漫画は文章が多い。


 それは大きな発見だった。私の漫画は絵は雑なのに、漫画にしては文字が多かった。

 そこで私は気付いたのだ。


 私は、絵を描くことが好きなのではなく、物語を考えるのが好きなのではないかと。


 今思うとこれが始まりだった。


 小学六年生になると、私は雑誌や漫画を作らなくなり、なんと小説を書くようになっていた。小学六年生のクラスは、自由に係を作って活動するというものがあり、きっかけは全く覚えていないが、私は友達とホラー小説を書くという係を結成したのだ。レポート用紙に小説を書き、書き終わると表紙のイラストを書いて、ホチキスで止めて製本していた。私は『kira kira』の時にも味わっていた、ホチキスで止めて一冊の本にする感動をまた味わっていた。やっぱり私は本を作ることが好きだ、と思った。


 中学一年生になると私は昼休みに図書室に通うようになり、重松清作品に魅了された。他にも様々な作家の本を読んだ。人生で一番本を読んだのは、間違いなく中学時代だろう。また、その頃私は日記を書き始めた。なぜ書き始めたのか分からないし、高校三年生になるまで書き続けることになるとも、その時は思ってもいなかった。

 中学一年生の私は大人になることが怖かった。過去の思い出をどんどん忘れていってしまうのが怖かった。だから日記を書き始めたのかもしれない。

 学校での生きづらさや誰にも言えない恋心、世の中への不満など、自分が感じたことは全て記した。スマホは持っていなかったため、Twitterで愚痴を吐き出すことはできない。中学生の私にとって、日記帳は唯一自分がありのままでいられる居場所だった。いつかこの日記帳を最強のネタ帳にして、苦しかった経験も全て小説にしてやる! と苦しい毎日をサバイバルしていた。


 中学二年生になると、私は初めて真剣に創作に向き合うことになる。「雨虹みかん」というペンネームを作って、第7回角川つばさ文庫小説賞こども部門へ応募したのだ。これが初めての公募への応募だった。約12000字の『冒険の先に』という作品を応募したのだが、嬉しいことに入賞することができた。これが「雨虹みかん」としての活動の始まりだった。


 高校生になってスマホを持ち始めた私はノートに日記を書くことが少なくなっていた。Twitterに呟いたり、スマホのメモ帳に書いたりすることが多くなったのだ。

 また、角川つばさ文庫小説賞以来、私は小説を書いていなかった。部活は文芸部ではなく中学の時と変わらず吹奏楽部だったし、趣味で小説を書くこともなかった。進学校だったため勉強が忙しく、また部活も忙しかったため本もあまり読まなかった。小説賞を調べたこともあったが、良さそうだと思った「全国高等学校文芸コンクール」は学校を介さなければ応募できなかったので、学校の先生に作品を見せるのに抵抗があったその時の私は応募しなかった。

 そんな私は趣味で作詞を始めていた。ある日、自分の書いた詩を眺めていた私は良い事を思いついた。


 この詩を小説化したら面白いかもしれない。


 そして生まれた作品が、『帰り道』だった。

 私はこの作品を執筆したことをきっかけにカクヨム甲子園を知ることになる。


(つづく)


※『雨虹みかんの日記帳』の『私が創作をする理由』より加筆修正



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