金の卵、藍の子供

第1話

つまらない。

つまらない。

つまらない。

毎日がそんな感じだったら、どう思う?

どうしてつまらないんだろう。

どうして、楽しくないんだろう。

他の子は、楽しそうにしてるのに。

どうして、同じようにできないんだろう。

どうして?


それは、金の卵から生まれたインディゴブルーの子供たちが、誰しも一度は通る道。


夏の初めの事だった。

そう。

初めだというのに、その年の夏は、とても暑くて、あつくて。

忘れられない、夏になった。


 田舎の小学校、一クラスしかない一年生の教室。そこは、アヤカにとって退屈な場所だった。授業の内容は彼女にとってもう分かり切った簡単すぎることで、アヤカはいつも、授業中は本を読んでいた。小学校に入学した最初のうちは、担任の女の先生もアヤカに注意したりしたけれど、その時は、アヤカはすました顔でこう言ったのだ。

「その件に関しては、私は既に理解しています。今更説明を聞かなくても結構です」

実際、アヤカはもう、中学校の問題もすらすらと解けた。先生がそれじゃあ、と、言って出した、小学校六年生の問題も難なく解いてしまった。結局、先生は何も言わなくなった。

「学校は、勉強するためだけの場所じゃないのよ」

それは、勉強ができるために学校を退屈と感じる子供に、親や先生が決まって言う言葉だ。けれど、授業という時間は少なくとも勉強するための時間であって、もうその授業で教えている事が理解できているアヤカには必要のないものなのではないかと、アヤカは思う。だからこそ、自分の読みたい本を読んでいるのだ。そうして、自分なりに勉強している。勉強のための時間を勉強のために使って文句を言われる筋合いはないはずだと、アヤカは思う。先生が、

「この問題分かる人」

と、聞いても、アヤカは反応しない。もう、その問題に取り組むということ自体が、時間の無駄なのだ。無駄はとにかく省きたかった。勉強が嫌なのではない。自分がしたい勉強があるからこそ、もう分かっている事に時間を割くのは嫌なのだ。

 アヤカは、休み時間になっても、クラスの友達と遊ばない。話が合わないし、他の子がやっていることがそもそも子供っぽいと感じる。しかし、そもそもが好奇心旺盛なアヤカは一度、興味本位で女の子たちの輪に混ざった事があった。けれど、何かのテレビの話になった時に、

「そう言うのって、現実的じゃないと思うのよ。見ているのが子供だと思ってばかしにしてるんじゃない?」

と、思ったことをそのまま言って、友達をぽかんとさせてしまった。その時、アヤカは理解したのだ。クラスの友達と自分では、住む世界が違うのだと。

 それからは、クラスメイトもアヤカに関わろうとしなかった。クラスメイトの方も、アヤカが自分達とは違う、ということに気付いたのだろう。何か嫌がらせをするでもなく、ただ、遠巻きにしていた。用があれば話はするけれど、必要な事以外は話すことは無かった。それはむしろ、アヤカにとっては良好な距離感だったと言える。


 その日も、退屈な一日をどうにか乗り切って、アヤカは家に帰った。そうして、父親のパソコンを立ち上げた。パソコンはパスワードでロックがかかっていたけれど、アヤカはパスワードを知っていた。いつもそうやって使った後は、全ての履歴を消去して、何事もなかったかのようにしている。とはいえ、父親は既にパソコンを使わなくなり、たとえ、その周りにほこりが無かったとしても、母親が掃除したのだろうというくらいにしか思わない。母親は母親でそもそも機械オンチで、パソコンには興味も示さなかった。

 自分用のメールをチェックすると、一通、届いていた。

「バンリだ」

もうそれだけで誰からのメールか分かる。

 バンリ。

 それは、アヤカがネットで見つけた、初めての友達だった。


 アヤカとバンリは、ネットのパズルサイトで知り合った。二人はライバルで、いつもランキングの一位か二位だった。アヤカが一位の時もあれば、バンリが一位の時もあった。一位でない方は、必ず二位につけていた。誰も二人を越えられなかった。そのうち、二人はメールでやりとりをするようになった。お互いに考えた問題をお互いに解き合ったりもした。そうして、話をしているうちに、バンリも同じ小学生で、年は上。そして、同じように学校を退屈だと感じている事が分かった。

 自分と同じことを感じている、同じ年くらいの子がいる。その事は、アヤカの心を癒してくれた。自分だけじゃない。自分が、間違っているわけではない。そのことが、アヤカを安心させてくれた。

「バンリに、会いたいな」

ネットの危険性は分かっているつもりだった。年齢や、性別が違う事は当たり前。犯罪者が紛れている事もある。ネットは、子供にとって、大人にとっても危険なものがたくさん、落ちている。それはアヤカも知っていた。だからこそ、それでも、と、思う気持ちに蓋をした。

 自分が、他の子より勉強ができるからと言って、自分が大人だと思っているわけでは無い。自分が全てを理解していて、安全かどうかの判断が正しくできると思っている方が危険だと、アヤカは思っている。

 アヤカは小さくため息を吐いて、メールを開いた。メールだけでも、いいかな、と、思いながら。少なくとも、今、こうしてメールでやり取りをしているバンリは、アヤカにとって、心強い同士で居てくれる。その幸せは確かにあるのだ。

 メールを開くと、そこにはこう書いてあった。


「親愛なる友、アヤカへ。

賢明な君であるから、ネットでの出会いの危険性は良く理解していると思う。それは僕も同じだ。僕もそのことについて色々考えた。けれども、僕はもう少しだけ君との距離を縮めたいと思う。君がそれを許してくれるかどうか分からないけれど。一つ、提案をしたい。チャットルームを作ったんだ。今度の土曜、二十一時、来られるかな。これなら君も、危険性を感じないで済むと思うんだ。僕は単に、君と、リアルタイムに近い時間を共有したいだけなんだ」


 チャット、というのは、ネットを介した会話のようなものだ。声を伝えられるものや、画像を送ることができるものもあるけれど、バンリが指定したのは、文字でのみ会話ができるものだった。自分の身を守るためなのか、アヤカを気遣ってのことか分からないけれど、バンリは今までとほとんど変わらない会話の方法を選んだようだ。

 アヤカは微笑みながら返事を書いた。もちろん、オーケーと伝えるためである。


 その日、エイタは、幼馴染のダイスケと一緒に帰っていた。エイタは泣いていた。こんなことは珍しくない。泣き虫のダイスケと、勝気なエイタにはよくあることだった。そう、小さな頃から。ずっと。

「元気出せよ、エイタ」

そう言って、ダイスケはサッカーボールをけり上げた。そして、それを器用に額に乗せて、くるくると回した後、また足で受けた。更にリズミカルにぽんぽんと蹴り上げる。時々、背中の方でも蹴ったりした。リフティング。ダイスケの得意技だ。それも、だんだんうまくなっている。

「すごいね!」

さっきまで泣いていたのがどこへやら、エイタもぱっと笑顔になった。それを見て、エイタも、へへへ、と、得意げに笑った。それは、いつもダイスケが使う、エイタを笑顔にする簡単な方法だった。

 エイタが小五で、ダイスケが小三。ダイスケの方が年下なのだ。でも、エイタは体が小さく、ダイスケは大きかった。初めて会う相手にはいつも逆にみられて、よく間違われた。二人はそんなことは気にせず、他の誰よりも仲が良かった。

「ね、河原に寄って行こうよ」

ダイスケが言うと、エイタは照れたような笑顔を見せて頷いた。そこで何をするのか、ダイスケは知っている。エイタを笑顔にする、簡単な方法、その二、だ。


「エイタ、歌って」

エイタが落ち込むようなことがあった日、ダイスケは決まってそう言った。そのステージが二人の帰り道にある河原だった。エイタは、とても美しいうたごえを持っている。ただ、その事を知っているのはダイスケだけだ。

 ダイスケが歌ってというと、エイタは少し恥ずかしそうに、そして嬉しそうにして、小さく咳をして、そうして、歌い始める。エイタが得意なのは「アメージンググレイス」という外国の歌だ。歌詞は英語で、ダイスケには何を言っているのか分からない。それでも、エイタの声が、とても美しい事、そして、その歌をエイタとても好きだという事は知っていた。

 エイタが、歌い始めると、小鳥が集まってくる。風が優しくなる。川の音も、その音を潜め、エイタの伴奏係になる。エイタ自身は気づいていないようだけれど、ダイスケはその時間が、とても好きだった。

 そして、エイタは歌い終わると、満足そうに微笑んだ。まるで、心の傷を全部、歌が拭い去ってくれたように。ダイスケも心からの拍手を送った。

「ね、エイタ、やってみたいことがあるんだけど」

それは、ダイスケの心に浮かんだ、小さな思い付きだった。

「何?」

エイタは機嫌よく応えた。

「あのさ。今度、夜にここで歌わない?今度の土曜日、お祭りがあるだろ?」

「無理だよ。ボク、人前で歌えないもん」

夏祭りの時に、素人が参加して歌うイベントがある。エイタはそれだと思ったのだろう。しかし、ダイスケは首を横に振った。そんなこと、エイタが出来ない事は知っている。

「それじゃなくて。それを口実に家を出てこられるだろ?星空の下だったら、どんな風に聞こえるのかなって思ったんだ」

ダイスケがそう言うと、エイタはぱっと顔を輝かせた。

エイタは、そういう変わったシチュエーションが好きだった。歌う事が好きで、色んな所で、色んな歌を歌ってみる事に興味があった。

「いいね。それ、やってみたい」

普段であれば、夜に子供が外出することは好まれない。でも、祭りがあるなら別だ。少なくとも、その日まで、エイタはその事で頭がいっぱいだろう。その状態のエイタは、ちょっとやそっとのことでは落ち込まない。ダイスケは、歌う歌に思いを馳せているであろう、キラキラしたエイタの横顔を見て、笑った。


 カナはいつも一人だった。小学校も最後の年だというのに、クラスに馴染めなかった。結局、小学校後半の二年間を、保健室で過ごした。

 カナが五年生になった時、いじめにあった。叩かれたり、悪口を言われたりしたわけではなかった。ただ、無視され続けた。自分にだけプリントが回ってこなかったり、掃除当番の時、誰も来なくて一人で掃除したりした。

 先生に相談したりしたけれど、怪我をしたり、盗まれたりということも無かったため、何も対策を取らなかった。気のせいだろう、と、言われた。証拠が、何もないのだ。カナも、それ以上何も言えなくなってしまった。

 五年の夏休みが明けた頃、クラスに居辛くなって、授業中に腹痛で倒れ、保健室に行った。腹痛は、その後すぐに治ったけれど、どうしても教室に行くとおなかが痛くなる。だからずっと保健室に居た。保険室の先生は、少し迷惑そうにしたけれど、追い出したりはしなかった。

 カナは、空いた時間に絵を描いていた。誰にも見られないように、こっそりと。カナは絵を描くのが好きだった。でも、誰にも見られたくなかった。小さな頃に、自分の描いた絵を、変だと言われ、それ以来、隠れて描くようになった。

 その日は、学校で下書きした絵を、家に帰ってからキャンバスに写していた。それは、静かな街並みを思わせる絵で、穏やかな色遣いで書かれていた。作品は、完成しているように見えた。しかし、カナは不満そうな顔をして、その絵を見ていた。カナにとっては、完成していないのだ。何かが足りないのである。

 それは、彼女の心の中にある、穏やかさとは相反する何か。それが、彼女の絵筆に乗りたいと、猛烈に心の中で暴れる。そういう時は、時々あった。しかし、カナはそれを感じながら、どうしていいか、分からないのだ。

 カナは、ため息を吐いて、パレットを置き、部屋を出た。キッチンへ行って、麦茶を飲んだ。その時、テーブルの上にあった、一枚の絵ハガキが目に入った。

 そこには、色鮮やかな花火が描かれていた。


土曜日。

その日は運命の日になった。

アヤカとバンリはそれぞれの家のパソコンの前で、ダイスケとエイタは祭り会場の近くの河原で、カナは、キャンバスの前で。

それぞれが、それぞれに。


強い、強い光を見た。

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