願いの坩堝でも俺はハーレムを望む

@konkonko

第1話 トッピング・ニルヴァーナ

 ぞろぞろと鬱屈した表情の浪人生たちが、貼り出された紙の前に群がった。俺たちが自尊心を回復する数少ない機会だ。

 皆、声には出さない一喜一憂をしている。静かで騒がしい。


「どうだった? 鳥砂」

「ああ……いつも通りって感じかな」


 高校の頃からの付き合いの丹羽もまた、俺と同じような顔をしていた。

 俺たちには輝かしい成績があった。

 各科目別に貼り出された成績表では、丹羽も俺も特定の教科では1位である。

 俺は数学。丹羽は国語。それが得意教科だ。


「あんなに教えあったのにね〜僕たち」

「そうだなぁ……」


 この受験戦争の最中にあって、俺たちは世界の残酷さに直に触れていた。望んだからといって、それが叶う訳では無い。気持ちだけではどうにもならないことは、多いどころかほとんどがそうだ。

 俺は作家になりたい。それに準じた学部に行って、そういったことを学びたい。だが国語はからっきしだ。

 丹羽はVR関係のプログラミングをやりたいようだが、理系の受験では数学は超えなければならない壁だ。

 俺たちはお互いの夢を叶えるのは、ひょっとしたら造作のないことかもしれない。だがどんなに願っても自分の夢には永遠に届かない。うーむ、悲観的な気分になってきた。


「別に、大学に入れなくたって夢は叶えられるさ」

「うーむ、それはそうなんだろうがなぁ」

「まあ、今日はとりあえずラーメンでも食べに行こうよ。今日も、か」

「ああ」


 行きつけの『自家製麺ぶっだ』でお決まりのカレー混ぜそばの食券を発券する。来年もこれを食べているのだろうか、と嫌な考えが頭をよぎる。何回食べても飽きないだけに、その変わらなさに嫌気がさす。


「あれ? 何だろこれ」


 丹羽が券売機の右下を指した。汚い手書きのメモがボタンに貼り付けられている。


『ニルヴァーナスパイス』500円。


 怪しすぎる。そして絶妙に嫌な値段帯だった。買えなくはないが、これでハズレだと立ち直れない。だが俺は変わりたい気分だった。

 そのボタンを押してしまった。


「じゃあ僕も」

「ま、マジかよ」

「ヤバい橋を渡る時はいつも一緒って言ったろ?」

「ゲン……!」


 俺たちは緊張の面持ちで、着丼を待っていた。このラーメン屋、味は確かだがこういうとこがあるからな……。前回のスイカ混ぜそばは地獄だった。不安でしかない。

 そわそわしていると、丹羽が俺を見ていたことに気づいた。儚げな顔だ。


「覚えてる? 文化祭」

「懐かしいな」

「あれも、ヤバかったね」

「ああ……」


 俺たちがいた大乗高校に、去年の初め小さな奇跡が起きた。とある模試で、科目別全国一位の成績を収めた生徒が同時に五人いたのだ。

 国語は丹羽、数学は俺……他に三人。

 そして高校生の悪ノリというか、俺たちは周りに乗せられるまま高校三年生の文化祭、好成績アイドルユニットとして歌って踊ったのだ。

『高偏差値アイドル、爆誕!』

 今思い出してもなんでだよと思う。


『届いて〜♪ 切ないには〜♪』


 他三人は女子だったが、俺たちは女装する羽目になった。

 ところが驚くべきことに、丹羽は女装が似合いまくっていた。高校生活で一番の衝撃だったかもしれない。一方の俺はヒョロ長く筋張っており、完全に浮いていた。アイドル達の中に不審者が紛れていた。

 だが、あれは俺の中に一つの火を灯した貴重な経験だ。


「その僕たちが今や浪人生だしねぇ。他の皆は凄いとこに行っちゃったけど」

「まああいつら、得意教科はあっても苦手教科はなかったしなぁ」


 彼女たちは望みを叶えた。つまり、他の誰かは叶えられなかった。それが受験というものだ。運もあったし、努力もあっただろう。

 だが俺はそれ以上に、そうやってパイの奪い合いをしなければならないこの世界自体が、どうしようもなく悲しくなってきた。

 いや、そんなものは贅沢者の悲しみだ。パイが無いこと自体が、昔は当たり前だったのだろう。

 俺も合格してしまえば、全て忘れて人生を再び歩み始めるのだろう。それでも今は……。


「そういえば、さっきチラッと見えたけどさぁ。またスマホで異世界モノ読んでるでしょ」

「息抜きだよ、こういうネンセイ的な感情を癒してくれるのは、理想的で楽しい世界だけだ」

「厭世ね」


 なりてぇなあ、ラノベ作家。

 でもまあ、あの業界こそ受験戦争なんて鼻で笑えるぐらいパイの奪い合いなのだろう。おいおい、つまり俺の人生ってここからさらにハードモードってことか……? 頭が痛くなってきた。

 なんで世界は、人の想いとは裏腹に淡々と進んでいくのか。

 はあ、どっかに……皆が自分の夢を叶えられる素敵な世界が、無いもんかね……。


「オマタセシマシタ、カレーマゼソバ、トッピングニルヴァーナ」


 おお、と丹羽が歓声をあげた。フワッと空調の風がこちらに吹くと、俺もその凄まじさに気づくことができた。


「す、すっげぇいい匂い」


 香ばしいと言っていいのか、ツンとする尖りはあるが、こちらの食欲を暴力的に掻き立てる謎の魅力がある匂いだ。カレーというイメージからはかけ離れた異質でエキゾチックなスパイス臭。

 確かに、500円の価値はあるかもしれないと俺に期待させた。


「いただきますかぁ」

「うん」


 俺たちは意気揚々と箸で麺をかき混ぜ、色とりどりで綺麗だった盛り付けを茶色の麺塊にした。ワクワクと期待感が最高潮に達する。そして、勢いよく掬いあげてパクっとひとく





え?




美味……






虹………………?







「アニルヴァーナ へ ヨウコソ」





 次の瞬間、俺は虹の中で目を覚ました。当惑した。続いてるのかよ、これ。

 なんかあっという間に過ぎ去って、どこかで目覚めるんじゃないのかよ。

 鏡の中にいた幽霊が、振り返ったら現実にもいた時のような恐怖を感じていた。

 意識がハッキリしているので、思考せざるを得ない。

 ……ドラッグか。あのインド野郎。ネパール野郎か? 参ったな……まだトリップ中、ってやつか? 依存性とか、無いといいな。丹羽のことも、心配だ。







 ……長いな、それにしても。

 と、頭に浮かんだあたりで、声が聞こえた。視界が虹色なぶん、はっきりとしたその声に救われた。


「夢は、ありますか?」

「えっ……あ、えっこれ、えっ、能力とか、これで決まるやつですか?」

「……」


 返事はなかった。

 ドラッグのトリップはその人の記憶や感性に影響を受けると聞くが、確かに俺の脳らしいトリップだ。せっかくなら、真面目に楽しんでおこう。

 声は俺に、夢を尋ねていた。となるとチートスキルとはまた違った話なのかもしれない。あれは手段であり、ともすればアイデンティティだ。

 俺は素直に、俺のしたいことを考えることにした。作家……は手段だ。それもまた、俺の理想とする世界がともすればコミカライズなり、アニメ化なんかしちゃったりして、もっと現実的になればいいなと思っただけだ。

 だから、ただ単純に、ひたむきに妄想する。

 俺はその理想とする世界で、俺のしたいことは……夢は……………お






 っぱい……

「あ、良かった。目が覚めたんだね!」

 視界は青空を予想していたが、薄い紫色だった。

 脳は五感から状況を必死に読み取ろうとする。

 視界は紫色。布地のようだった。

 音は、可愛いらしい女の子の声。

 匂い、甘い匂い。

 味は特になし。

 感触は……後頭部が、柔らかい。二峰性の何か。

 なるほど、動けないなこれは。

「自己紹介してもいいかな?」

「あ、ああ……」

「私、アミシア。冒険者をしてるよ。欲しいものは……手に入れるタイプ! 欲しいものがなければ、見つけるタイプ!」

「ああ……」


 アミシアちゃんか。可愛い名前と可愛い声、そして膝枕した者の視界を覆い隠すこの……今のところは100点だ。

 どれ全体像は……。ちょっとモゾモゾ動きますよっと。


「あはは、くすぐったい」


 彼女の膝枕から抜け出し、視界が開けた。

 草原。青い空、爽やかな風、遠くには街らしきものが見える。振り返れば、彼女も立ち上がっていた。

 俺の心臓が深くときめく。


「へえ、背ぇ高いんだね。いいね〜」


 めっちゃ可愛い。衣装はしっかり防御力が高そうな皮鎧だが、その奥の薄紫色の衣服に包まれた抜群のプロポーションは隠せずにいた。歳は……同じか少し下ぐらいか?

 まあ、これは……あれだよな。それってことだな。死後の夢でも、何でもいいぜ。


「よしっ!」

「お、おお……? どうしたの?」

「いや、ちょっと気合いをね。俺はトリッサ。気づいたらここにいた。記憶はないし、この世界のことを何も知らない。教えてくれると、ありがたい」

「あー、そうだよね。何も知らないよね。トリッサはね、私が願ったからここにいるんだよ」

「ほう……? 詳しく聞いてもいいかな」


 アミシアはまるで俺と喋っていること自体が嬉しいかのようにウキウキとしていた。初めて会った子がこの子でよかった。とても、人の良さそうな子だ。


「私が運命の人に会いたいって願ったから、トリッサは生まれたの。この世界に」

「……?」


 その言葉に、俺は夢見がちな少女の幻想しか感じ得なかった。それは、この世界のことを何も知らなかったから。

 この混沌と欲望が最悪の形で渦巻く、どうしようもない世界のことを。

 

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