脳漿まで愛してる

@aishteru2jigen

第1話 この話に続きなんてありません。


 この世の中には不思議なことに誰かを傷付けることが趣味の方も多くいるそうで、そういう方々の"遊び相手"に私が選ばれてしまったことを知ったのは、中学二年生頃の事でした。

 皆さん飽きもせずものを投げたり隠したり、校舎裏で蹴ったり殴ったりと楽しそうで。一通り満足するまでずたぼろにされたあと、私はただただぜぃぜぃと大きく息を吐きながら、一生懸命お家に帰ることしか出来ませんでした。

 それでも家族が働いたお金で折角通わせてくれているのですから、そう簡単に辞める訳にはいきません。また次の日にはひょこひょこ足を引き摺ったりしながら、いつも通り学校に行くような生活を、ここ数年程続けて来ました。

 そういう訳でそんなこんなで、私は今朝はじめて、普段立ち入り禁止の屋上に侵入するというちょっとした悪巧みを行いました。きちんと遺書を揃えて置いて、靴で抑えまして。つい先程屋上から飛び降りて、びゅうびゅう吹く風に頬を打たれながら、後は地面に叩きつけられるのを待つ状態となっています。

 どう見ても虐めを苦に自殺している女子生徒の模範生のような姿ではありますが、私がこの選択をしたのにはきちんとした理由がありますので、こうして死の直前に何処にいるかも分からない誰かに弁明をしている訳でございます。

 どうか、あとほんの数秒、お付き合いくださいませ。


 ……こんな時に言うことでは無いと思うのですが、私には大好きな女の子がいます。

 鈍臭くておどおどしていてはっきりものも言えないこんな私ですが、一人だけ。そんな私の為に、怒ってくれる女の子がいました。切れ長で睫毛の長い瞳を更にキッ、と釣り上げて、私を虐めるクラスメイト達を睨み付け、心底軽蔑したような表情を向けるのです。

 そうして、馬鹿みたい、と。冷たい、氷点下を思わせるような声音でそんな事を言いまして、私の腕を勢いよく、けれど痛くはないように優しく掴んで、引っ張っていってくれるのです。その背中はまるでヒーローのようで、その辺りにいるかっこいい男の子よりもずっときらきらして見えて、私はいつも少しだけ胸をときめかせているのでした。

 彼女は祈咲きさちゃんと言って、昨年の夏の終わり、私のクラスにやって来た転校生でした。彼女は酷く整った容姿をしていて、長く綺麗な髪、涼やかな目元に鼻は高く、唇は艶やかで、スカートから覗くすらりと長い脚は廊下を歩く度に男子生徒達の視線を釘付けにしていました。そんな美しい彼女が、どうしてクラスのはみ出しものである私なんかを気にかけてくれるのか。一度聞いてみたところ、非常に呆れた表情を浮かべて、彼女はぎゅうと私を抱き締めてくれました。

「……あなたの事が、大事だからよ」

 そう、囁くように返ってきた答えは、今でも私の宝物です。

 私達は、所謂おともだちという関係です。

 実は私は祈咲ちゃんとお話するようになった切っ掛けをよく覚えてはいないのですが、何でも放課後の校舎裏で祈咲ちゃんが怪我をして困っていた時、絆創膏を渡したらしいのです。日頃から絆創膏はよく持ち歩いているので、役に立ったなら良かったと思います。後日、律儀に御礼に来てくれた祈咲ちゃんには本当に申し訳ないのですが、疲れて朦朧としていたこともあり、覚えていないからと御礼を貰うのを断った代わりに、私達は"ともだち"になりました。それが私達の友情のはじまり、きっかけです。

 それから祈咲ちゃんは、普段は私の友達として一緒にご飯を食べたり、放課後一緒に帰ったり普通の日常を過ごしてくれて。私が虐められていると、何処からか颯爽と駆け付けて助けてくれるヒーローになりました。美人で優しくてかっこいい、でもたまにお弁当の卵焼きを焦がしていて、私がそれを見つけると少しだけ恥ずかしそうに微笑む、そんな可愛らしい女の子。私は彼女のことがすぐに大好きになりました。

 祈咲ちゃんは、お家に帰るのが好きではないそうです。彼女の本当のご両親は既に亡くなっていて、親戚の方と暮らしているそうですが、祈咲ちゃんはなにぶんはっきり物を言える女の子なので、わざと生活費を少なく渡したり、いやらしい手つきで触ってくるその家の大人の人にそれは嫌だと伝えたところ、食事などが用意されなくなってしまったらしいのです。本当に酷い話です。

 何とかならないものかと以前私の家に招待したところ、祈咲ちゃんは大きな瞳を真ん丸に見開いて驚いていました。私の家は六人姉弟で、いつも働き詰めのお母さんはたまにしか帰ってきません。お父さんは随分前に酔っ払って飲酒運転で事故を起こして死んでしまいました。示談金で家のお金はすっからかんで、我が家はいつも貧乏なのです。私が一応長女ですので皆の食事の支度や服の用意もしていますが、やんちゃ盛り食べ盛りの筈の弟、妹達は文句も言わずいつも私を助けてくれます。祈咲ちゃんを突然招待しても、きさちゃん、きさちゃん、と人懐っこく彼女に抱き着いていって、大層懐いているようでした。祈咲ちゃんは慣れていないのか最初は戸惑っていましたが、最後らへんには普段よりも幾分か柔らかい笑顔で過ごしてくれていたので、私としてもひと安心でした。狭い家の中で七人がぎゅうぎゅう詰めで眠るので狭くなっちゃうかも、と最初に伝えてはいたのですが、そうすると祈咲ちゃんはほんの少しいじわるに笑って、私をぬいぐるみみたいに抱き締めながら眠るのでした。私もその日はどきどきして眠ったのですが、次の日の朝、祈咲ちゃんも我に返ったのかちょっと恥ずかしそうにしていて、二人で顔を見合せて笑ったのはいい思い出です。

 私が思うに、祈咲ちゃんはずっと寂しかったのではないでしょうか。

 ご両親を亡くして、ただでさえ不安なところに信頼出来ない大人と暮らすことを強いられて、学校も新しくなって。そんな時に私がたまたま、運良く彼女に親切にしてあげられたから、祈咲ちゃんは私に優しくしてくれるようになったのです。

 それは嬉しいことだけれど、ほんの少し狡いことをしている自覚もありました。

 だって、私はただ運が良かっただけです。運が良かったから、彼女と仲良くなれたのです。

 それでも私は嬉しかった。狡くたってよかった。彼女が私に笑いかけて、髪を撫でて、並んで歩いてくれる時間が、私にとって何よりも幸せでした。

 そんな罰が当たったのでしょうか。

 祈咲ちゃんが味方してくれるようになってから、私への暴力は落ち着いていたように思っていました。このままもしかすると何も無い、普通の学校生活に戻れるのじゃないかとも思いました。

 けれどそれは違ったのです。

 祈咲ちゃんと帰る前に忘れ物を取りに教室に戻った時、私は私に痛いことをしてくる人達の会話を聞いてしまいました。

 曰く、私への嫌がらせを邪魔してくる祈咲ちゃんが目障りなこと。

 曰く、痛い目を見せてやりたいということ。

 曰く、多少の嫌がらせじゃ全く響かないということ。

 曰く、彼女の女の子としての尊厳を蹂躙すれば流石に懲りるだろうとのこと。

 失態でした。失念でした。私はなんて愚かな勘違いをしていたのでしょう。

 私がほんの少し楽になった分は、祈咲ちゃんが肩代わりをしてくれていただけなのです。

 私が呼び出されていない時間、私を虐めていた人達は優しい祈咲ちゃんに嫌がらせをしていた、それだけの事だったのです。

 悔しくて、哀しくて、目の前が真っ暗になりました。

 祈咲ちゃんはいつも私を助けに来てくれていたのに、私は彼女が嫌な思いをしている間、のほほんと自分の束の間の幸福に浸っていたのです。

 お昼休みに人のいない教室に移動して、二人でお弁当を並べて。

 私の卵焼きと、祈咲ちゃんの卵焼きをたまに交換して。

 祈咲ちゃんの卵焼きは甘くて、私の卵焼きは塩っぱいのです。

 そんなほんの少しの違いを笑いながら話して、そうした時間が永遠に続けばいいのにと思っていました。

 けれど、それは無理なのです。

 私が私である限り、弱くて自分の身ひとつ自分では守れない私である限り、無理な話だったのです。

 私は自分の弱さに祈咲ちゃんを巻き込んでしまいました。

 その責任は、自分で取らなければなりません。

 遺書にはきちんと彼女達の悪巧みを認めて、何とか止めて欲しいということも、祈咲ちゃんを守って欲しいということも書きました。

 最悪、風で飛ばされたり、誰かに隠されてしまうことも考えて、近くのテレビ局にも同じものをコピーして送らせて頂きました。恐らく対応に追われてしまう先生方には申し訳ありませんが、これも祈咲ちゃんを守る為です。

「ゆり」

 そう、私の名を微笑みながら呼んでくれる、優しいあの笑顔が好きでした。

 いつも守られてばかりの私だから、今度は私が祈咲ちゃんを守りたい。彼女の、ヒーローになりたいのです。

 それが、今から死ぬ私のたった一つの願いです。目的です。祈りです。

 私は絶望して死ぬのではなく、理想の自分を叶える為に死ぬのです。

 大好きな女の子を、守り抜く為に飛んだのです。

 それをどうか、誰かに知っておいて欲しかったのです。


 ――嗚呼、地面が近付いています。

 永遠にも思える空中浮遊が終わった途端、私は無様に地面に叩きつけられました。

 いたい、いたいいたい痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い脚が変な方向を向いている腕の骨が折れている内臓が潰れている体内から血液がとめどなく溢れている死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ、もうすぐ死んでしまう、私はもう死んでいるようなものなのに、どうしてまだ生きているの? 痛い、痛い痛いいたい。早く楽になりたいのに。誰か、誰か。いたい、痛いよ、いたい、早く殺してください。痛いです。もう一秒だって耐えられないのに。頭が潰れている、頭蓋骨から何かが漏れている。痛い、いたいいたいいたい!

「ゔ……」

 声にもならない声が漏れて、体がほんの少し動いてしまって、身体中をグチャグチャにするような痛みが走って、悲鳴をあげようとして声が上手く出ません。

「ぁっ……ぐぅ、……」

 それはそうです。屋上から飛び降りて、地面に叩きつけられて。痛くない訳がないのです。早く死んでしまいたいのに、私はこんな時でも不器用で、即死し損ねてしまったようでした。

 あと数十秒、いえ、最悪数分間でしょうか。ゆっくりと死にゆくこの時間を、激痛に一人で耐えながら、私は過ごします。忘れ物は、無いでしょうか。やり損ねてしまったことは、ないでしょうか。

 部屋の物は元々少なかったので、部屋の整理も簡単なはず。私物もいくつか不審に思われないくらいに捨てておきましたので、後始末は簡単に終わるでしょう。

 葬式代も、少しですがこれまでの貯金を家族の為に机に置いて来ました。いくら貧乏とは言えど、娘の葬式もあげられなくて、お母さん達がご近所さんに白い目で見られたりするのは頂けません。

 祈咲ちゃんのことをお願いと、家族へのお手紙にも書いてちゃんと机に置いておきましたから、私の家族もきっと祈咲ちゃんの味方になってくれます。優しい子達だから、私が居なくなってもきっと彼女の寂しさに寄り添ってくれるでしょう。

 ああ、これで安心です。私の分の生活費が浮けば、家族の生活も少しは楽になる筈です。お母さん、玩具も買ってあげられないって哀しそうでしたから。私の制服と教科書は残しておいたので、誰か使ってくれると嬉しいです。死んだ姉の形見なんて使いづらいかもしれないですが、私は天国……に、行けますかね?行けたらいいですね。お姉ちゃんは天国でも、みんなの幸せを願っているからね。

「う、ぅ……」

 家族の顔を思い浮かべたら思わず泣きそうになりました。頬に生暖かい液体が伝う感触がしましたが、これでは血なのか涙なのか分かりません。

 痛みは変わらず続いています。死に損ねた私は、ぐちゃぐちゃになった状態で泣きながら地面に横たわっています。……早く先生が見つけてくれればよいのですが。うっかり登校してきた生徒にこの姿で見つかれば、トラウマものの見た目になっているでしょう。

 あわよくば、『彼女達』が見つけてくれたら。少しばかりは、意趣返しになるでしょうか? こうなったのは貴方達の行動の結果だと、突き付けられればもう誰かを傷付けたりしなくなってくれないでしょうか。

 そこまで考えてみましたが、やっぱり難しいかもしれません。彼女達にとっての私はきっと、路傍の石ころと変わらないでしょうから、石ころが地面に転がっていても何も感じないでしょう。

 思えば、私の人生は何か意味があったのでしょうか?

 残念ながら頭も良くなくて、美人でもなくて、ただ生活費と食費を食い潰す、嫌な娘だったかもしれません。それでもお母さんは忙しい中私を大切に愛してくれましたし、弟達も妹達も、とってもいい子達でしたから、きっと泣いてくれるでしょう。哀しませてしまって申し訳ないですが、みんなならきっと大丈夫です。私のことは忘れて、私の分まで幸せになってくれると信じています。

 いっそ、生まれた方が間違っていたのかもしれません。弱い私が居なければ祈咲ちゃんがいじめに巻き込まれることはありませんでした。家族の生活も、最初から今よりは楽になっていたでしょう。

 人に迷惑をかけてばかりの人生でした。本当に、……本当に。

 私は死体になってやっと、誰にも迷惑をかけない存在になれるのです。

 ……本当に?

「……き、さ、ちゃ……」

 祈咲ちゃん。

 心配なのは、貴方のことだけ。優しくて強い貴方が、私の選択で傷付いてしまうことだけ。貴方を守る為にこれしか選べなかった私だけれど、本当に大事な友達だったのです。初めて出来た、親友と呼びたい女の子だったのです。

 祈咲ちゃんはきっと泣かないけれど、たくさんたくさん傷付いて、また一人で抱え込んでしまうかもしれません。私は本当に大馬鹿者です。祈咲ちゃんがとっても優しいことを知っているのに。私がこんなことをしたら、彼女が傷ついてしまうことを、責任を感じてしまうことを、分かっているのに。

 でも、祈咲ちゃんが痛い思いをするのは嫌なんです。痛いのも、苦しいのも、辛いのも、私なら我慢出来るけれど。私を助けてくれるあの綺麗で優しい、勇敢な女の子がそんな思いをすることは、耐えられないのです。私が、耐えられないのです。

 ごめんね、ごめんなさい。私はとびきりばかで、わがままなんです。

 貴方を傷付けても、守りたかった。きっと苦しませてしまうけれど。

「ご……め……」

 祈咲ちゃんは強いから、強いからこそ、私を忘れずにいてくれるでしょう。

 体が痛いのか、心が痛いのか、もう分からないくらいに痛くて、私はボロボロと涙を流します。はぁはぁと息が荒くなって、呼吸が上手く出来なくて、おわりが近付いてきています。大事な彼女を傷付けてしまう、その後悔を抱えたまま私は今から死ぬのです。

「うぅ……」

 真っ赤だった視界が霞んで、ぼやけて、なんにも見えません。足音は、聞こえません。先生達も、誰も見つけてくれない。このまま、私、一人で死ぬのでしょうか。ひとりぼっち、痛くて、寂しくて、辛くて、苦しいまま。

「し、に……ッ、たく、な……ぁ、い、よぉ……」

 最期に一目でいいから、祈咲ちゃんに、会いたいです。

 ごめんねって、伝えたかったなぁ。

「百合……?」

 あれ? どうしてでしょう。都合のいい幻聴でしょうか。祈咲ちゃんの声が聞こえます。

「っぁ、百合……ッ!?」

 目を見開いて絶叫して、祈咲ちゃんが、駆け寄って来てくれました。

「あ、あぁ、あぁあ……ッ! どうして……ッ!?」

 動揺したように手を震わせる彼女の瞳からは透明な雫が流れ落ちてしまっています。

 嗚呼、どうしよう。醜いですよね。汚いですよね。こんなものを見せてしまって、ごめんなさい。泣かせるつもりじゃなかったのに。今日はどうして早く学校に来てしまったの。こんな事ならちょっと怖がって躊躇ったりせず、もっと早く飛び降りておけばよかった。最期にひと目会えたらなんて、少しでも思わなければよかった。

「百合……ッ、大丈夫、大丈夫だから……」

 私を安心させるように、震える声が鼓膜を震わせました。

 彼女は大粒の涙を流しながら、必死に私の止まりかけた心臓を叩いて、唇を合わせて息を吹き込んでいます。

 私の血液で真っ赤に濡れた唇が口紅を塗っているみたいで、こんな時でも祈咲ちゃんは綺麗だなあと、私は場違いに思いながら笑いました。霞んだ視界でハッキリ見えないことだけは残念だけど、私の知る限り祈咲ちゃんが綺麗でない瞬間なんて、一度もありませんでした。

 祈咲ちゃんははらはらと綺麗な涙を流しながら私の頬に触れて、割れた額を指先でなぞって、いつものように髪を撫でてくれました。

「死なないで、百合……あと少しだから、今助けを呼んだからぁ……」

 私の胸元に必死に縋り付く、くぐもった声が遠く聞こえています。

 彼女のその優しい嘘に私は思わず泣いてしまいそうになりました。

 祈咲ちゃん、ごめんね。

 奇跡は起きません。神様なんて居ないからね。

 助けなんて来ません。

 呼ぶ暇もなく、祈咲ちゃんはずっと私の体をさすって、少しでも暖かくなるよう抱き締めて血塗れになっているのです。助けなど、来る筈がないのです。この学校で、私の味方は祈咲ちゃんたった一人でした。

「ごめ……ん、ねぇ……」

 私はもう死ぬんだよ。

 でも、祈咲ちゃんは大丈夫。

 私が絶対、守ってみせるからね。

 あなたを傷つけようとする人達は、私が道連れにするから。一緒に地獄に堕ちてもらうから。だから祈咲ちゃんは、大丈夫なんだよ。

「ゆり、……ゆり、いかないで……」

 安心させたくて微笑みかければ、私の顔を覗き込んだ祈咲ちゃんは、真っ青な顔で私の頭を抱きかかえてぐすぐすと鼻を啜りました。そんなに泣いたら、折角美人なのに明日目が腫れてしまいます。

「き、さ、ちゃん……」

 泣かないで、どうか泣かないで。

 祈咲ちゃんが笑っていてくれれば、私はそれだけで幸せなのです。

 明日から二度と怖いことはありません。痛いことはありません。すぐに厄介事を持ってくる面倒な私もいなくなって、きっと祈咲ちゃんは自由になれるのです。幸せになれるはずなのです。

 それが、ほんの少しだけ寂しく思ってしまいますが!

 一生懸命持ち上げた手のひらを、祈咲ちゃんはぎゅっと握りしめてくれました。温かい彼女の手のひらと、温度を無くしていく私の手のひら。意識が遠のいて、指先が冷たくなってゆきます。

 嗚呼、私は死にます、死ぬのです。

 独りぼっちで死ぬつもりだったけれど、最期まで祈咲ちゃんが抱き締めてくれているから、寂しくない終わりでした。

 最期の最期まで、私は彼女に救われてしまいました。全くもって不甲斐ないです。

 いつも守ってくれていたのに、最期まで面倒をかけて、泣かせちゃってごめんなさい。

 それでも、これだけは本当で、私は本当に、心から、誰よりも祈咲ちゃんのことが、

「だい、す」

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