守護神

大甘桂箜

第1話

 俺、猫。


 野良なんで名前なんかないよ。


 腹ペコで、寒くて、毎日命懸けだ。


 生まれてからずっとそうだから、これしか知らないから、これが普通。


 最近は公園の『ごみばこ』がなくなっちゃったから、定期的に人間が出す大きな箱の中のゴミを狙っているんだけど、今日はカラスの野郎に先を越されちまった。


 カラスの野郎がごみを散らかすから、人間の『おばさん』が見張りに立っていて近づけやしねえ。


 空きっ腹抱えて歩いていたら、『ドッグラン』ってところに紛れ込んじまって、犬の野郎に追いかけ回されて慌てて逃げて来た。


 そのお陰で、何だか知らない所に来ちまった。


 壁に小さな穴が空いてたから、そこを潜って中に入ると小さな窓があった。


 ちょっと出っぱっているから、ありゃあ『出窓』ってやつだ。


 ヨボヨボだが物知りな白猫の爺さんに聞いたことがある。


 爺さんは人間に飼われていた時があって、お気に入りの場所だったんだってさ。


 でも、何で今は野良になってんだか、聞こうと思ったけどやめたよ。


 爺さん、昔を思い出したらちよっと涙ぐんでたんだよな。


 まあ、言いたくなきゃわざわざ聞かねえし、言いたくなったら聞いてやってもいい。


 出窓は開いていて、ぽろんぽろんと音が聞こえてきた。


 何か、鈴が転がるような、雨が水溜りに降りそそぐような、心地良い音だ。


「はい。じゃあ、今日はこの『きらきら星変奏曲』を練習しましょう」

「はーい」


 今度は同じ曲だけど、何か調子が狂う。

 間違えて音が外れたり、変な間隔があったり、さっきのに比べると下手。


 聞いてらんねえ。


 さっさとおさらばしようと思って、振り向いた時だった。


 出窓に黒い煙のような、ぼろ切れのようなものが浮かんでいる。


 とっさに、全身の毛が逆立った。


 こいつ、良くない野郎だ。


 黒いヤツは開いている窓から中へ入ろうとしている。


 何やってんだよ!

 お前、何だよ!


 俺、野良の勘で、シャーシャー喚いちまった。


 黒いヤツはこっちを見るようにわずかに揺らめいて、すうっと消えた。


 何だったんだ?


「あ、ママ、猫さんいるよ」

「あら、ほんとね」


 出窓から顔を出してきたのは、人間の女の子と女の人。


「あのこはキジ白ね。ほら、茶色と黒の毛より白い毛の方が多いでしょう」

「しっぽ、曲がってる。けがしてるのかな?」

「あれはね、かぎ尻尾っていうのよ。商売繁盛だったり、幸運を引っ掛けてくれるって言われているの」


 『かぎしっぽ』とか『しょうばいはんじょう』とか、何だかよくわかんないけど、早く窓閉めな。


 また黒いヤツ、入ってこようとするかもしれねえよ。


「風が冷たくなってきたわね。二葉ちゃん、またお熱出たら大変だから、もう閉めましょうね。あら、なんか向こうの空が怪しいわね。一雨来るのかしら」

 洗濯物取り込まなくちゃ、と女の人は窓を閉めた。


 鼻をひくひくさせると、何となく雨の匂いがする。


 俺は出窓の下に座り込んだ。

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