第11話


 どうしてか守谷と目が合わない。守谷はシーに引きられる格好でこちらを向いているんだが、焦点が曖昧で何を捉えているか分からない。まるで古い記憶を辿るのに夢中で、現実の認識にまで思考を割けなくなっているような。何かに憑かれてしまったような。


 守谷は曖昧な表情のまま答える。


「出たよ普通に。担任が体調不良で休みだって言ってたから、駄目元だったけれど」


「仮病だったって事か? 搬送されたんだよな?」


「学校を休んだのは仮病だったと思う。電話にはすぐ出たし、私が話し出す前に謝られたから」


「……久我くがと村山がシーを誘おうとするのを、止めなかった事をか?」


「久我と村山?」


 守谷は少し驚いたように目を見張ったが、それでも視線が合わない。わざと外してるんじゃなく、矢張り守谷自身が思考に囚われ、他者を認識する余裕が無いからそうなっているように思えた。


「違うよ。シーを肝試しに誘おうと言い出したのは足立」


「えっ?」


 井ノ元がシーを誘ったのは久我と村山だと言っていたのは嘘だったのか?


 不意にキイが俺を見て、大きく口を動かした。


 声は出ていない。口パクだ。どこか滑稽に見えるその様は然し真剣で、キイは逼迫ひっぱくした表情で俺を見据えては同じ口パクを繰り返している。何だ? 何で声を出さない?


 ……む、ら、や、ま、と言っている?


 思わず学校の方を見た。太陽光を遮るものが何も無い校門をくぐったばかりの路上、猫背で俯いた村山が立っている。


 既に鼓動が激しくなって久しい心臓がまだ跳ね上がった。


 付いて来ていたのか? あんな所で何してる。


 それに体重の支え方が奇妙だ。村山の身体が微妙に右側へ傾いてる気がする。距離があるので断言は出来ないが、まるで左の足裏をアスファルトにギリギリ着かない所で浮かせているような不安定さで、身体がゆらゆら揺れている。どうしてか身一つで荷物は提げていない。炎天下の中立ち尽くし、空っぽの両手の指を死にかけの芋虫みたいに、緩慢に開いては閉じ、開いては閉じを繰り返している。何をしているんだ? 井ノ元達はどこに行った?  


 小さくゆらゆらと揺れている村山が顔を上げた。それは草むらを這う蛇のように素早く、目を逸らす暇が無い。


 気付かれた?


 心臓が縮こまったような痛みに顔を顰める。


 だが、流石に離れている上にコンビニの中にいる俺達には気付かなかったのか目は合わない。でも息を呑む。合わないその目は古い血の詰まったボールのように、ここからでも分かるぐらい赤黒くなりながら涙を流していたから。それに多分恵比須えびす顔のままだ。閉じたまま吊り上がった唇に持ち上げられた頬肉が、目元でぷにぷにとした肉塊となって辛うじて主張している。


 もしこっちに来たらどうする? どうすればいい? 何であいつはあんな姿であんな場所に立ってるんだ。俺達に用があるから追って来た? 俺はもうあんな奴に関わりたくない。金輪際だ。シーか? それともキイに? 会話なんて成立しない態度だったくせに。逃げればあいつは諦めるのか? 突然正気なんてまるで持ち合わせてると思えない態度になったのに?


 シーが喋らなくなった俺に違和感を覚え、爪先立ちになると店の外を見ようとした。


 シーのその仕草で我に返る。


 幸い商品棚で遮られているが、今のシーにまで見せる必要は無い。もしこいつまでパニックになったら収拾がつかなくなる。キイが口パクで訴えて来たのもそれを分かってるからだ。男は俺だけなんだ、いざって時にしっかりしないでどうする。


 下手に動かなくていい。店内にいる限りもし村山が何かしてきても、店員が通報してくれる筈だ。そう、外に出た方が安全だって保証も無いんだ。刺激しないように普段通りに過ごしていれば、きっと大丈夫。そうさ期末試験が終わるまで、いつもと変わらない平凡な日常だったじゃないか。


 なら、俺が今すべき事は。


「足立がシーを肝試しに誘った理由は何なんだ?」


 守谷へ尋ねた。


 どうせ村山をどうこう出来る自信は無いんだ。だったら、山積みの疑問を一つでも片付ける。


 シーの興味も外から俺の言葉へ移って、視線が守谷へ戻った。少し安堵する。伝わる自信は無いが、キイには村山は無視しろ目で訴えた。


 キイは口パクで俺に伝えて来た通り、下手にシーや守谷にまで村山の存在を知らせるべきではないと考えているようで、どこまで俺の意図が伝わっているかは分からないが頷いてくれる。


 ……持つべきものはマジで友達だな。


 キイの援護で僅かに余裕が出て来た俺は、あくまで平静を装って話を続けた。


「シーを誘おうとして声をかけたのは、久我と村山だって井ノ元から聞いたんだよ。それに井ノ元は、足立は特に何もしてなかったって話してたんだ」


 矢張り目の合わない守谷は即答する。


「頼まれたからだって」


「誰に?」


 不意に鳥肌が立って顔を上げた。嫌な予感のままに外を見る。


 村山がこちらへ駆け出していた。


 そのフォームは下手な操り人形みたいに滅茶苦茶で、激しく踏み出す足を入れ替えるたびに頭部が左右に揺れている。床に仰向けで転がってる死にかけの蝉が、人の気配を感じて突然暴れ出したように激しくて気色悪い。


 身が凍った。


 遠目だろうとうに異常と分かり切っている村山が、ぐんぐん克明にその姿を晒しながら近付いて来る。


 古い血が溜まったボールのように赤黒く変色している所為で視線が合わないと思っていた村山の目だが、違う。黒目が強烈に上を向いていて殆ど見えないんだ。本来なら白目を剥くという表現で済むだろうが、もうあの通り白さとは無縁の姿だ、眼窩がんかの裏側を覗こうと今にもひっくり返ろうとしているとでも言った方がそれらしい。その何も見えないだろう視線をずっと保っていたという事だ。そして校舎で様子がおかしくなってから一度も止まっていないのだろう涙は汗と共に顔中を濡らし、顎の先で溜まってはぼたぼた滴っている。

 

 止まらない。全力疾走して来る。まるで俺達がゴールテープかのように。後続がすぐ後ろまで迫っているように。脇目も振らず、疲れも見せず、減速すらせずまるで機械のようにその滅茶苦茶で不気味なフォームを堅守しひたすら向かって来る。


 息を忘れていた俺はもうどうでもよかった。何とか持ち堪えていた理性をとうとう打ち砕かれ、さんざ押さえ付けていた悲鳴が腹から噴き出し、解放されようと俺の口を押し広げる。


 守谷が俺の問いに答えた。


「おきつね様」



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