荒波

 その日は波が荒く、海勇魚船わたないさなふねの甲板にも波が被さり巨大な船体も大きく揺らされていた。そんな状況であるので今日は誰もが船の中に避難しており、仕事は全て休みとなる。

 統木すばるきの花嫁も部屋で暗い部屋で過ごしている。船が揺れて上下が傾いたり左右と入れ替わり掛けたりするので、蝋燭は灯せないのだ。

 花嫁は海勇魚船が転覆しないように御神体の葉で風を捉えたり枝の向きを変えて重心を取ったりと、それなりに気を張っている。

 そんな花嫁の周りには暇を持て余している女房達が入り浸っていた。

「貴女達、逢いに行く男もいないの?」

「子供を増やすのは女の大切な役目なのよ。ましてこの船は男の方が多いのだから女を余らせておいたらすぐに先細りしてしまうわ」

 女房の中でうちぎを十以上も重ねて置物のように座っている二人が他の面々を見回して聞こえよがしに苦言を呈した。

 ただただ重石にしかならない程に衣を祖国から持ち込んで来ているこの二人は、花嫁が拾ってきた孤児達の教育係でもあった貴族の出の女房である。

 床が傾ぐのに目を回している佳鈴声よしすずこえは態と剣呑に響かせられた声に怯えて、同僚の体に回していた腕をぎゅっと狭めてより一層身を寄せる。

 佳鈴声の支えを買って出た雲手弱くものたおやはよしよしと小柄な彼女の頭を抱え込んだ。

「それ、お二人にもそのまま返していいやつですか?」

 そんな二人と違って口性無い上に図太い今言いまことは平然と年上に口答えする。

 花嫁は視界を外に繋いで降ろしていた瞼をちらと持ち上げる。

 祖国では貴族と孤児であっても、この海勇魚船の上では身分の上下はなく同じ女房という立場だ。

 それは貴族の娘達も分かっているので、意地悪そうに笑う口元を扇で隠してはいるがそれは面白がっている様子でもある。

「こんな行き遅れと年頃の貴女達を一緒にするの?」

「駄目よ、駄目駄目。いろんな男に持て囃される楽しさは若い女の特権なのよ?」

「それ、悪女じゃないですか」

 くすくすと笑う年上達に流石の今言もげんなりとしている。

 意地悪な二人の言っている事も強ち間違ってないのが始末に悪い。

 花嫁が身寄りのない女子ばかりを拾ったのは、海勇魚船に乗り込んだ人数の三分の一を占める船民が男所帯だったからだ。農民や漁民は夫婦や子供も含めた家族で移住してきているので一応の見通しが立つが、操船を生業とする者達は女を船に乗せるのは縁起が悪いと昔から考えていて海勇魚船にもいつも通りに男だけで乗り込んで来た。

 事前に名簿を見て男女の偏りを把握していた花嫁は陸にいる時から手を打って自分の付き人として女性の数を僅かなりにも増やしたのが、今の女房達だ。

 貴族達も娘を縁もゆかりもなく、血の繋がりを作る恩恵を自分達が受けられない海勇魚船に送るのは渋っていたので、双方にとって相徳あいとくだと花嫁の提案がそのまま進められた。

 それに女房が自由恋愛をする事でそれぞれの部族で血が偏るのを防ごうという思惑もある。

 ここにいる五人と元から自室に引き籠っている問題児達以外は花嫁の意も組み、また年相応のはしゃいだ恋心に従って気になる相手を見付けて逢いに行っている。

「もしかしてもっとお洒落になれば男の方から言い寄ってくるかしら?」

「あら、いいかも。私達のお化粧に衣を貸して、光るように仕立ててあげましょう」

 そんな事を言って、部屋に籠って明かりも点けられないでいる暇を潰すのに、若い女房を着せ替え人形にしたいだけだと花嫁は見抜いている。

 しかしそれは害があるものでもなく、また花嫁としてもいつもそばに仕えている自慢の女房達がさらに美しい姿を見たくもあったので、口を挟まずに流れを見守る。

 今言はそんな花嫁の思惑に気付いたようでじっと睨むように視線を向けてくるが、花嫁はまた瞼を下ろして忙しさにかまける。

「ほら、こっちに来なさいな」

「ねぇ、部屋から道具を取ってきてくれる?」

 年上の女房の一人が佳鈴声と雲手弱を手招きして、もう一人が襖の外に控えている侍女に私物を持って来るように言い付けている。

「ちょっとちょっと。二人が怯えてますよ」

 身を寄せ合って震える小さな同僚達の前に今言が身を乗り出して行き遅れ達の魔の手を阻む。

 その姿を見て、してやったりと三十路手前の二人はにやりと笑う。

「あら、なら今言が二人の分も着飾ってくれるの?」

「そうね、三人分の男を手籠めにしたら、そこの二人はお役御免でも構わないものね。和歌と手蹟でそのくらいの貢献はしているもの、お目こぼしもいいと思うの」

 まんまと口車に乗ってしまったと今言が気付いた時には、優秀な侍女がもう荷物を運んで来ていた。

 年嵩の二人は両脇から今言の肘を確保してけして逃がすまいとにっこりと笑顔で挟み込む。

 今言が焦って左右に視線を振ったその端目はしめに、背後で慌てる佳鈴声と雲手弱の姿が入る。

 ここで今言が嫌がれば、今度は健気な同僚達が進んでお姉様方の玩具になるだろう。

 今言は生唾を飲み込んで意を決し、体の力を抜いた。

「ちゃんと綺麗にしてくださいね」

「もちろん」

「男なら全員が振り向くようにしてあげるからね」

 従順な遊び相手を首尾よく手に入れたお姉様方は、そこだけならとても優しいのだろうと思わせるような微笑みを浮かべた。

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