農民

 統木すばるきの花嫁は船の後ろ端、船尾を抱く御神体の根本に訪れる。

 海勇魚船わたないさなふねに設えられた田畑は面積が限られており、農民の多くは統木からの採集を主な仕事としているので此方の方が会える人数が多い。農民達は下から見ると山にしか思えない姿の御神体の樹道を登って行っては、実や葉を籠一杯に背負って降りて来る。

「んー、いつ見ても大きいですね。人が住めそうです」

 今言いまことは背中を反らして御神木が空へと伸びる先を見上げるが、その樹冠は全く見えない。それどころか生い茂る葉の空見代そらみしろでは夏の陽射しも随分と威勢を削がれている。

「住むや?」

「いえ、とっても畏れ多いので遠慮させてください」

 花嫁は自分の申し出を断られて少し不満でむっとする。自分の中に可愛い人間が住んでくれたらきっと楽しいだろうにと期待したのに梯子を架ける前に外されてはやるせない。

 二人は根の膨らみに足を乗り上げてせっせと働く農民達の方へと近付いていく。

「うえっ、花嫁様でねか!」

 動き回って体が火照るから男も女も関係なく衣をはだけている中に入って行けば、きちんと肩まで衣に包まれている花嫁や女房の姿は大変目立って、最初に気づいた農民は驚きの声を上げた。

 花嫁は掌を相手に見せて楽にするように示すが、神を前にした人々はごく自然に作業の手を止めて両膝と両手を地面に付ける。

 こうなると花嫁がいくら言っても逆に相手が恐縮して態度が強張っていくので、花嫁は今言の顔を見詰めて助けを求める。

 今言は頼もしく頷き返して一歩前に出て声を張る。

「はーい、皆さんご苦労様です。花嫁様がお話したいそうなので休憩入れる人は付き合ってくれますか?」

 今言の気安い声に伏せていた人々は顔を見合わせて男性が一人、女性が二人おずおずと近付いて来た。

「おらでもよけ?」

「よいです、よいです、よろしくお願いしますです」

 今言はそのまま花嫁と農民の間に入って会話を取り持つが、花嫁の言葉は難しいし農民の方は訛りが酷いし、やっと話が纏まった時にはすっかり疲れてしまった。

「ウチ、いい教育をしてもらえてたんですね」

「さに」

 今言が喜んでくれれば貴族に教育を頼んだ甲斐もあったと花嫁は満足そうに頷く。受けたものに感謝出来るのは人として幸せな事だ。

「こどばがきたねくってすいません」

「あ、いや、そんなこと言ったらウチは言葉覚えたのも最近ですし、気になさらないでください」

 男性に頭を下げられると今言は困ってしまう。今言だって花嫁に拾われる前は人間として扱われてなかったくらいなのに、偉ぶっているように思われたくはなかった。

ことが扱えずにあるらむ」

 そこに花嫁が口を挟むと、今言も男性も言葉を失ってしまう。そも誰もが花嫁の発言の意味が今一つ分からなくて、どう返事をしたものかも分からない。

「よし、言葉遣いはみんな気にせずで。まずは田んぼ行きましょう」

 今言はこのままじゃ埒が開かないと気付いて花嫁の手を掴んで移動を開始する。しかしその行き先がまるで見当違いで農民三人が慌てて呼び戻した。

 そうやって案内されたのは海の上に広がる神樹の根だ。

 隙間なく絡み合った巨大な根は平らになっていて陸の田んぼと同じように畔を切られて内側に水が張られている。その田に青々と稲が伸びている。

「これって土入れてないんですよね? すごい元気に稲育ってますけど」

 祖国から運び込めた土は他の作物に使われていて、田んぼに回せる量はなく稲は水耕栽培が行われている。

 植物は土から栄養を吸い上げて育つと思っている今言は陸地と変わらないように見える稲の姿に農民達の努力を見た思いがする。

「統木様のお陰です」

 女性の一人がそう言って田んぼの水に手を突っ込んだ。それで稲の根本を掴んで引き上げると細い根っこが白い綿に絡みついている。

 これは神樹の葉から取り出した繊維だ。海勇魚船の民はこの神樹の繊維から布も織っている。

「統木様の綿を田んぼの底に敷くことで土とおんなじように稲が根を張ってくれるんですな。水だけだとすぐ揺れたり倒れたりしたんですけども、こうやるときちんと立っててくれます」

 稲を育てるための創意工夫に花嫁も深く感心する。人の生き抜く力はやはり素晴らしく、その生に寄り添う自分の在り方に改めて喜びを得る。

「如何ほど取らむや?」

 花嫁が農民達に声を掛けると三人揃ってきょとんと動きを止めてしまった。

 今言は自分の額を人差し指でとんとんと叩いて脳を働かせる。

「収穫はどれくらいになりそうですか、であってます?」

「しか」

「あってるんですね。どうですか?」

 今言に翻訳してもらった言葉を聞いて、農民達は顔を見合わせている。

 どうにも言い難そうな表情だ。

「ありのままに」

 花嫁は正直に話してほしいと念押しをする。

 そうまで言われては彼人かのとらも黙っている訳には行かなった。

「海の潮は稲によくねです。浜っぺりは山の田よか取れる量がはじめっから少ねけんじょ、土もねくってば取れる米も大したこどねと思います」

「一枚の田んぼで取れる量が少ないからって、田んぼ増やす土地もないし、他のもんも育てないとならないし……」

「米がいるのは分かってます。でもうちの人達はみんながんばってます」

 三人揃って沈痛な顔で語るのが、花嫁は痛ましかった。

 海勇魚船は祖国を出る前に千人が三年生きていけるだけの米を積み込んでいる。しかしそれはたった三年の猶予の内に収穫を上げなくてはならないという話だ。

 陸地であっても未開の地で収穫を上げるのに三年は厳しいのに、土も満足にない船の上でそれを為せというのは大きな重圧であろう。

 現状、漁民による魚の収穫によって備蓄を確保しつつ食事は賄えているが、それもまた農民達にとっては肩身の狭い思いを強めている。

 米の他で何か上手くいっている作物があるかと訊くと、もやししかないと答えられた。

 船の暗くて涼しい部屋はもやしの生育にちょうどいいらしい。しかしそれももやしとなる豆を育てるのには、苦労が掛かっている。

「豆は日の当たるとこに葉綿敷いて撒くだけで育ちますから、もやしの種も取れてはいます」

 それでも豆自体を食べる程は取れていないのだろう。花嫁も今言も食膳に新鮮な豆が上がってきた覚えはない。

 こうも苦労を掛けてしまっては花嫁は心苦しくなる。

 花嫁は今言を通じて、今日の朝議で田の面積を確保するために根を広げるつもりだと伝える。

 すると農民三人は困り顔になってしまった。

「田が作れるとこが増えるのはありがたいこどですけんじょも」

「そうすると御神木の実りがなくなるのは困ります。そしたら、おらたちのやることなくなりますもの」

「田んぼ作る根もすぐに広がって手が入れられるでないんでしょう?」

 なるほど、と花嫁は彼人らの意見を聞き止める。

 神樹の恵みを収穫するのが今の農民の仕事であるから、根を広げるために実を付けるのを止めれば仕事がなくなってしまう。そこに不安を抱くというのは話を聞かなければ分からなかった。

 これは明日の朝議でまた話し合いに上げなくてはいけない。

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