行掛
朝議を終えると
無惨に床に投げ捨てられた衣を侍女達がせっせと拾い上げていく。二人でぴしっと衣を伸ばしてからそのまま慎重に運び、伏籠の木組みに被せて重ねる。
衣に焚き染められるのは神樹から削られた香木だ。自分の着るものに自分の本体を焚いた香りを付けるというのが、いつも人間は奇妙な事をさせるものだと花嫁は思う。それに船内の光が届かず自然と
しかし祖国を出航してすぐにそれを口にしたら女房と侍女が結託して散々に批難を受けたので、それ以来ずっと口を噤んで睨むばかりにしている。
そこに襖を開けて一人の女房が入室して来た。
「今日のご予定はお決まりですか?」
「農の民の所へ行かむ」
「お出かけですか。お供しますね」
衣も一枚になって身も軽く、気の置けない女房だけを連れて歩けば心も軽く、それが足取りにも反映されて肩も浮かび上がる。
「皆が
「んと……いやぁ、むしろウチはお貴族様方に怒られっぱなしでしたし、これも他の喋り方が出来ないだけで気持ちはみんなとそう変わらないですよ?」
今言の女房も他の女房と同じく身売りの元から花嫁に召し上げられた者であり、言葉も一年前に習っただけだ。今言はその前にまともな知識もなかったのが逆に幸いして言われるままに今様の言葉遣いは身に付けられた。
鈴声は今言と違って話し言葉は苦手にしているけれど、花嫁に不可欠な和歌には天性の才を見せた。
それぞれの素質で立ち回り、不得手は互いに補い合う女房達の立ち振る舞いを花嫁は日頃から好ましく眺めている。
「佳鈴声は如何にや?」
花嫁は外へ出る道すがら、朝議の後に見掛けなかったお気に入りの女房の様子を今言に訊ねる。
花嫁に続いて階段を登り切った今言は午前の日射しに目を細めて、言い難そうに口をもごもごと動かした。水に囲まれているのにじわりと暑くて背中に汗が滲んでくる。
「えーと、寝込んじゃってますね」
「なぞ」
鈴声は体が弱い。
花嫁はそんな彼女を心配して栄養の高い統木の実をたくさん与えているのだ。
「いや、ふしぎではないですね。いっぱいいっぱいになっちゃったんですよ」
「む?」
「あれ?」
神から手渡しで、しかも御神体に生った実を頂いて気弱な鈴声は熱を出してしまった。それを分かってないのかなと思って遠回しに説明をしたのだけれど、花嫁の反応を見るとそうじゃなかったらしいと今言も気付く。
「ウチ、また翻訳間違えました?」
「さな」
花嫁がさっき漏らしたのは感嘆であったのに、今言は『謎』と言われたのだと解釈してしまったのだ。
今言が習った言葉と違って花嫁の言葉は古めかしい。畏れ多い事ではあるけれども、
「でも、ウチらの言葉聞き取れますのに、お話するのは今様になりませんね?」
「慣れよ」
「慣れだと仕方ないですね」
今言も習って慣れた言葉でしか話せないから、花嫁が古き言葉で話してしまうのも仕方ない。
しかし花嫁は自分が話すのは古の言葉でも、今様の言葉を聞いて内容を取り違える事がない。
花嫁も
「でもそれなら、今の言葉も話せるように慣れるのも出来ません?」
「なかなか馴染まぬにや」
「古い言葉ってたまに語尾がかわいいですよね」
今言は興味を移してにゃーにゃー鳴き始める。この移り気ながらその場その場で楽しむ今言の性格は、花嫁も見ていて飽きない。
それに花嫁に対しても物怖じをしない彼女は誰とでも気軽に会話が出来るので、普段触れ合わない民と交流する時の橋渡しとしてとても助かっている。それに出掛けるのも好んでいるので何処に行くのでもすぐ付いて来てくれる。
「今言」
「はい?」
「よしなに」
「ええ、なんですか、急に。よしなに、よしなに」
照れているのかそれともこれも楽しんでいるのか、今言は花嫁が授けた言葉を抑揚を付けて何回も繰り返す。その律動に合わせて足も跳ねさせて、床を鳴らす音が拍を取っているくらいだ。
そんな足取りでは滑って転びそうだと思い、花嫁はどう言えば今言にきちんと伝わるだろうかと悩む。
そして悩んでいる間に波が勇魚船を大きく揺らし、今言は花嫁が心配した通りに足を滑らせて強かに頭を床に打ち付けていた。
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