婚約破棄され傷心で召喚した精霊と旅にでました 王族の彼と出会って溺愛されてます

藤森かつき

婚約破棄され傷心で召喚した精霊と旅にでました

「魔法も持たない役立たずめ! 君との婚約は破棄だ」

 

 とある貴族の夜会、公衆の面前で、ティナシェリンは婚約者のバラスから突然の婚約破棄を告げられた。

 

 バラスは富豪貴族スヴェル家の御曹司。

 ティナシェリンは上級貴族ダンクス家の令嬢だ。家系的に魔法の才能が高いことを評価され、小さい頃からバラスと婚約していた。

 

「……そんな」

 

 ティナシェリンは薄茶の瞳を見開き、小さな声で呟いた。長い銀の髪は夜会のために結い上げて、綺麗に飾られている。衣装も、精一杯の華やかさだ。

 

「いつまで経っても、魔法の特別な力も芽生えてこない。いい加減、愛想が尽きた」

 

 皆の前で婚約破棄を宣言し、更に追い打ちをかけるように言い放つ。そして、バラスはすごい魔法を操ると評判の美人令嬢の元へと歩み寄って行った。彼女と新たに婚約する算段のようだ。

 

「あいつときたら、庭木の世話くらいしか才能がない」

 

 まだ、ティナシェリンの悪口を声高に言っている。最近は、スヴェル家の侍女代わりにき使われていた。他に何もできないからと、庭木の世話もさせられていた。

 

 ティナシェリンは、とぼとぼと夜会の場から引き上げる。ダンクス家の馬車は何台もあるので、小さな馬車でひとり帰宅の途についた。

 

 

 

「しばらく旅にでて、ほとぼりさめた頃に戻ってくるといいわ」

 

 母はコッソリと資金をくれた。公衆の面前で恥をかかされたと、父は憤慨しているらしい。

 婚約破棄されたことで、ダンクス家自体が注目され、非難の的となっている。簡単な魔法も使えない娘を輩出したことで、魔法の才能を誇ってきたダンクス家の面子メンツは丸つぶれだったらしい。

 

「明日の朝、早くに旅立ちます」

 

 ティナシェリンは母に告げ、自室へと戻った。

 

 常なら世話をしてくれる侍女が来るのだが、誰もこない。

 仕方なく、ティナシェリンは自力で髪飾りを外し、結われた髪を解き、華やかな衣装を脱いで部屋着に着替えた。

 

 

 ティナシェリンが得意なのは歌うことだけ。でも声が小さいし、とても歌手にはなれない。夜会で披露して脚光を浴びるなど、とても無理。

 

 それでも、哀しみの最中でも、自然に唇をついて歌が流れでる。

 小さい声で、天から授かるように次々と綺麗な旋律に言葉をのせて歌った。

 

 不意に、目映まばゆい光が炸裂した――。

 

 精霊召喚!

 

 そんな事象が頭の中に、華やかな旋律と共に鳴り響いている。

 

わたしを召喚したのは、お前か、魔歌まがうた使い?』

 

 魔歌使い? ティナシェリンは、首を傾げながら声のぬしへと見上げる視線を向ける。

 部屋中を魔方陣めいた光で満たしながら、長い透き通るような緑の髪を舞わせ、豪奢な白緑と金の衣装をはためかせる存在が宙に浮いていた。綺麗なかお、とてもほっそりと整った容姿で、美しい緑の眼をしている。

 

「わたしが召喚したの? あなたは、精霊?」

 

 召喚魔法など知らない。なぜ、召喚できてしまったのか、まったく心当たりがない。

 

『私は、風の精霊ペグラスタ――。お前の生ある限り、なんなりと願いを叶えよう。契約しろ』

「わたし、ティナシェリンよ。ティナシェリン・ダンクス。魔法なんて使えないのよ?」

『魔法など、お前の手足となって私が使ってやる。契約しろ』

「わたしと契約だなんて。ペグラスタさんに良いことあるのかしら?」

『お前の歌が聴ける。契約しろ』

 

 ペグラスタは、契約しろ、と繰り返す。なんだか必死な様子が好ましく、ティナシェリンは、ずっと心で泣いていたのに、満面の笑みになっていた。

 

「歌でいいの? それなら、契約します」

 

 言葉を継げると、パァァァッっと、再び光が炸裂してティナシェリンを包み込む。契約成立となったらしいと分かった。ただ、もの凄い疲労感が襲いきた。夜会で疲れていたのだろう。意識を手放して床にくずおれた身体を、風の精霊ペグラスタが寝台へと運んでくれたのだと夢の中で知った。

 

 

 

 翌日、少ない荷物を手にし、誰にも挨拶することもなく、ティナシェリンは二階の窓から風の精霊ペグラスタに連れられて旅にでた。

 銀の髪はゆるく三つ編みにして、衣装は快活で動きやすいもの。飾りっ気はない。

 

「わぁ、すごいわ。空を飛んでる」

 

 風の精霊ペグラスタが、ティナシェリンの身体を姫抱きにして空を飛んで行く。少ない荷物も浮かして持ってくれていた。

 わくわくするし少しも怖くない。建物が道が、みんな小さくなって景色がどんどん変わるのが気持ちいい。

 

『このくらい容易たやすいことだ』

 

 契約したペグラスタは、機嫌の良さそうな綺麗な声で囁く。

 

 ペグラスタの姿は、ティナシェリンにしか見えないらしいから、抱っこされた形だが、単独で浮いているようにしか見えないだろう。

 ただ、かなり上空なので、誰の眼にも留まらないはずだ。

 

 ティナシェリンは運ばれて、心地好く風を受けながら、小さな声で思うままに歌っていた。ペグラスタは、歌を聴くたびにますます機嫌が良くなるし、力も増すようだ。

 

 野を越え山を越え、見知らぬ土地へと運ばれて行く。海が見え、綺麗な山脈やまなみも視界へと入る。春先のこと。ただ、この辺りも、まだまだ寒そうだ。遠くの高い山の頂上は雪化粧のままだった。

 それでも、太陽の光をいっぱいに浴びて丘の斜面などには野の花が咲き始めている。

 

「あ、お花、咲いてる!」

 

 かなり上空を飛んでいるのに、不思議と地上の小さな小花が見えている。湖の近くの素敵な野原だ。

 きっと風の精霊ペグラスタの力が作用しているのだろう。

 

『降りてみるか、ティナ?』

「ええ。とてもキレイな風景よ。可愛いお花も咲いてる」

 

 風の精霊ペグラスタは、なんでも願いを叶えよう、と、言ってくれている。ティナシェリンとしては、楽しく旅ができれば、それで充分、というところ。

 ティナシェリンの望みのままに、お勧めの土地へと案内してくれているようだ。

 

 地上へふんわりと降りたち、野の花の咲く原っぱの日溜まりで、ティナシェリンは、また小さく歌い始めた。

 背後で、風の精霊ペグラスタが機嫌良さそうな気配をさせている。

 

「空を飛んでたよね?」

 

 と、不意に誰かが近づいてきて、麗しい声で訊いた。

 見られてた!

 

「え? 気のせいなんじゃない?」

 

 ちょっとおどおどと、挙動不審になり首を振りつつ、うつむいて小さな声で告げる。

 

「隠さなくていいよ。一緒に飛べたら楽しいだろうね」

 

 笑み含みの声に、どきどきしながらティナシェリンは、声のぬしへと視線を向けた。長くさらさらで綺麗な金髪を首の後ろで束ねた、恐ろしいほどの美貌の青年だ。

 綺麗な青い眼。好奇心に満ちた視線をティナシェリンに向けていた。

 

「それに、歌! とても素敵だよ。花が一斉に咲き始めた」

 

 ティナシェリンの歌で、花が咲き始めたと青年は嬉しそうだ。

 昔から、ティナシェリンが歌うと、植物の育ちが良くなる。

 湖の岸辺、少し小花が咲いていた程度だった野原は、確かに野の花が咲き乱れていた。

 

「ありがとう。歌うの好きなの。わたしティナシェリン」

 

 ティナと呼んで、と、小さく言葉を足した。

 

「僕はルティルド。ルティでいいよ。この近くの宿に泊まってるんだ」

 

 にっこりと笑みを浮かべると、ルティルドの美貌は凄まじい威力となった。くらくらする。

 

「ひとり旅なんて、危険じゃない?」

 

 ルティルドは心配そうに訊いてきた。空をひとりで旅していると思われているようだ。

 

「ペグラスタさんがいるから大丈夫!」

「ペグラスタさん?」

 

 ルティルドは、キョロキョロと辺りを見回している。

 

「風の精霊よ? あ、やっぱり見えない? ねぇ、姿見せてあげて?」

 

 ティナシェリンは振り向いてペグラスタの貌を見詰め、小さな声で懇願する。ダメかな? ティナシェリンは、伺う視線を向けた。なぜだかとても、ルティルドに風の精霊ペグラスタを見せてあげたい。

 

『構わない。ティナの望みは、なんでも叶える』

 

 満面の笑みでペグラスタは応え、風に巻かれるような雰囲気をさせた後で姿をルティルドに見えるようにしてくれた。

 宙に浮く身体。透き通るような緑の髪が、風に揺れる。

 

「わぁ、風の精霊! すごいね! 暖かい春風に満たされて気持ち好いよ」

 

 ティナの歌を精霊さんが増幅したのかな? と、ルティルドは小さく呟き足している。

 何気に色々と見破られているようだ。

 それからおもむろに、浮いている風の精霊ペグラスタへと、ルティルドは見上げる視線を向けた。

 

「ティナは、ペグラスタさんのもの?」

 

 何を思ってか、ルティルドはペグラスタに訊いている。

 

「いや、私はティナのものだが、ティナは私のものではないよ」

 

 ペグラスタの応えにルティルドの綺麗な顔は、一気に希望に満ちた表情になる。

 

「ほんと? じゃあ、僕がティナに結婚を申し込んでもいいかな?」

 

 ペグラスタへと向けていた視線を、今度はティナシェリンへと真っ直ぐに向けて訊いてきた。

 唐突なのだが、ルティルドの綺麗な顔にずっとれていたティナシェリンは、嬉しさで身体が満ちるのを感じた。

 

「え? 結婚してくれるの? でも、どうして?」

 

 毎日ずっと眺めていたくなるような綺麗な顔、それになんとも不思議な雰囲気の青年だ。もてもてに違いない。なぜ、なんの取り柄もないようなわたしと結婚しようと思うのだろう? と、ティナシェリンは不思議でならない。

 

 今だって軽装で、髪も三つ編みで結い上げてもいない。

 

 とはいえ行く所のないティナシェリンには、嬉しい申し出だった。

 

「毎日、ティナの歌が聴きたい」

 

 ルティルドはティナシェリンの手を取り告げる。

 思い通りの成り行きだったらしく背後でペグラスタが上機嫌になっているのが分かった。ルティルドに出逢わせたいから、ここに連れてきたようだ。

 

 風の精霊ペグラスタの引き合わせてくれた縁であるなら安心だ。

 

「はい! 嬉しいです!」

 

 ティナシェリンは了承して、ルティルドが新たな婚約者となった。

 

 

 

「それじゃあ、住む所が必要だよね」

 

 ルティルドはティナシェリンの手を取ったまま思案気にしている。

 ティナシェリンは、住む所も身分も、どうでも良かったから、住む所と聞いて小さな借家を想像した。小さなお家で、庭木を育てながら歌って愉しく暮らせたらそれで良いように思う。

 

 だが、ルティルドは全然違うことを考えていたようだ。

 

「お城買う?」

 

 次にルティルドの唇をついたのは、そんな言葉で。

 

「お城ぉぉ?」

 

 ティナシェリンは思わず声をあげ、吃驚びっくりしてひっくり返りそうだった。

 

「あの丘の向こうに、朽ちかけた城があるんだ。修理したらどうか、って、ずっと思ってた」

『では見に行こう』 

 

 ルティルドが場所を示したことで、風の精霊ペグラスタが反応した。気づけば、ティナシェリンと荷物とルティルドをまとめて空に浮かべて飛んでいる。

 

「あっ、すごい。僕も運んでくれるんだ! ティナと一緒に空が飛べて嬉しいよ」

 

 ルティルドは風の精霊ペグラスタへと嬉しそうに告げた。

 丘の向こう、ちょっと小高いところに朽ちたような城が建っている。

 ルティルドが言っていた城には、すぐに着いた。朽ちかけた城の入り口に、皆で下り立つ。

 

「わぁ、大きなお城! ほんと、ちょっと崩れてる」

 

 今は誰も住んでいないらしい。ティナシェリンは、ぱたぱたと走りながら、あちこち確認して回る。ルティルドはピッタリ後を着いてくる。

 すぐに使えそうな部屋もあった。

 周囲の壁も城壁も修繕は必要だけれど、修理しなくても見晴らしが良くて素敵かもしれない。

 

「あの……、このお城、買うことなんてできるの?」

 

 崩れたところが大半で、古びているというか廃墟めくが、眺めが良くってティナシェリンは、すっかり気に入ってしまった。

 

「この辺りを管轄する有力貴族のところに行けば、手配してくれるよ?」

 

 ルティルドは、にっこり笑って応える。何やらあてがあるらしい。

 

『では行こう』

 

 風の精霊ペグラスタは、ふたりを連れ、早速さっそく移動を始めている。

 

「あ、あの、わたしそんなにお金持ってないの……」

 

 ティナシェリンは慌てた声をたてる。母からもらった資金では、さすがに城を買うなど無理だ。

 

「心配ないよ。全部、僕がだすから」

 

 

 

 有力貴族ソジュマ家の城へ到着し、ルティルドは何かを門番に見せていた。慌てて、使用人らしきが何かを知らせるように城内へと駆け込んで行く。

 他の者が丁寧に、ティナシェリンとルティルドを案内して城内へと入った。

 

「ようこそ、いらっしゃいました、ルティルド様! わたくしが、ソジュマ家の当主ライヌシュトでございます」

 

 ライヌシュト・ソジュマは、ルティルドへと丁寧な礼を取った。有力貴族は王族由来の、全国に五家しかない大貴族だ。ほとんど頂点に近いような貴族なのに、ルティルドは何者なの? ティナシェリンは、訳が分からないまま、遣り取りを見守る。

 

「フィシャの丘に建つ城を買いたいんだけど」

「ルティルド様が、ご城主ですか?」

「いや? 僕の婚約者、ティナシェリンが城主」

 

 ルティルドは、にっこり笑みを向けて告げた。

 え? わたし? と、ティナシェリンは吃驚びっくりしたが、「ティナシェリン・ダンクスです」と名乗った。

 

「了解いたしました。では、ダンクス領ということですね。フィシャ城の領地と共に手続きいたしましょう」

 

 ルティルドではなく、ティナシェリンが城主と分かってソジュマ家の当主ライヌシュトは安堵している様子だ。

 今訊くのは良くなさそうなので、後でルティルドに事情を聞いてみることに決めた。

 

 

 

 あっという間に手続きは完了し、ティナシェリンは、城と領地を統治する身となっている。

 ルティルドは大金を支払ったようだが涼しい顔だ。

 

「随分と安かったんだよ。予定の四分の一くらいだった」

 

 風の精霊ペグラスタに連れられ朽ちた城に戻ると、ルティルドはそんな風に伝えて笑みを深めた。

 ティナシェリンのために城と領地を手にいれたルティルドは、とても満足そうな表情だ。

 

 ここは領地も城も、所有者一族が滅びてしまい、ずっと放置されていたらしい。

 城は修繕が余りにたいへんだし、領地も人家が朽ちて崩れ、農地も荒れ放題だ。領地付きの城とはいえ、現状は廃墟一帯を手に入れたという感じだ。

 

「ああ、でも、とても素敵な眺めね」

 

 城の正面側からは、湖と山とが見えている。他の方向は、領地が延々と続く。

 朽ちる寸前のようなボロ城だが、ティナシェリンは心癒やされる思いだった。

 ゆっくりと手間暇かけ、少しずつ修繕して行こうとティナシェリンは考える。

 

 余りに景色が素敵なせいだろうか?

 ティナシェリンは、不意に言葉と旋律を授かったように歌いだした。

 小さな声が、天からの授かりものの綺麗な旋律で不思議な歌詞を歌い上げる。

 風の精霊ペグラスタは、すかさずティナシェリンの歌声を増幅させ始めた。

 

 歌声は、キラキラ光りながら城を包みこんで行く。見る間に、城が若返って行く。歌いながら、ティナシェリンは、驚きに瞳を見開くが、歌を止めることができない。ふりそそいでくる旋律と言葉とを、次々に歌いあげている。

 

 城は、あっという間に栄華を誇っていた当時の姿を取り戻し、続けられる歌によって更に豪華に装飾されていった。

 

『さすがだ魔歌まがうた使い! 見事な歌だ』

「すごいよ、ティナ、とても素敵な歌だった! 驚いたな、城が一気に甦ったよ!」

 

 ルティルドはティナシェリンの手を取って豪華になった広間で踊り出す。

 

「これ、わたしが?」

 

 くるくる回りながら、ティナシェリンは驚きの声をあげた。どこもかしこも、すっかり素敵で豪華な城に変わっている。

 城は、建てられたばかりのような新しさで、調度類なども美しく整っていた。

 修繕が必要な箇所など残っていない。

 ルティルドは一曲分踊ると、ティナシェリンを抱き締める。

 

「ティナの歌を聴くと、とても幸せな気持ちになるよ。末永く共に暮らそう?」

 

 

 

 手をつないだままのふたりを、風の精霊ペグラスタはルティルドの指定する宿へと運んでくれた。

 城は住むことが可能な状態にはなったが使用人もいないし、鮮度良く保たれた状態の食材が大量にあっても調理人がいない。

 

 たどり着いたのは、こぢんまりとした居心地の良さそうな宿だった。ティナシェリンは、一目で気に入った。ルティルドが泊まっている宿らしい。

 しかし、城が楽勝で買えてしまう者が泊まるには、小さく普通の宿だ。

 

「お金持ちなのに、どうして、普通の宿屋に?」

 

 ルティルドなら、いくらでも高級宿屋に泊まれるはずだ。

 とはいえティナシェリンにとっては、とても落ちつく感じで、ホッと息をつくことができた。

 

「ここ、食事がすごく美味しいし、宿の人、みんな親切だからね」

 

 食事の用意をしてくれてる間に、ティナシェリンを食堂に残し、ルティルドは一旦、部屋へと戻って行った。

 

「ルティ、ずっと泊まっているの?」

「ええ。とても、良くしてもらってます」

 

 卓へと食器などを準備しながら、宿の主人は満面の笑みだ。

 

「不思議な人ね、ルティって」

「彼は王族ですからね。変わったところもあります」

「そうなの?」

「知らなかったんですね。まぁ、無理もない」

 

 宿の主人は微笑ましそうな表情だ。

 

「あ、バレちゃった?」

 

 部屋から戻ってきたルティルドは、宿の主人が王族とバラしたことに気づいたようだ。

 

「でも、王位継承権とかないし、義務もないから身軽だよ? ただ、王族の権利としての資金はタップリあるから、ティナにどんどん寄贈するね。街のために役立てて?」

 

 ルティルドは持てる財力を、すべてティナシェリンへと注ぎ込もうと決めたのだそうだ。

 それに、ルティルドは王族でも裏王家の血筋なので、表立って城主にはなれないとのことだった。

 

「最初の五年は税の徴収なし、家も空いてるところは好きに住んで、改造も開墾も自由、って感じで求人したらいいよ」

 

 資金は心配いらないよ、と、食事をしながらルティルドはそんな風に囁いた。

 

 

 

 案内されてティナシェリンが部屋に入ると、豪華な衣装がたくさん持ち込まれていた。専用の棚にズラッと吊されている。

 思わず廊下へ出て、隣の部屋の扉をノックする。ルティルドの仕業に違いない。

 

「あの衣装……どうしたの?」

 

 近くに店があるとも思えない。薄茶の瞳をみはりながら訊く。

 

「ティナにピッタリそうだから、出しておいたよ。是非着てほしいな」

 

 ティナの綺麗な銀髪に絶対合うよ、と、にっこり笑ってルティルドは言うが、いつの間に調達したのか全く謎だ。

 せっかくなので、部屋着によさそうな衣装を身にまとう。

 

 軽く髪を結おうとすると、風の精霊ペグラスタの力がティナシェリンの指の動きに反応したようで、一瞬で希望の形に結い上げ゛られていた。

 

 

 そして、求人? と、ずっと頭の中に言葉が回っている。その思いに応えるように、旋律と言葉が降ってくる。

 ティナシェリンは、窓の外の張りだしへと出て小さい声で歌い始めた。

 風の精霊ペグラスタは、ティナシェリンが歌うと力を得る。歌を風に乗せてあちこちへと届け始めた。

 

 歌に気づいて隣の部屋からルティルドが出てきた。張りだし部分はルティルドの部屋とつながっている。

 

 ルティルドは、張り出しに置かれた椅子に座り、ティナシェリンへと熱っぽい視線を向け、うっとりと聴いてくれている。

 どんどん旋律と言葉が、舞い降りてくるから歌わずにいられない。

 

 

 歌い終わるごとに、ルティルドはティナシェリンを抱き締めた。全身から力が抜けてくずおれてしまうせいもある。ルティルドの腕に包まれると、歌での消耗が癒やされる。

 

「ありがとう、ルティ」

「お礼を言うのは、僕のほうだよ。ティナ、すごく素敵だ」

「歌を気に入ってもらえて嬉しい」

「歌もだけど、ティナが素敵」

 

 ぎゅっと抱き締められながら、不思議な気分。幸せな思いが満ちて、また歌いたくなる。

 

 

 

 数日もしないうちに、たくさんの者たちが城を訪ねてきた。

 城をみて、みな大歓喜だ。

 

「良くこれまでに、修復なさいましたなぁ?」

「おおっ、城が甦った!」

「なんと! 素晴らしい!」

わたくし共は、かつて、この城にお仕えしていた者たちの末裔です」

 

 散り散りになってあちこちの土地で暮らしていたらしいが、歌が聞こえ求人を知り城を目指してきたのだそうだ。少しずつ集う者が増え、城にたどりつくころには、かつての同僚の子孫同士であることを知ったらしい。

 

「どうぞ、城で働かせてください」

 

 訪ねてきてくれた城の使用人の末裔たちは、口々に懇願する。

 人手が足りなくて困っていたから、大助かりだ。特に、家令の末裔である、やり手の若い執事が領地の管理も含めて采配を振るってくれることになった。

 

 

 

 ティナシェリンは、また歌いだす。風の精霊ペグラスタは、ティナシェリンの歌に力を得るし、歌の効力を満遍なく領地に届ける。

 ルティルドは、ティナシェリンにつきっきりだ。歌い終わると、倒れてしまわないように、いつも抱き締め力をくれた。

 

 

 ティナシェリンは、相変わらず、何の魔法も使えない。天から授かるように降ってくる旋律と言葉を歌うだけだ。ただ、風の精霊ペグラスタが、それを増幅すると、とんでもない効力を発揮する。

 

 

 毎日毎日歌うたびに、農地は耕され、栄養たっぷりの良い土になった。朽ちた家は甦り、新築だった頃のたたずまい。井戸や水路も、かつて栄えていたときの姿を取り戻した。

 

 あっという間に、豊かな農村風景が拡がった。そこへ、求人の知らせを受けて人が次々に来る。執事は、名簿を造りながら、テキパキと手配した。

 

 

 廃墟だった領地も城も、かつての姿を取り戻した。あっという間に賑やかな街になって行く。

 

 商売したい者もやって来た。街に相応ふさわしいような、かつての店舗物件もたくさん甦っていたから、商店街もすぐに整う。

 

 

 

 執事は、素晴らしい働きで、最初の五年間は税を徴収しない、とか、ティナシェリンたちの決めたことを、忠実に反映させて行く。後から土地に来た者も、最初の五年は免税だ。

 

 家と土地は貸し出しだけど無料。五年後から税を払ってくれればいい。

 どこに誰が住んでいるか住民票も作られ、不都合がないように見守ってくれている。

 

 

 

 日々、小さな歌声は増幅され領地中に拡がった。植物たちは生き生きと育つ。

 

「庭に果樹を植えておきましょう? いざというときのために」

 

 城壁のなかでも陽あたりの良い場所に、ティナシェリンは果樹を植えた。

 

「でも、実るまでには何年もかかるわね」

 

 愉しみにしながらティナシェリンが頻繁に歌うので、果樹は成長が早い。

 

 

 ルティルドと手をつなぎ、ティナシェリンは領地を歌いながら巡り歩いた。とても愉しい日々が続く。

 

 

 

 実りの季節になると、納税は不要と言っているのに、農地の者たちは次々に実った作物を納めに来た。

 最初の五年間、税は免除と御触れを出しているのに。

 

「どうか収めさせてください」

「姫さまの助けなくして、このような収穫量にはとてもなりません故」

 

 困惑しつつも、ティナシェリンは、暖かい気持ちになる。

 

「全部、買い取ってあげなよ」

 

 ルティルドは、そう言って資金をどんどん出してくれた。

 

「あ、ありがとう! それは良い考えよ。城に蓄えて置けば、いざというとき役にたつもの」

 

 執事に指示し、最初の五年のうちは納税ではなく買い取りにした。

 風の精霊ペグラスタは、納められた品を新鮮なままに保存してくれている。

 

 

 

 ダンクス領地には、商人などもどんどん集まってきて、色々な施設が建ち、賑やかな街になっていった。

 なかなかに豊かな街だ。実りも多かった。

 

 

 

 逆に、富豪貴族スヴェル家や、実家のある辺りの土地は不作続きだったようだ。

 強風に何度も見舞われ収穫は激減。きゅうしているらしい。

 

「実家と、ちゃんと話したほうが良いよ?」

 

 風の便りに不安そうにするティナシェリンへと、ルティルドが促す。

 

「そうね」

 

 母は旅の資金を出してくれたし、父は娘の悪評を受け止め耐えてくれていた。

 

「恩返ししなくっちゃ!」

 

 実家へは、長い感謝の手紙を書く。買い取った農産物とルティルドが用意してくれた金と共に送り届けることにした。風の精霊ペグラスタは、全部まとめて空から一瞬で運んでくれている。

 

 

 

 ティナシェリンを婚約破棄したバラスのスヴェル家は、不正を追求され、領地を半分以上取り上げられる処分を受けたようだ。ティナシェリンの実家が、その土地を得て、不作で路頭に迷いそうな領民には、ティナシェリンが送った食糧を配ったらしい。

 

 

 恥知らずにも、落ちぶれたバラス・スヴェルはティナシェリンのダンクス領のフィシャ城まで、たかりに来た。

 婚約者に戻れと言ってきているが、もうルティルドとの婚儀が決まって幸せに満ちている。今更、戻ることはないし、婚約破棄された貴族を援助している暇もない。

 

「わたし役立たずですから」

 

 ティナシェリンは、にっこり笑みを向けてバラスへと伝えた。

 

 

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