Dance With Time
未明 よあけ
私たちはみんな、注意深く下りていく
第1話 深夜0時、地下50階
「やっぱり…」
社内チャットに送られてきた “断固拒否” の文字を見て落胆する。
この四文字を見るために、定時をおしてこんな深夜まで待っていたってわけ?冗談じゃない。
「モジャくん、会ってくれるって?」
ネオプラ・ジャケットを羽織りながらまさに帰らんとしているキャシーがこちらに視線だけをよこして言った。
「だめ。噂は本当だったみたい。」
「だから言ったでしょ。ま、どうしてもって言うなら覚悟を決めて地下50階まで下りることね。」
深夜に地下50階?
それも徒歩で?
そんなの無理に決まってる。
そう文句を言おうとした瞬間、ビーっと時代遅れな機械音がして、オフィスのドアが閉まり彼女の姿はもうそこになかった。
3033年。“タイニー”・トーキョー。
周囲に目立った建造物がないこの街に立つ、巨大で孤高なこのビルは、世界的に有名な旅行会社【ANY TIME】の自社ビルだ。
社名のとおり「どんな場所にでも」「どんな時代でも」金額次第で自由気ままな旅ができる。
キャッチコピーは “Dance With TIME” 。
創業者のリチャード・ニューマンが死に際に呟いたこの言葉を、後見人の甥っ子であるカルロス・ニューマン初代CEOが社名と共に掲げ始めたと言われている。
入社して7年経つ私もかつてはこのキャッチ・コピーに心惹かれ、どきどきで面接を受けたものだ。もう遠い昔のことのように感じるけど。
まさに“Dance With TIME”ってわけだ。
さて、これからどうしようかと無意識にネームタグをいじる。
「アーシヤ・三影」と名前が印刷されたネームタグ。
かがんだりトイレに行くときにはすこぶる邪魔だ。こんな太古の遺跡を首から吊るすなんて正気の沙汰じゃないとキャシーは言うけれど、それにもちゃんと理由はあるのだ。
同じチームのオリヴィエは、栄光ある延命治療を幾度となく乗り越え、現在は齢150歳を超えている。だから何度言っても私の名前を覚えられない。
けれど、彼はどうしても同僚のことをファーストネームで呼びたいらしく、今でも頑なに同じチームの人間にはネームタグを吊るせと要求してくる。ファーストネームで呼び合う様が、彼の時代でいう「コミュニティーに属する誇り」というものらしい。
正直、ネームリストチップを腕に入れれば、数秒でこのやりとりを終わらせることが出来る。
ただ、彼のその誇りとやらを失わせるには何となくばつが悪い気がして、律儀にも、私(だけ)は今日も古の遺跡を首から吊るしている。
(今から地下50階まで…一体どれだけかかるっていうの?)
そもそもこの事態の発端は開発部のリンタ・イシュバル、 “断固拒否メール”の送り主だ。
天才的な頭脳をもち、あらゆるテクノロジーを駆使できるとかでこの会社に入社したらしいが、その姿を誰一人として見たことがない。
それもそのはず、開発部はこの会社の最高機密事項である“パンドラ・プロトコル”を管理している部署であり、極限まで外部との接触を断たれている。
あちらがこちらに接触するには内部機密の瞬間エレベーターが存在するらしい(あくまで噂)が、こちらがあちらに接触するには徒歩で下る階段しか手段がない。そんな暇な人間はいないので、実質的に外界との接触を避けるにはなかなかの効果があるという話だ。
それでも多くの開発部の人間は、ひと月に一度ぐらいは地上にあがってきて、私たちと同じようにコーヒーブレイクをしたり、近くのダイナーの悪口を言い合うぐらいの交流は許されている。
そしてその中にリンタの姿はもちろんない。
そんな現状も手伝って、彼は同僚から「ヴァンパイア」だの「極度のオタク」だの、酷いときには「顔出しできないレベルの前科者」だの、まぁ好き放題言われていた。
だからキャシーの言う「モジャくん」は100%彼女の思い込みによって形成されたリンタであって、彼女は彼について極度のオタク説を推しているらしかった。
そんなリンタにどうしても確認したいことがあり、午前のうちに面会メールを送っていたのだが、彼からの返信はたった4文字の「断固拒否」。
この言い回しもシンプルにムカつくけれど、午前に送ったメールに深夜になって答えようという態度がさらに癇に障る。
あのねぇ、あなただって一応【ANY TIME】の社員でしょ?
とはいえ、いつまでもここで時間を無駄にするわけにもいかない。
私だってわざわざ人間嫌いの地下の住人と好き好んでアポイントメントを取りたかったわけじゃないのだから。
悔しいし非常にめんどうなのだが、やはり私のなかで“リンタに会いに行かない”という選択肢は無くならない。というより、その選択肢をとれない理由があった。
“—————実は最近、娘さんが生まれてね、”
脳裏によみがえる何気ない一言。
つい数日前「井戸端会議」で聞いた、ありふれた日常の会話だ。
そう、「何気なく」「ありふれて」いるのだが、この言葉の違和感だけは、直接に開発部の人間へ報告しないといけない。
覚悟を決めて、非常階段のドアを押し開ける。
螺旋につながる不気味なほど真っ白な階段は、いくら目をこらしてもゴールが見えない。
さて、現在は深夜0時。
数時間後には、無事リンタに会えているだろうか。そうでなければ困る。自社ビルでの移動中にのたれ死ぬわけにはいかない。
一段、階段を下りてみる。
無機質な作りだからだろうか、予想と反して響き渡るような鋭利な足音は聞こえない。
あぁどうか、この一歩を後悔する時が来ませんように。
「まったく、あっちでもこっちでも私は下ってばっかりね。」
溜め息とともに呟いたこの言葉も、とくにドラマチックに聞こえるわけでもなく、淡々とひっそりと足元へ落ちていった。
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