応援コメント

貧乏なのは自分のせい?」への応援コメント

  • 自分も精神を病んでA型作業所で働いた経験があるだけに、貧乏がすべて自己責任ではないという言葉に救われました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!

    私もB型の工賃で働くしか道がないと大学の進路相談の職員にしつこく言われ続けた時代は地獄でした。
    富を持つことは確かに生半可な努力ではなし得ないことでしょうが、だからと言って貧乏が自己責任というのは絶対に違う。
    この考えが一人でも多くの方に届いて欲しいですね。

    あなた様の幸せを願っております。

  • これ、救いがあるように見えて実は、特定の人間は貧乏から脱出するためには「金持ち(他人)と運に任せるしかない」という、本人の努力不足より救いのない結論のような……
    自分がどんだけ頑張っても無理ということなので……

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    私の別の評論である『「無敵の人」の作り方』では今回語ったような社会的弱者に陥ってしまった私がいかにそこから脱したかについて書かれているのですが、それを踏まえた上でも、私はおっしゃる通り中には金持ちや運に頼らなければ貧乏な現状をどうにかすることができない人がいると考えております。

  • 叹气!
    首先说明,我是悲观主义者。虽然我是来自中国。但是,我个人认为不论什么社会制度。只要人类社会存在,就不存在天堂!
    中国现在也一直在宣扬贫穷就是不努力的论点。但是,真的是这样吗?
    我所在的省份可以说是中国最努力的省份之一。河南!可以说,每个人从在母亲的子宫里就开始努力了。先是胎教!出生后是婴幼儿游泳课!幼儿园开始要上识字班、幼儿数学、美术、音乐等等!小学开始除了上课,做完作业差不多要到晚上八点左右!到了初中,上课就要到晚上八点多!高中三年大多数学生每天的睡眠时间在六个小时左右!就算这样努力,考上中国重点大学的几率还不到百分之二!
    当然学习只能说是努力的一个方面。但是,不考入重点大学,那么就极其容易进入黑企业!每天的工作时间会长达十小时以上!没有加班工资!
    那么,不努力可以吗?当然是不行的。中国的社会还是一个充满欲望的社会。不要说是为了去争取百分之二的几率了!哪怕几率只有万分之一,拼死去努力的人也会前仆后继!
    我记得曾经看威尔史密斯主演的励志电影《当幸福来敲门》以及有村纯架主演的励志电影《垫底辣妹》时。我身边有很多人的观感是“他们好幸运啊!”很少有人认为电影中的人物“很努力!”
    让人惊叹啊!原来考历史只记知识点就可以啊!考数学,物理,化学,只做一些针对性习题就可以啊!这也太简单了吧!
    那像我们把课本一字不漏的背下来,每天四五套习题卷子算什么啊!
    社会主义,封建社会,帝国主义我就不说了。同样像屎一样(原谅我语言的粗俗)!
    人生如果是没有作弊的赌局,那么努力也就是摸牌的过程。富裕还是贫困,其实在摸牌之前就已经决定!








    ため息!
    まず、私は悲観主義者です。私は中国出身ですが。でも、個人的にはどんな社会制度でも。人間社会が存在する限り、天国は存在しない!
    中国は今も貧困は努力しないという論点を宣伝している。でも、本当にそうなの?
    私のいる省は中国で最も努力している省の一つだと言えます。河南!誰もが母親の子宮の中から努力していると言えるだろう。まずは胎教!出産後は乳幼児水泳レッスン!幼稚園から識字クラス、幼児数学、美術、音楽など!小学校からは授業のほか、宿題を終えるのは夜8時ごろまでだ!中学校になると、授業は夜8時過ぎになります!高校3年間のほとんどの学生の毎日の睡眠時間は6時間前後!このように努力しても、中国の重点大学に合格する確率は2%にも満たない!
    もちろん勉強は努力の一方としか言いようがない。しかし、重点大学に進学しなければ、ブラック企業に入りやすい!毎日の労働時間は10時間以上になります!残業代なし!
    じゃあ、頑張らなくていいの?もちろんだめです。中国の社会はまだ欲望に満ちた社会である。2パーセントの確率を稼ぐためとは言わないで!たとえ1万分の1の確率であっても、必死に努力している人は後を継ぐ!
    ウィルスミス主演の励ましの映画「幸せがドアをノックするとき」や有村純架主演の励ましの映画「ビリギャル」を見た記憶がある。私の周りには「彼らはラッキーだ!」という人がたくさんいます。映画の中の人物が「頑張っている!」と思う人は少ないです。
    人を驚嘆させます!歴史試験は知識点だけを覚えておけばいいのか。数学、物理、化学を試験して、ただいくつかの的確な練習問題をするだけでいいです!これは簡単すぎるでしょう。
    それは私たちが教科書を1字も漏らさないように暗記して、毎日4、5セットの練習問題の答案は何ですか。
    社会主義、封建社会、帝国主義は言わない。同様に糞のように(私の言葉の下品さを許して)!
    人生がカンニングのない賭博であれば、努力はすなわちトランプを触る過程である。裕福か貧困かは、実はトランプを触る前に決めていた!

    作者からの返信

    外国人の方のようですが、どうやらちゃんと読んだ上でのコメントをいただけたようで嬉しいです。

    ただ、残念ながら私は中国語がわからないため、追記していただいた日本語訳からしか読み取ることができませんでした。
    ともあれ、中国の大変な状況や、努力しても報われない人たちがいるのだということを伝えたいのだと言うことはわかりました。

    ありがとうございました。

    編集済
  • 通俗道徳の罠ですね。
    日本の近代化と民衆の思想と
    生きづらい明治社会を読む事を
    お勧めします。

    作者からの返信

    ???
    俺に勧めてるのかな?

    だとしたら今は明治じゃなくて令和だから、当時とはかなり状況が違うと思うし、俺以外の人に勧めてるんだとしても、もう少し現代の状況を踏まえた新しい書籍を読んでもらわないと、「でもこれ昔の話でしょ?」ってシャットアウトしちゃう人がいると思うよ。


  • 編集済

    読んで先ず思ったのは、ネット上に限らずですが
    『貧乏(人)=努力不足』と言ってる人達は、『全ての』とは言っていないのではないか?という事です。

    この話題に限った事ではないですが、主語が大きい物言いって、大概が『多くの』という部分が省略されているんだと思います。

    なので、羽川さんが仰ったようなケースの人達は、そこへ含まれていないのだと思います(思いたいです)。

    と、線引して考えると……。
    あながち間違いではないな?と思います。
    肉体的にも精神的にも健常であり、尚且つ家庭環境的にも問題無い者が、貧乏である事を愚痴っていたりすれば、努力不足だろと言われてしまっても仕方無いのではないかなぁと。

    ですが、私の考えとして羽川さんの仰った事を否定したい訳ではなく、この記事の内容については、ほぼ全面的に同意であります。

    ほぼ、とするに留め全面同意でないのは、羽川さんが仰っている様な人達は、正確には『貧乏人』じゃないのでは?と思うからです。
    私の悪い癖で、言い方は悪いですし、また不要に敵を作ってしまいそうな気がしますが……。
    それを恐れずに言うと、正しくは
    「『弱者=努力不足』は、間違い」
    なのではないかな?と、個人的には思います。

    人の区別として『弱者』という語句は、あまり宜しくないのでしょうし、差別と取られるかもですが……。
    仰ってる内容的に、貧乏人というよりか、弱者である気がしてなりません。

    弱者と言うと、貧乏人という意味での経済的弱者の事も含まれてしまうかもなので……より厳密には、『肉体的弱者』・『精神的弱者』となるでしょうか。

    肉体的弱者と言うとヒョロガリをイメージする方もいるでしょうけど、ここで言う肉体的弱者には、五体満足でしっかりとした食事と運動をすれば正常に身体が鍛え上がる健常者は含みません。
    それは、例えヒョロガリであっても立派に強者側です。
    保護されないと生きれない幼い子供は当然に弱者です。

    精神的弱者と言うと気弱だったり怠惰な人をイメージするかもしれませんが、ここで言う精神的弱者には、病院で診断を受け障害認定された者以外は含みません。
    精神面は難しい問題ですのでハッキリとした基準は設けにくいでしょうけど、何処かで線引は必要なので、病院での明確な診断結果が有るか無いかを基準とするのが妥当であると思います。

    そしてもう一つ、家庭環境の問題。
    これはもう不遇であるとしか言えませんよね。

    という、以上の事を踏まえますと……。
    「『運命的弱者』が貧乏であるのは、努力不足の所為ではない」
    となるでしょうか。

    ここで、最初に戻ります。
    特殊事例を除外した場合には『貧乏(人)=努力不足』は資本主義的に正しい気がします。
    弱者でも不遇でもない者が貧乏を嘆いていたところで、貧乏人の戯言だとしか思えませんし。

    して、それが危険思想かと言うと、私にはそう思えませんが……肉体的なものはともかく、精神的・家庭環境的なものは見た目からでは分かりにくく、正確に見抜けない事がまま有るのでしょうし、健常かつ恵まれた者と、弱者かつ不遇な者を混同しがちとなる恐れが有る。
    よって、危険な思想と言える。
    と考えれなくはないですが……そこまで過敏?に、過剰?に判断してしまうと、突き詰めたら世の中何も言えなくなりそうな気がします。
    弱者・不遇者に対する配慮や救済は必要と思いますが、怠惰なだけ、努力不足なだけの者にまで配慮(過剰な気遣い?)をするとなると、それは配慮を通り越し『過保護』ではないでしょうか。
    まぁ只の貧乏人も経済的弱者ですので、それに対し、強者であるのなら弱者へ配慮する程度の事は当然の努めである……とでも言うのであれば、その通りなのかもしれませんが……個人的には、『貧乏人=努力不足』だと、厳しくケツを叩くくらいが丁度良いのでは?なんて思っちゃいますね。

    因みに、不遇である者を運命的弱者、そうでない恵まれた者を運命的強者として定義してしまえば、『強者であるクセに貧乏であるのは努力不足だ』と言えますし、それなら誤解を生まないのかなぁ……なんて考えてもみたり。
    危険思想と断ずるよりか、ここで定義した弱者・強者を明確に区分出来る新しい『語句』が誕生してくれたら良いのかも?と思いました。
    混同と誤解さえ無ければ、危険な思想ではないと言えますし。

    最後に。
    誤解されたくないのでもう一度言っておきますが、羽川さんの主張は正しいと思いますし、ほぼ全面的に同意であります。
    ではでは、長文失礼しました。ぺこり。

    追伸。
    私自身は完全に弱者側ですので、強者として弱者を見下したつもりは一切ありません。



    追記。
    私が言いたかったのは、
    『厳密に分類してやれば、貧乏人=努力不足というのも間違いではない』というだけの事なんですけどね。

    大まかには、羽川さんの主張は尤もであると思いますし、異論もないのです。
    それを、現実が見えてないと言われますと……少し困惑してしまいます。
    私は、弱者に対して努力不足だとは一切言っていませんし……キツイ物言いもしていない筈。

    その指摘の意味するところが
    >貧乏人の中の弱者は例外なんていう意味合いを見出せる人はいない
    という部分にあるのだとすると、世間の皆様ってのは……私が思っている以上に、物事を雑にしか見ていない、という事なのでしょうか?
    雑というか……ん~、乱暴?何と言って良いのか上手く伝えれませんが、言葉そのものの意味以上に、本来含まない範囲まで含めて解釈している?のが『普通』なのでしょうかね。

    雰囲気だの感覚だのモラルだの、そういった曖昧なものが苦手でならない私からすると、獣でしかなかった人が進化の過程で手にした『理知』を蔑ろにする、非人間的かつ進化を逆行するかの如き所業に思えますが……普遍的には、雑な思考をする人の方が断然多い、という事なのでしょうか。

    と、なると……確かに、私は現実が見えていないのでしょうね……。

    作者からの返信

    チョモランマ、その物言いはマジであかん。馬鹿にしてるわけでもなんでもなく、お前は現実が見えてないんだと思う。

    NHKやなんかで、どう考えても仕方がない、本人のせいじゃない理由で生活保護を受けて生活している人の記事や番組に対して、心無い発言をする人間はあまりにも多い。本当に多いんだよ。
    貧乏人の中にはそういう、チョモランマの言う弱者が結構な割合でいる。特殊事例だと君は言うけど、そんなことはない。
    それに、君自身も言っているように第三者が貧乏人を強者か弱者か見分けるのは困難だし、そもそも俺の周りにも、同じ大学、同じ専攻の仲が良かった友達なのに、俺のことをサボっていると本気で思って喧嘩別れした奴がいるくらい、この国には貧乏人の中の弱者の深刻な事情が理解できない人がいる。

    俺に限った話じゃないのは、さっきのNHKの下りでわかったと思うし、チョモランマも今はどうか知らないけど、金持ちが優遇されるのは当然って一度発言しているわけだよ。
    その言い方に、貧乏人の中の弱者は例外なんていう意味合いを見出せる人はいない。

    俺の評論が主語が大きいとは、まったく思わないな。
    この国には現実を何も知らない、自分とその周囲が世界のすべてだと思って貧乏人は全員努力不足だと思ってる人は本当にいるし、たくさんいる。多すぎるくらいなんだよ?

    もっとこの現実に目を向けてくれる人が、一人でも増えて欲しいと願っています。

  • 清貧とかの美徳は昭和で消えたのか