ナツキとアキナの天体観測-After
和泉将樹@猫部
Episode-01 明菜の両親
『
そう、明菜が切り出してきたのは、キャンプが終わって、さらに彼女が北海道旅行から戻ってきたその日の夜の電話だった。
無事帰ってきたことを聞いた後に、今後の予定の確認、というところか。
太陽黒点の観察。
珍しく天体観測の中では昼間にできる活動である。
逆に真昼間にやる必要があり、かつ理想的な観測時間は午前中のため、普段はやりづらい。
「ああ。天気もよさそうだし。何か都合が悪くなった?」
『ううん。違うの。終わるの何時ごろかな?』
「午前中にやるから……十一時には撤収見込みだけど」
すると向こう側で思案するような気配の後――なにやら話し声が聞こえた。
そういえば今は、明菜の家には両親がいるはずである。
『あの……ね。終わってから、うちに来てもらうこと、できるかな』
別に後ろ暗いことはなくても――軽く体温が下がった気がした。
それの意味するところは――彼女の両親に会う、という事だろう。
とはいえ、いつかはしなければならないことであり、早いか遅いかの違いだ。
夏輝はもちろん、明菜も付き合った先にどうするかを明確に共有している以上――こういうのは早い方がいいに決まっている。
「……わかった。その、何か持って行った方がいいか?」
『大丈夫。ホントにその、あんまりかしこまらないでね』
「努力は、する」
唯一楽な点としては、学校に行った後そのまま行くのであれば、服装は気にしなくていいことくらいか。
『ん。じゃあ明後日ね。またね、おやすみなさい、きーくん』
「ああ。お休み、明菜」
電話が切れる。
ツー、ツーという音がまるで残響の様ですらあった。
「明菜の両親……か」
父親が竜也、という名前であることと、母親が自分の母親と似た、質問攻めをしてくるような人である、ということだけしか聞いてない。
考えてみれば、どちらかがハーフのはずだが、どちらがそうなのかすら聞いてない。
明菜はいいといっていたが、せめて手土産くらいは持っていくべきだろうか。
結局二日間、夏輝はひたすらそれに悩み続けることになる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
黒点観測自体は、特に問題なく終わったが――夏輝はひたすら気もそぞろな状態だった。
黒点のスケッチも手元がやや怪しく――結局明菜にほとんどやってもらった始末である。
「きーくん大丈夫?」
「……多分」
強がりを言う余裕もない。
というか緊張するなという方が無理というものだ。
それでも何とか観測を終えて、スケッチ結果をスキャンして――終わったのは予定通り十一時。
そして――明菜と一緒に彼女の家に向かう。
明菜の家に行くのは、もちろん初めてだ。
だいたいこの辺りだろう、というのは分かっていても、夏輝はそもそもこの辺りに関しては土地勘もないので、漠然としか分からない。
明菜は学校には自転車で来ているが、夏輝は当然歩きなので今は自転車を押して二人で歩いている。
今日はよく晴れていて黒点観察にはとてもよかったが、地上には太陽が容赦のない陽射しを降らせているため、かなり暑い。どこにいるのだろう、というような蝉の大合唱が暑さをさらに加速している気がした。
とりあえず日傘を差して直射日光をある程度避けている。
一応これも相合傘になるんだろうか。
「お父さんの名前が
ハーフの場合、二つ名前を持つことがあると聞くが、どうやらそのケースらしい。
「明菜もあっちの名前があるのか?」
「ううん。私はないよ。あったらそっちがあだ名になってたかもね」
そうしている間に、大きなマンションの前に到着した。
「ここ?」
「うん、私の家。じゃ、行こうか」
自転車ごとエントランスをくぐると、広い中庭に出た。
明菜は夏輝をエレベーターの前に待たせて、中庭の一角にある駐輪場に自転車を置いてから戻ってくる。
エレベーターに乗ると、最上階の十二階のボタンが押された。
全体的な様子から察するに、夏輝の家のマンションよりさらに高級なのだろうとはわかる。
実際、利便性もここの方が明らかに上だ。
エレベーターはほどなく停止し、二人は一二〇三号室の扉の前に立った。
明菜は鍵を普通に取り出すと、鍵を開き扉を開ける。
「ただいま、お父さん、お母さん」
家に親がいるなら鍵を空けなくてもいいのだろうが――おそらく習慣だろう。
この辺りは夏輝も気持ちは分かる。
「入って、きーくん」
玄関の広さは夏輝の家より気持ち広い。
全体的にも夏輝の家より一回り広い気がした。
前に間取りは同じだと言っていたが、広さは違うのだろう。
「お邪魔します」
一礼して扉を抜けると――。
「いらっしゃい。貴方が夏輝君ね?」
立っていたのは、おそらく年齢で言えば四十歳半ばくらいのはずだが――それよりはるかに若く見える女性だった。というより大人になった明菜のようにすら見える。
「あ、はい。初めまして。秋名夏輝です。今日はお招きいただき、ありがとうございます。あとこちらを」
買ってきていたお菓子である。
「あらあら。丁寧にどうも。明菜の母、恵梨香です。エリサと呼んでくださってもいいですよ」
あらためて深々とお辞儀をする。
正直驚いた。
明菜の話から多少似ているだろうとは思っていたが、想像以上に良く似ていた。
ただ、よく見ると印象は違う。
明菜はやはり日本人の血が濃く、北欧の血の影響は髪の色や瞳の色くらいしかない。だが母親は髪や瞳の色以外にも、日本人以外の血が混じっていると分かる。
「さあさあ。玄関で立ち話もなんですしね。どうぞおあがりなさい」
促されて、出されたスリッパを履いて上がる。
そのままリビングに案内された。
リビングも幾分夏輝の家より広く感じる。一番の違いは、ピアノが置いてあることか。それと大きなソファにリビングテーブル。
そしてソファの上に、男性が座っていた。
こちらは頭にかなり白いものが多く、メガネをかけている。
中肉中背で、おそらく背は夏輝と同じか、少し低いくらいだろうか。
この人が父親の竜也で間違いないだろう。
「初めまして。秋名夏輝です」
もう一度、今度は父親の方に頭を下げる。
第一印象が大事だ、とは思っていてもこういう場面での振舞い方など、夏輝はもちろん知らない。
なのでせめて失礼がないように、とするしかない。
「あまり固くならなくていい。座りたまえ。ああ、失礼。私が明菜の父、那月
竜也は一度立ち上がって一礼してから、夏輝の前のソファを示し、自らも座る。
「娘が普段世話になってるようで、今日はお礼を言いたい、という目的もあるから、あまり緊張されても困る」
どうやら本当にそう思ってるようで、その声は確かに柔らかい印象だった。
それで少しだけ緊張が解ける。
「いえ。こちらこそ明菜さんにはいつもお世話になっています」
すぐ隣の明菜が一瞬不機嫌になったような気がした。
が、さすがにこの場でいきなり呼び捨ては、蛮勇というべきだ。
とりあえず勧められたソファに座ると、明菜が隣に座った。
母親のエリサがお茶を持ってきてくれて、リビングテーブルに置かれる。
「暑かっただろうから、まずは飲んでくださいね。お話はそれから」
「ありがとうございます。いただきます」
実際、暑い中歩いてきたので喉がカラカラだった。
明菜も同じだったようで、二人で氷の浮いた麦茶を飲む。
冷たい麦茶がのどを潤して、体を少しだけ冷やしてくれた。
「さて、まあだいたいは娘から聞いてはいるが……秋名夏輝君……夏輝君でいいかな。しかし……本当に名前が面白いというかすごいな」
「本当にそうね。最初に明菜から聞いた時は冗談じゃないかと思ったくらい」
二人が笑う。
まあこれに関しては、夏輝も明菜も同じことは思っている。
珍しくもない名前ではあるがすごい偶然ではあると思う。
「で、君は明菜と交際している、という認識でいいのかな」
「はい。明菜さんとお付き合いさせていただいてます」
「それは――どういう意味で、か聞いてもいいかね?」
「お父さん!?」
「明菜はだまってなさい。私は夏輝君に聞いている。どうだろうか、夏輝君」
多分これに『正解』というものはない。
ただ――自分がどういうべきか、という答えだけははっきりしていた。
「この先もずっと――一人の女性として、大切にしていきたいと思っています」
「この先もずっと?」
「はい」
夏輝のその返事を受けて竜也が明菜の方に目を向けると、彼女も頷いた。
それを見て、今度はエリサを見ると、彼女もまた小さく頷き――竜也は少しだけ複雑そうな顔をした後――相好を崩した。
「まったく。この年齢でそこまで言い切れるというのはなかなかないな。夏輝君。不肖の娘だが、末永く仲良くしてやってくれ」
「ちょっとお父さん。不肖の娘って何。酷い」
「い、いやいや。ここは単なる定型句だろうが」
「むー」
一気に場が和んでしまった。
おそらくこれが、この那月家の空気なのだろう、と思う。
思わず夏輝も緊張が解け、笑ってしまった。
「あら素敵な笑顔。明菜、夏輝君のこういうところ好きでしょ」
「お母さん!? いや、そりゃきーくんの笑顔は大好きだけど……ってうきゃあっ」
明菜がパニック状態になっている。
両親相手には恥ずかしいのだろうが、言われたこっちも恥ずかしい。
「はは……まあ堅苦しい挨拶はこのくらいにしよう。よく来てくれた、夏輝君。おそらく長い付き合いになるだろうが、よろしくな」
「は、はい。こちらこそよろしくお願いします」
「しかし……驚いたよ。あの秋名氏のご子息とはね」
「え?」「え?」
夏輝と明菜が同時に疑問符を浮かべる。
「君のご両親の秋名達季さんと春香さんのお二人とは、多少面識があるんだ」
「え!?」
「嘘……お父さん、そんな話全くしてなかったじゃない」
さすがに驚いた。
まさかそんなところにつながりがあるとは夢にも思わなかった。
「まあ仕事上の付き合いで一度名刺を交換した程度だ。かつてうちの会社の広報で提携いただいたことがあるんだ。あと、私は個人的に秋名夫妻の写真のファンでもあってね。しかし明菜はその写真集を見たこともあった筈だが……」
「え? そんなの知らないよ」
「まあ、エリサにアメリカに来てもらう際に、ほとんど写真集も持ってきてもらったからな。ただ、お前のお気に入りの星の写真集だけは残していたはずだが?」
明菜が慌てて部屋に戻り――一冊の写真集を持って戻ってきた。
タイトルは『星の泉』、そして撮影者は――。
「うっそぉ……」
秋名達季、秋名春香、とある。
「これもあって、お前がキャンプに行くのを許可した、というのもある。夫婦で写真家をやっていて、秋名という名前まで一致して他人という事はないだろうと思ったし、一応秋名夫妻のブログを確認したら、八月に息子と流星群撮影に行く、とあったしな。この偶然には本当に驚いたが」
「まさか父と母をそういう形でご存じとは思わなかったです。それは……両親に感謝したくなります」
そうでなければ、あるいはあの長野へ明菜が行くことは許可されていなかった可能性もある。無論長野に一緒に行っていなくても、明菜と付き合う事にはなったとは思うが――あれほど思い出深いことになったかと言えば、分からない。
「まさかその息子がうちの娘と、というのは本当に驚いたがね。まあ名前のインパクトがありすぎるが」
「ホントねぇ。学校とかではどうしてるの?」
思わず二人は顔を見合せた。
「最初に一緒に学級委員になった時に、その話が出てね。で、私が『明菜さん』って男子からも。で、彼が『夏輝君』って女子からも。あるいは敬称なしで、って感じに」
「クラス全員が?」
「はい。半ば強引に」
「それはまたすごいな」
竜也が笑って、エリサも我慢できない、というように笑いだした。
まあこれに関しては、夏輝も他人事だったらやはり笑うしかないだろう、と思う。
もっともそのおかげもあって、明菜とは最初から近い距離感だった気がする。
「さて。まああまり話し込んでもなんですし、お昼にしましょう。明菜、手伝って」
「あ、はい。お父さん、きーくんあまり苛めないでよ」
「そんなことはせんよ……まあ、秋名氏の話は聞かせてもらいたいが」
「……俺……失礼、私に話せることなら」
「いつも通りでいい。普段の君を知りたいのだからな」
「……ど、努力します」
そうはいってもフランクに話すというのは無理な話だ。
それにしてもまさか両親とそういう繋がりがあるとは思わなかった。
これに関しては本当に感謝したい。
その後、お昼ごはんを食べて、その後また談笑したが――。
むしろ夏輝にはその後の方が試練だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「お邪魔しました。それでは、失礼します」
空がすでに暗くなり始めていた。
結局夏輝は、夕食までご馳走になってしまった。
「うむ。まあ私たちはあと数日でまたアメリカだが、娘を頼むよ、夏輝君」
「はい。必ず」
「ああ、でも、次帰ってきたらおばあちゃんになってる、とかは勘弁してね。さすがにまだ早いわよ?」
「お母さん!?」
明菜が文字通り茹でダコの様に真っ赤になっていた。
が、多分自分も同じだろう。
父である竜也は――妻の言葉に苦笑いしていた。
「そ、そういうことは、まだその、ちゃんと責任をとれるようになってから、なので」
「あらそう? 最近は早い人は早いと聞くのだけど」
「お母さんちょっと黙ってて!」
「……それ以前に玄関先で何をやっている。夏輝君が帰れなくて困ってるぞ」
「あらあら。失礼。明菜は送ってくの?」
「うん、途中までは。じゃ、いこ。きーくん」
「あ、ああ……」
正直まだ顔の火照りは冷めそうにない。
ただそれでも、握ってきた明菜の手は――暖かくて柔らかくて、離す気にはなれなかった。
エントランスを抜けて駅に向かう。
日はもう沈んでいて、空は一刻ごとに暗さを増していく。
少しずつだが、昼の時間が短くなってきている。
夏輝にとっては、むしろそれは歓迎すべき季節だ。早く夜になれば、それだけ星の観察ができる時間が増える。
「ごめんね、きーくん。大丈夫だった?」
「……まあ、なんとか」
お昼ご飯後、夏輝の話相手のほとんどは明菜の母であるエリサだった。
そして事前に警告はされてはいたが――あのマシンガン質問は世の母親の標準装備なのか、と思ったくらいである。
「あ、あと、その、最後にお母さんが言ったことは、その、気にしないでね。その、えっと」
「あ、いや、わかってる。その、まだそういうのは、うん、早い、よな」
明菜の言葉に、夏輝は一気に顔が紅潮するのを自覚した。
そういう事を全く考えないと言えば――嘘になる。
夏輝も人並みにそういう欲求はあるし、それを向けたい相手が、それもとんでもなく魅力的な女性がいるのだから、考えないわけがない。
ただ、万に一つがあっても、現在では絶対に責任が取れない。法制度的にも、道義的にも、だ。
だから――それはまだ早い、と思っている。
「う、うん。私もさすがに、ね。た、ただね」
「ん?」
いきなり明菜は、夏輝に抱き着いた。
ここは二人だけの地学準備室ではない。駅に向かう道の途中だ。
確かに周りに人は見当たらないが――いつ誰に見られるかもわかったものではない。
「あ、明菜?」
「あのね。私は絶対、きーくんを拒まないから。だから、その時が来たら、遠慮なく私に触れて、ね?」
この状況でその言葉はまずい。
残暑もまだ厳しい中でこの状況とこの言葉は――頭が茹で上がる。
少しだけ身体が離れたが、逆に顔が正面で至近距離で向かい合った。
どちらともなく、触れる程度に唇が重なる。
「大好き、きーくん」
「好きだよ、明菜」
それでようやく離れた。
というか、これ以上くっついていたら熱で倒れそうだとすら思えた。
心臓がまるで、長距離を全力疾走したかのように激しく鼓動を刻んでいるのが分かる。
口から心臓が飛び出そう、という表現が決して誇張ではないと思えるくらいだ。
次に二人きりになったら――。
(……今後ホントに、観測会どうするか考えないとまずい)
さすがに明るいうちからそういうことはしないとしても、夜の観測会で二人きりは――間違いを起こさない自信が、夏輝にはない。おそらく明菜にも。
そんな少年少女の悩みをかき消すように――夏の終わりの蝉時雨がいつ終わるともなく響き渡っていた。
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