第5話 限界

「あぁ!もう!!うるさい!うるさい!!うるさい!!!」


 エリンが叫ぶのに呼応するように、アクセルは顔を真っ赤にして、いっそう激しく泣き出した。赤子の泣き声はただでさえ癇に触る。背筋がむずむずするような感覚を味わいながら、エリンは項垂れた。


「もう、限界だ…!」


 プルプルとこぶしを震わせたエリンの、その目の下は隈で真っ黒だった。

 ソフィアが自宅に帰って、1か月が経とうとしていた。


「あいつ!自分の子だろうが!!!なんで顔の一つも見せないんだ!!」


 そう、エリンは、初日に挨拶して以降、一度もアイザックと顔を会わせていなかった。エリンは、アクセルに合わせて生活をするし、向こうは赤子の事など気にもとめず普段のライフサイクルで生活しているようで、お互いの行動が交わる時がなかったのだ。

 しかし、アイザックにとっては自分の愛息子の筈。向こうがこちらに合わせて顔を出すべきだろう。

 憤慨したエリンは、むんずと赤子を抱き上げると猛然と部屋を出た。屋敷の中をずんずん進み外に出る。実は、先ほど部屋から見えたのだ。


「おい!!」


 人を呼ぶとは思えない乱暴な口調で、目当ての相手に向かって声をかける。

 エリンの目的地である中庭は、中庭と言うのもおこがましいほどそっけない造りだった。生垣で円形に囲われているが、世話が面倒なのか実どころか花も付かない種類だし、四阿ガゼボすらもなく、申し訳程度にベンチが置かれ休憩できるようになっているだけだ。

 そこでは一心不乱に、死神卿アイザックが剣を振るっていた。

 鍛錬中に急に声をかけられたアイザックは、剣を振る手を止める。汗をぬぐって、エリンの方を見て少し顔をしかめた。


「…何か用か?」

「用がなきゃこんなとこ来るわけないだろ!!」


 そう言うと、エリンは押し付けるように泣き続けるアクセルをアイザックの手に押し込める。困惑したような顔をしたものの、アイザックは落とさないように、アクセルを抱いた。


「お前、自分の子だろう!?世話もしなけりゃ、顔も見に来ない!どういうつもりだよ!!」

「……?世話はお前の仕事だろう?俺が顔を見に行ってどうする」

「あのなぁ……」


 本当に分かっていないらしいアイザックに、肩を落としたエリンは気を取り直したように言葉をかける。


「まぁ、良いわ。あたしちょっと寝るからその子見てて。おしめもミルクも済んだところだから、あと3時間は大丈夫。3時間たったら起こしに来て」


 言いたいことだけ言うと、エリンはアクセルをアイザックの手に残し、自分の部屋に戻った。


 ◆


 ドンドンドンと扉を叩く音でふと目を覚ます。時計を見ると、アイザックにアクセルを渡してからまだ1時間ほどしかたっていない。はぁ、とため息を吐きながら頭を掻く。


(我が子の面倒も見きれねぇのかよ)


 心の中で悪態をつきながらドアを開けると、鬼の形相をした側近が扉の前に立っていた。腕にはアクセルを抱えている。


「お前!アイザック様の手を煩わせるとはどういうつもりだ!!アクセル様の子守りは嫁であるお前の仕事だろう!」

「…そもそも嫁になることに承諾した覚えはねぇよ」


 まだ言い足りないような顔をしたリアムからさっさと赤子を受け取り、リアムの鼻先にぶつけるつもりで扉を閉める。扉の外から、昼食の時間を指定する側近の声が聞こえたが無視する。昼食など、赤子次第で指定された時間に動けるわけなどない。


 ◆


 草臥れ切ったまま、夕食のトレーを取るために食堂に向かう。

 すると不愛想なコックに晩餐室の扉を示される。頭をひねりながらドアを開けると、不機嫌な顔をしたアイザックが席についていた。


「なんで、昼食の席に来なかった?」


 エリンは腕組みをして顎をしゃくる。


「は、子供の面倒見ながら予定通りに動けるわけないだろ。少しは頭使って考えろ」


 エリンの言葉に顔を真っ赤にしたのは、アイザックではなく、彼の後ろにいたリアムだった。しかし、彼が口を開きかけたのと同時にアイザックが話し始めたので、リアムは言葉を飲み込んだ。


「…そうか。なら、今から夕食を一緒に食べないか」

「赤子が部屋で待ってる。優雅に飯食ってる時間なんかねーよ」

「そうか……リアム」

「……了解しました」


 アイザックに声をかけられ、渋々とリアムが彼の側を離れていく。それをボーッと眺めるエリンに、アイザックは再度席を勧める。


「食事の間はリアムがアクセルの事を見る」


 しばらく赤子の世話から解放されるならその方が良いかと、エリンは大人しく席に着いた。

 出てきたのはいつもと代わり映えのしない料理。対してアイザックには肉を中心にした、ボリュームのある食事が提供されていた。あっちの方がいいな、と思いながらエリンはいつも通り食事に手を付ける。テーブルマナーなど知らない。匙を持って掻き込むだけだ。

 さっさと食べ終わったエリンに、アイザックが声をかけてきた。


「それで足りるのか?」

「あぁ?足りねーよ」

「そうか」


 満足に食べられていなかったためにガリガリだったエリンには、最初この兎の餌のような食事でもやっと完食できる量だったが、そこは育ち盛り、あっという間に物足りなくなった。しかし、毎日三食食べれる事の方が少なかったエリンは、食事の量に文句を付けるなど考えもしなかった。

 エリンの返答に何事か考えている様子だったアイザックは、給仕に声をかけて皿を持ってこさせる。そして徐に自分の食べている肉料理を切り分けて、皿にのせてエリンに寄越した。

 ぎょっとした顔で、自分の前に供された料理を眺めるエリンにアイザックは首をかしげる。


「明日からは量と肉を増やさせる。本日はひとまずそれを食え。……俺の食べさしは気に入らないか?」


 アイザックの言葉にエリンはパッと顔を上げた。アイザックの意図が読めなかっただけで、残飯漁りもしていたエリンには、皿から皿に移されただけの料理が気に入らない筈もない。生まれて初めて食べるような豪華な肉料理に顔を輝かせてがっつく。

 幸せそうな顔で料理を食べるエリンをしばし眺めた後、アイザックは自身も食事を再開する。思いがけず、和やかな会食となった。


「明日からも食事は共にとろう。何か訴えがあればその際に聞く」


 そう言ってアイザックは去っていった。


「……なんだ、あいつ言うほど悪いやつじゃないじゃん」


 振り向かず去っていくアイザックを見ながらエリンは呟いた。そして、ポリポリ頭をかきながらノロノロと自分の部屋に帰った。

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