恋わずらい
にこはる
第1話 出会いの雨音
小雨の降る7月のはじめ。私は待ちに待った蓮の季節をむかえ、隣町の公園に車を走らせる。
30歳を迎えた去年の誕生日に、自分へのご褒美に買った一眼レフのカメラを片手に、もぅ何度この道を通い続けているだろう。
今年は蓮の開花が遅れ、なかなか綺麗な姿を見せてくれない。はやる気持ちを抑え、祈るような気持ちで、公園に向かった。
平日の早朝の公園は、人気もなく、ゆっくりとした時間が流れている。生い茂る蓮の葉の間から、すっと伸びる蕾が見え隠れしていた。
蕾は膨らみを増し、ピンク色に色づき、開花の時を待ちかねているようだった。
「あ、咲いてる」
そんな蕾の中、一輪の蓮が天を仰ぐように、見事な花を咲かせていた。気がつくと雨は止み、曇天から一筋の光が射していた。慌ててカメラを構え、子供みたいに蓮の写真を撮りまくった。
「今年も咲いてくれて、ありがとう」
ひとしきり写真を撮り、再び公園内を歩き回る。2日前に来たときよりも、どのつぼみも大きくなり、数本の蓮が咲いていた。さすがにこの時期、高温多湿の空気は不快だが、今しか見れない蓮の開花は、私にとっては年に一度の大イベントなのである。
この公園を知ってから、もぅ何年通い続けているだろう。
ファインダー越しに園内をのぞいていると、ふと、ひとりの男性が美しく開花した蓮の前で、立ち尽くしているのを見つけた。
彼とは何度かこの公園ですれ違ったことがある。彼も、蓮の開花を心待ちにしている同士なのだろうと勝手に思い込んでいた。
派手ではないけれど、整った顔立ち。髪をかきあげる仕草は、はかなげな色気を放っていた。思わず、ピントをしぼりシャッターを押そうとしたその時、彼の瞳から涙がこぼれた。
もしかすると、いつか話しかけるキッカケを、自分の中で探していたのかもしれない。
大好きな蓮の開花に背中を押され、私は彼に声をかけた。
「あの……大丈夫ですか?」
覗き込む私の目にうつったのは、静かに涙を流す彼の姿だった。あまりにも綺麗で憂いをおびた瞳に、時が止まったみたいに見惚れてしまった。
私は少し慌ててかける言葉を探す。こんなに近くで男性の涙を見たのは、初めてかもしれない。
彼は、か細い声で呟いた。
「彼女の大好きな花だったんだ。一緒に見るはずだっ……たのに」
涙は止まることを知らなかった。そして、彼の気持ちに答えるように、再び雨が降り出し、蓮の花を濡らしてゆく。
「あの……風邪ひいちゃいますよ。少し座りませんか?」
ありったけの勇気をだして、私は声をかけた。そっと彼にタオルを手渡す。彼は少し湿ったベンチに座り、黙ったままタオルを握りしめ、しばらくうなだれていた。
私は近くの自販機でふたつ缶コーヒーを買い、彼のもとに戻り、隣に座った。
「少し落ち着きましたか?」
冷たいコーヒーを一口飲んで、雨に濡れてゆく景色を見渡しながら、彼に話しかけた。
「すみません。俺、とりみだしてしまって」
そう言いながら、恥ずかしそうにする仕草が、たまらなく切なかった。
その後彼は、ゆっくりと彼女のことを話してくれた。2年前の夏、彼女は交通事故に遭い、帰らぬ人となったこと。付き合って3年、そろそろ結婚も考え始めていた矢先のことだったという。
そして彼女が蓮の花が大好きで、いつかこの公園に一緒に行こうと約束していたことも話してくれた。
再び、彼は遠くを見つめコーヒーを一気にのみほした。
その時だった。空が一瞬明るくなったかと思うと、大きな雷鳴がひびいた。同時に、私は思わず体をすくませ彼の腕を掴んでいた。
「ごめんなさい…雷って苦手で…」
続けて大きな雷鳴がひびく。突然、ふたりの距離が近くなる。恥ずかしそうな私を見て彼は軽く微笑んだ。
「あ。やっと笑いましたね〜」
私はいたずらに笑いながら、彼の顔を覗きこむ。2人の間に一瞬の沈黙が流れた。
次の瞬間、私達はどちらからともなく口づけをかわした。
平日の人気のない公園の片隅で、何かを埋め合うように。舌を絡め深く熱いキスを交わした。
雨はより激しさをまし、深い悲しみごと洗い流すようにふたりを濡らしていった。
この後のことは、おぼろげにしか覚えていない。私達は、近くのホテルの一室で貪るように体を求めあった。かさねれば、かさねるほど、乾きが癒えることはなかった。
遠くで雷がきこえていた。部屋には、ふたりの声と雨の音だけがひびく。そして、快楽の波は全てをのみこみ、心地よい疲れと、わずかに火照るからだだけを残した。
久しぶりの人肌の温もりと満たされた性の欲求。水で喉の乾きを癒し、私はそのまま深い眠りに落ちていた。
あれからどのくらい眠っていたのだろう。目が覚めると、外は暗くなり、部屋に彼の姿はなかった。彼の煙草のかおりだけがかすかに残っていた。
私は、この部屋での情事を思いだし、突然恥ずかしさがこみ上げてきた。
ひとりになった部屋は、なんだか気まずかった。軽くシャワーを浴び、私は足早に部屋をあとにした。
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