2022 08 05
8月6日の広島原爆から78年ですね。その頃、私の父は広島高等工業(現広島大学工学部)に通っていたのですが、勤労動員で岡山にいたようです。8月4日に岡山から勤労動員の女学生30名ほどを引率するため山口県に出張してました。8月5日に夜汽車に乗って山口の女学生達とともに岡山に行く予定でしたが、8月6日の早朝、広島で長い停車がありました。やっと出発があったのは、7時30分頃でした。30分出発が遅かったら、たぶん終わりだったろうと言ってました。考えてみたら、自分もこの世にはいなかったという事です。
原爆が爆発したときは、呉あたりに走っていました。広島方向に見ると、いわゆるきのこ雲が見えて、車掌に訊くと「広島から全く連絡がない」と言ってました。そのまま走って尾道まで訊くと、「とんでもない爆弾が広島で爆発した」と分かったらしいです。父親は、これは、おそらく原子爆弾だと分かったそうです。一応、理系学部の生徒ですから、E=mc2ぐらいは知っていたのでしょう。
岡山に着いてから郊外の工場に行ったら、責任者の教授から「アトミックボンブだ。まだ一年は掛かるかと思ったが、アメリカはさすがやな。この分じゃ量産体制にあるだろうし、この岡山も倉敷も分からんで。これで日本は敗戦や。明日からは後始末や」と聞かされたらしい。実際、このあと三日に長崎に原爆、そして、降伏。女学生達は戦争終わったから山口に返してと言ってきましたが、教授は「最低二週間は広島に行ったらあかん。絶対やで」と言って、なかなか帰すことはありませんでした。
9月になって、勤労動員の女学生30人を連れて山口に帰りました。親たちは「広島の原爆で死んだと思ってた」と言ってました。感動の再会でした。女学生達も、その教授には感謝してるでしょうね。もう90の婆ちゃんになってますけど。
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