第四章
あの日の色彩を1
草と土と、供えられた花の香りが朝風に舞う。昇り始めた
コーデリアの墓に日毎通うようになって、数週間が過ぎる。墓が荒らされた様子は今のところなく、一日一輪置いていく花がいつの間にか花束みたいになっていた。妹の頭を撫でるように墓石へ掌を滑らせ、その冷たさに苦笑する。石に触れたところで、思い出の中の体温は返ってこない。
「……昔より、過保護になったかもしれないな」
こんな俺を見たら、コーデリアも笑うだろう。
俺と
メイとユニス、マスターにも、妹の遺体が狙われたこと、墓が無事だったことを話した。アテナの腕と研究員の死体が発端で目を付けられた、と話したおかげで、俺を拘束した男女の死体はマスターが早々に処理してくれたようだった。
「コーデリア。また会いに来る」
ささめいて、石から手を離した。
いくつもの墓石が立ち並ぶ
「っ、すみません」
男性もまたよそ見をしていたようで、そっぽを向いていた顔が遅れてこちらを向く。白髪の隙間から覗いた双眸が俺を映し、彼は皺を作って微笑した。「私もよそ見をしていてすまない」と言い残して、彼は俺の横を通り過ぎていく。
落ち着いた低声の余韻に軽く目を伏せ、歩き出す。男性の声がどこか父親の声と似ていて、父が柔和な人間だったらあんな風に喋ったのだろうかと想像し、ほんの少し笑ってしまった。穏やかな口舌は父に似合わない。
墓地の敷地を出たところで、
「カレン。どこかに出掛けるのか?」
「おはようエドウィン。そう、出掛けるの。買い物に行くわよ」
「……今から、俺と、買い物に行くのか?」
「ええそうよ。デートしようと思っておめかししたら、貴方いないんですもの。マスターがここの墓地だって言うから急いで来たの」
隣に並んだ彼女は腕を絡めて凭れ掛かってくる。マスターに言われて付き合うことになり、以降彼女は触れようとするたびに触れてもいいか確認してきていたが、何度もそうされるのが面倒で、顔以外なら好きにしろと了承した。
とはいえ過度に接触されることも、抱き着かれるようなこともなく、程々の距離感を保たれている。おかげで嫌厭を抱かずに済んでいた。
片腕を彼女の好きにさせたまま、街路を進んでいく。
「ねえ、手を繋ぐほうがいい?」
「手袋を忘れたからやめてくれ」
「ふふ、なにそれ。素手じゃ触りたくないのね。これじゃあキスだっていつまで経っても許してくれなさそう」
「……貴方は、好きでもない相手と口付けをするのか。しないだろ」
「じゃあ、エドウィンが私のことを好きになったら、貴方からキスしてくれる?」
見下ろした花貌は揶揄うように笑っている。腕に添えられていた彼女の手の平が滑り落ちて、指を絡められた。顰め面に返されるのは愉色。繋いだ手を引っ張った彼女が、大通りの方へと踏み出した。
開店準備をしている店や、開店したばかりの店を眺める側頭部を見つめて、溜息を吐き出す。
「カレン。マスターもメイ達もいないから訊くんだが」
「っそうね、初デートなの。ようやく気付いた?」
「……貴方は、マスターに何か言われて、俺に付き合わないかなんて言ったんじゃないか?」
力んだカレンの手に僅かな痛みを覚える。カレンは俺の手を握りしめたまま、唇を微笑の形に保ったまま、古びた絡繰人形みたいにぎこちなく首を揺らした。否定を示したその反応は、しかし肯定としか受け取れなかった。
手を離そうと思って指を広げるも、彼女の五指は離さないと言わんばかりに手甲に沈んでいる。呆れながら、俯く横顔をちらと見た。
「もしそうなら、俺に触れる必要なんてない。そうやって恋人みたいに振舞うのも、しなくていい」
「確かに、マスターに言われたわ。貴方が着替えているのを待っている間に、私に恋人がいないことと、エドウィンの為に何かお礼がしたいことを話したの。そうしたら、貴方が恋を知らないから、恋とか、デートとか、普通に過ごすのが楽しいってことを貴方に教えてあげてって」
やはりか、と額を押さえた。
マスターはというと、酒場の空室をカレンに与え、酒場の手伝いも彼女にさせている。元々キャバレーで働いていた彼女は酒を作る手際も良く、接客も上手いため、俺とマスターの負担は確かに減っていた。助かってはいるが、恋人の真似事まで頼むなどどうかしている。
悪い、と紡ごうとしたが、それを遮るようにカレンが「でもね」と声を上げた。明眸が凛然と俺を射抜く。思わず足を止めて彼女を見返していた。
「それを了承したのは、決して嫌々じゃないわ。私は貴方の言葉で立ち直れて、救われた。あの日から貴方のことを何度も考えた。惹かれてる自覚があるの。貴方のこと、もっと知りたいって、私は本心からそう思ってるの」
「恋とか愛が始めからなくたっていいじゃない。一緒に過ごして、一緒に愛おしさを知っていくのも、きっと楽しいわ。でも私、恋心に鈍そうな貴方より先に、貴方のこと好きになると思うけれど」
「俺が心無いことを言って嫌われるのが先だろうな」
「嫌わないわよ。だって貴方、言い方は冷たくても、理不尽なこと言わないじゃない」
強く腕を引かれて、前へ踏み出す。石畳を踏むカレンの靴音は雀躍としていた。緩徐な足付きで、通り過ぎる一軒一軒を見つめている彼女。その手元はやけに落ち着きがなく、絡めていた指をほどいたかと思えば両手で俺の手を握り始め、ツボでも押すように掌に指を沈めてきたり、パン生地でもこねるように撫でてくる。それがいつまでも続くものだから、彼女の手から逃れるように腕を引いた。
「っなんだ、俺の手は玩具じゃないんだぞ」
「ご、ごめんなさい。ルークは結構筋肉があったから、彼のがっしりした手も嫌いじゃなかったんだけど。エドウィンの骨が浮いてる手、なんだかすごく触りたくなるのよね。すべすべしてて……触り心地のいい布を触ってる感じ!」
「……で、何を買いに来たんだ? 早く買って帰るぞ」
呆れ声を吐き出して片手を下ろす。カレンは寄りかかるように俺の腕をとった。密着したまま懐から紙を取り出すと、歩きながら文字を追っていた。
「えっと、レモンとオレンジ、あと苺ね。マスターからのおつかいよ」
「おつかい? 貴方は、何か買いたくて来たんじゃないのか」
「ええ。私は、特に必要なものはないわ」
「果物屋はもっと先だ。向かう途中で何か気になったら言ってくれ。買ってやるから」
マスターの人使いの荒さに
顔を逸らせば、彼女はまるで猫みたいに頭を擦りつけてくる。
「買ってくれるなんて、優しいのね。デートみたい」
「デートがしたいって言ったのは貴方だろ……」
まだ何も買っていないのに、上機嫌になったのか鼻歌を零しているカレン。その姿が昔のコーデリアと重なって苦笑した。妹も、俺と買い物に出かけるのが好きだった。
カレンは俺と同い年らしいが、大人びて見える時と、無邪気な子供のように見える時がある。今はもう子供にしか見えない。カレンは、通り過ぎようとしたアクセサリーショップを見つめたまま足だけを進ませていた。このままでは彼女の首が百八十度を回ってしまいそうだったため、歩みを止めて店の前に彼女を引っ張った。
「何か欲しいのか?」
「えっ、いえ、大丈夫よ」
そう言いつつも、彼女は腰を屈めて品揃えを見ていく。机上には指輪とイヤリングが並んでおり、別の机にはネックレスやブレスレット、髪飾りが置かれていた。カレンはイヤリングをじっと嘱目している。その視線を追いかけながら、俺も一つ一つの形を観察した。
手を伸ばしたイヤリングは、滴型の銀輪にシトリンが嵌め込まれている。軽く指で触れたら、天光を受け流した宝石が蜂蜜色に煌めいた。
俺はそれを手に取って、熟考しているカレンの前で揺らしてみせた。
「カレン。これ、似合うんじゃないか」
「綺麗な色の石ね。大きさも控えめで可愛い」
「ああ。カレンの瞳の色みたいだ。だから、その髪にも映えるだろ」
カレンは気抜けたように目を丸めてから、イヤリングを受け取った。店の机に置かれている鏡を覗き込んで、自身に宛がっている姿はどこか楽しそうだ。彼女はイヤリングを耳に近付けたまま、顔の角度を変えて鏡に映す度、どんどん笑みを深めていく。
気に入ってもらえたようで胸を撫で下ろし、カレンに手を差し伸べた。
「貸してくれ。買ってくる」
「ありがとう。他のも見ながら待ってるわね」
イヤリングを受け取って店の奥へ足を運んだ。どの机も棚も、煌びやかで、店自体が宝石箱みたいだった。宝石箱、と考えて、このイヤリングを収める箱があった方が便利ではないかと思い始める。女性店員にイヤリングを差し出してから問いかけた。
「すみません、このイヤリングを収納するのにお勧めの入れ物などはありますか?」
「彼女さんへのプレゼントですよね? でしたら、こちらの商品が、大きさもお色もよろしいかと思います」
店員がカウンターの奥から小箱を取り出してイヤリングの隣に置いてくれる。光沢のある木製の箱には、レースを模したような装飾がところどころ施されており、綺麗だった。派手過ぎず、地味でもないそれは確かにカレンに似合いそうだった。
「綺麗ですね。そちらも購入させていただきたいのですが」
「ありがとうございます! きっとお喜びになられますよ」
二つまとめて丁寧に梱包してくれている店員に、礼を告げてから財布を取り出す。金額は安くはなかったが、酒場で与えられている給料で十分買える程だった。紙袋を受け取って、商品を眺めているカレンのもとへ戻った。
差し出すと、カレンはすぐさま紙袋の中を覗き込む。嬉しそうに見つめる姿から目を逸らし、店内を眺めていたら袖にしがみつかれて瞠目した。
「ちょっ、ちょっと待って、イヤリングだけじゃなくてアクセサリーボックスまで買ってくれたの? 高かったんじゃない!?」
「大した値段じゃなかったが……要らなかったら処分していい」
「処分なんかしないわ、嬉しい……!」
花が綻ぶようにカレンが破顔する。満面の笑みに愁眉を開き、店を出ようとしたが、腕を絡めているカレンはまだ足を踏み出そうとしなかった。
「ねえ、エドウィンってホントに恋人がいたことないの?」
「ないって言ってるだろ……」
「でも、デート、慣れてるって言うか……私が欲しそうに見てたのとか、よく気付いたわね」
「あぁ……妹とは、よく買い物に出かけたからな」
「妹さん羨ましい。こんなお兄ちゃんがいたら、私なら自慢しちゃう」
カレンは片腕に提げていた鞄へ紙袋を畳んで仕舞い込み、先刻まで見つめていた棚に目線を戻す。ぶら下がったネックレスが彼女の手つきにつられて光を散らした。
「私もエドウィンにプレゼントしちゃダメ? 何か欲しいものはないの?」
「特にないな」
「ネックレスとか、邪魔になっちゃうかしら。ブレスレットは絶対邪魔よね。でもネックレス……」
「なんだ。そんなにネックレスが欲しいのか?」
「お揃いで着けたい。エドウィンが、邪魔にならない長さのだとどれ?」
問われて、真面目に棚を眺め入る。鎖骨にかかるほどの長さだと、シャツの襟の間から見えそうだ。胸骨に届く程度の長さのものに目を付けた。
「このくらいの長さなら、シャツに隠せる。デザインは……貴方が選んでくれ」
「そ、うよね。隠さないと、お揃いなんてお客さんに何か言われそうでダメだものね」
「見えないように、にはなるが、ちゃんと着けるからそんな顔するな」
「ん……これとかどうかしら」
カレンが手に取ったのは菱形の飾りがついたネックレスだ。片方は金色、もう片方は銀色をしていた。カレンは金の宝石が付いたものを自身に当てて、銀の宝石を俺の胸元に伸ばす。満足気に一人で頷いた彼女は、店員に駆け寄っていた。
支払いを済ませたカレンが、ネックレスを着けようとしながら歩いてくる。しかし上手くいかないのか、俺の前まで来ても両腕を持ち上げたまま首を傾げていた。
「カレン、貸せ」
ネックレスを受け取って、カレンの背後に回る。金具を噛み合わせて着けてやれば、彼女は俺を見上げて一笑した。
「っふふ、ありがとう。私もエドウィンに着けていい?」
「届かないだろ」
「背伸びすれば届くわ。ほら貸して」
踵を持ち上げた彼女の視線が近付く。項に回された彼女の手。金属の音が小さく響いて、胸元に宝石が落ちた。
彼女は爪先立ちのまま俺の肩に触れる。向かい合う顔は逸らされない。息がかかるほどの距離に唇が近付いて、咄嗟に彼女の口を掌で覆った。
ヒールの音が一度だけ落とされた。近付いていた目線はいつもの高さに戻る。カレンのうそ笑みを前にして、俺は謝るように彼女の頭を撫でた。
「……悪い」
「いいえ、ごめんなさい。ちゃんと待つことにするわ。エドウィンが私のことを好きになって、貴方からしてくれるまで、もうしない」
カレンは俺のネックレスに手を伸ばす。ほんの少しシャツを持ち上げて、ネックレスをシャツの中へ隠すと、襟を整えてくれた。
「果物屋、行かないとな」
「ええ」
触れた指先に促されるまま、指を絡める。歩きながら、自身の胸元に触れた。宝石の感触を布越しに確かめて、小さく息を漏らした。
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