05
「こんにちは、マリアンヌ様」
貸出席へ行くとカインが笑顔で迎えてくれた。
「今日も借りられていくのですか」
「ええ、冬休みに読もうと思って」
「――随分と本の好みが変わりましたね」
手渡した本を一瞥してカインはそう言った。
「え?」
「冒険物語など、一度も借りたことがありませんでしたから」
「そうでしたの……」
確かに、マリアンヌが家に来た時も読み聞かせをしたけれど、あの子は冒険ものには全く興味を示さなかった。
「私はどんな本を借りていたのかしら」
「そうですね、文芸書でしたら恋物語ですね」
「恋……」
「ご自身も物語のように恋をしてみたいと仰っていました」
あの子……そんなことを言っていたの。
貴族の結婚は政略結婚が多いとはいえ、年頃の女の子。確かに恋に憧れるだろう。
しかも、婚約者は自分によく似た顔立ちの私のことを……。
「記憶がなくなると好みも変わるのでしょうか」
そう言いながら貸出票に記入し終えるとカインは顔を上げた。
私を見た、その眼差しは……どこかで見たことがあるような。
「そう……なのかしら」
「冒険物語も面白いですよ。お好みに合うようでしたら他の本も借りて下さい」
「ええ」
差し出された本を手に取ろうとして、カインの指が僅かに私の手に触れたその瞬間。
バチっと身体に衝撃が走った。
「いっ……!」
「マリアンヌ!?」
「ああ……申し訳ございません」
痛みに顔をしかめながらカインを見ると、彼は眉を下げた。
「乾燥のせいですね」
「乾燥……?」
「本をいつも扱うからか、私の手は特に乾燥しやすいのです。空気も乾いているこの季節は、こうしてたまに他の方と触れた時に衝撃が走るのです」
そういう経験はよくある。静電気のせいだ。
でも、今のは……。
「マリアンヌ、大丈夫ですか」
カミーユが私の手を取った。
「痛みますか?」
「いえ、もう大丈夫……驚いただけ」
「本当に申し訳ございませんでした」
「――次からは気をつけて下さい」
頭を下げたカインにそう言うと、カミーユは私から本を取り、もう片方の手で私の手を取ると図書館から出て行った。
「あの男……やはり危険ですね」
図書館から出るとカミーユが呟いた。
「え?」
「マリアンヌの手にわざと触れていました」
「そうなの?」
本を手渡しする時に触れてしまうのは普通じゃない?
「マリアンヌの読んでいた本のことも詳しかったですし」
「……あの人は前からマリアンヌと親しくしていたそうよ」
「前から?」
カミーユは立ち止まると私を見た。
「バーバラ様が言っていたの、親しく話しているのを見たって。あの子よく図書館に来ていたそうよ」
「マリアンヌがあの男と?」
眉根を寄せて少し何か考え込むと、カミーユは再び私を見た。
「もう二度と図書館へは行かないで下さい」
「え?」
「あの男とは決して話をしないように」
「どうして?」
「あなたがマリアンヌでないと知られるかもしれないでしょう」
「それは……でも」
「今も、私たちが出ていくまでずっとあなたのことを見ていました。あの視線は……あまりいいものではありません」
繋いだままだった手をぎゅっと握られた。
――そういえばどうして手を握ったままなのかしら。
「いいですか、決して学園内でも外でも一人にならないでください」
「……私は子供ではないわ」
「そういう問題ではなく。いいですか、マリアンヌは階段から落ちたのではなく、誰かに突き落とされたのですよ」
その言葉にはっとした。
「まだ犯人が分かっていないのです。また同じことが起きるかもしれない……分かりますか?」
「――ええ……」
それがマリアンヌに恨みを持っている相手の犯行だった場合……無事な私を見てまた突き落とそうとするかもしれない。
私は、ようやく――自分の身が危険だということに気づいた。
いや……私ではなく、マリアンヌの身体が。
「だから決して一人にならないこと、他の者、特に向こうから話しかけてくる者には関わらないように。分かってくれますか」
「……ええ、分かったわ」
「必ず、約束してくださいね大叔母様」
そう言って、カミーユは握っていた手を離すと代わりに小指を私の小指にからめてきた。
それは彼が幼い時に、約束事をしたときによくやっていた――前世の「指切りげんまん」だった。
あの時は小さな子供の指だったのに……今は私よりもずっと大きな、大人の指になってしまった。
「必ずですよ」
それでも、不安そうに何度も口にするその表情は幼い頃と変わらない。
「ええ、約束ね」
そう言って小指に力を込めると、ようやくカミーユは笑顔を見せた。
「手はまだ痛みますか?」
「え? ああ、いいえ一瞬だったから」
「確かにこの季節はああいうことは起きやすいですが……分かっていながら触れるとは」
確かに、静電気に似ていたけれど……。
でもあの感覚は、それよりもセベリノさんの術を受けた時の衝撃に近いように感じた。
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