02

「まあ……すっかり変わってしまったのね」

 学園の中庭を見渡して思わず声が漏れた。


 丁寧に手入れされていて居心地が良く、天気がいい日はいつもアルノーと昼食を取っていたこの場所は、遠い記憶にある思い出の景色とすっかり変わってしまった。

 建物は建て替えるのが大変だけれど、庭は手を加えやすいというのもあるのだろう。


 放課後、私は一人でここに来た。

 殿下は今日は公務で休みだ。

 カミーユも家の用事があると午前で帰ってしまった。

 二人からは今日はすぐに帰るよう言われているけれど――せっかくの一人で行動できる機会を逃す手はない。


 いつも学園内ではあの二人がべったりと張り付いているため自由行動ができない。

 私はこの学園でマリアンヌが落ちた原因を探りたいのだが、危険だといってそれを許してくれないのだ。


「さて。どこへ行こうかしら」

 マリアンヌが落ちた階段は……人気がなさすぎるから、流石に一人で行くのは控えておこう。

 でも図書館には行ってみた方がいいだろうか……。


「あの」

 思案していると背後から声をかけられ振り向いた。

 シャルロットが立っていた。



「マリアンヌ様。少しよろしいでしょうか」

「――ええ」

 頷くとシャルロットは歩み寄り、近くにあるベンチを指した。

 促されるまま腰を下ろすとその傍に立つ。

「あなたも座ればよろしいのに」

「……私は平民なので」


「あら、私は気にしないわ。それに立ったままの方が話しにくいもの」

 そう言うとシャルロットは驚いたように目を見開いた。

 少し迷いながらも遠慮するようにベンチの端に腰を下ろした。


「……本当にマリアンヌ様は記憶がないのですね」

「え?」

「前は『平民のくせに』って言われましたので」


(あの子そんな事言ったの⁉︎)

 身分で差別するような子に育てた覚えは――いや私が育てた訳ではないけれど。

 ショックだわ……。


 でも……私は前世が平民だったから気にしないだけで、それが普通の貴族の反応なのかもしれない。

 侯爵令嬢という貴族の中でも高い身分のマリアンヌには、平民と接する機会がないのだろう。


「それで……私に何かご用かしら」

「はい、聞きたいことがあるんです」

「何かしら。殿下のこと?」

「いえ、マリアンヌ様の、というか……」

 言い淀んで、しばらく悩むような様子のシャルロットだったが、やがて決意したようにこちらへ向いた。


「変なことを聞いたら申し訳ないんですけれど」

「ええ」

「乙女ゲーム、ってご存知ですか」


「え」

 突然の言葉に思わず声が出た。


 乙女ゲーム、ってあの乙女ゲーム?

 この世界の――。

(って、あれ?)

 その言葉を知っているということは、もしかしてシャルロットも――。


「その反応……やっぱり知っているんですね」

 私を観察するようにじっと見つめていたシャルロットはそう言って、ふいに手で顔を覆った。


「じゃあやっぱり……ここはヒロインがざまぁされる世界なんだ!」

「え?」

 ざまぁ?


「せっかく好きだったゲームの世界に転生したのに! ざまぁされて破滅なんて嫌よ!」

「え、あの……シャルロットさん?」

 突然泣き出されてオロオロしてしまう。

 ヒロインが破滅ってどういう事? あと「ざまぁ」って何?



「――マリアンヌ様も……転生した日本人なんですよね」

 覆っていた指の間から潤んだ瞳が私を見た。

「え……ええ」

 頷くと、ふいにシャルロットは私の腕を掴んだ。

「だったら私をざまぁしないでください! 殿下には今後一切関わりませんから!」

「……さっきから『ざまぁ』って、何ですの?」


「何って、よくネット小説とか漫画であったじゃないですか」

「ネット小説……ごめんなさい、読んでないの」

「……ここが乙女ゲームの世界なのは知ってますよね」

「ええ」

「このゲームもやってました?」

「やっていたけれど……それと小説と何の関係があるのかしら? それになぜヒロインが破滅しますの?」

 首を傾げた私にシャルロットが説明を始めた。


 何でも、乙女ゲームの悪役令嬢を主人公にした小説や漫画が人気ジャンルとしてあったらしい。

 そしてその小説ではヒロインは悪役で、時には婚約破棄した元婚約者とともに「ざまぁ」されるのだと。

 その「ざまぁ」というのは断罪のことで、追放されたり、酷いものだと国ごと破滅してしまうものもあるのだという。


 私はゲームはいくつか遊んでいたけれど、ネット小説は読んだ事はなかったのでそういうものがあるとは知らなかった。


「悪役令嬢が階段から落ちたりして前世の記憶を思い出すのもよくあるパターンで……それでマリアンヌ様も前世を思い出したんですよね。そして殿下に溺愛されて私がざまぁされるんです!」

 ぐっと握り拳を作ってシャルロットは叫んだ。

「いやそんな事しないし、させないわよ?」

 何か悪いことをしたならばまだしも……シャルロットはどう見ても普通の少女だ。


「でも記憶喪失になった途端、殿下に溺愛されてるじゃないですか」

「あ……あれには事情があって……」

「事情?」

「ええと……」

 今度は私が言い淀んだ。

 ――同じ転生者の彼女にならば話してもいいだろうか。


「実は私……マリアンヌではないの」

「マリアンヌ様の時の記憶がなくなったのではなくて? それって、転生してマリアンヌ様の代わりにその身体に入ったということですか?」

 さすが同じ転生者、話が通じるのが早いのね。


「そう……なんだけれど。ええと、ずっと前に転生していて」

「ずっと前?」

「私、本当はマリアンヌの祖母のリリアンなの。前作のお助けキャラだった」


「前作の……ええ!?」

 シャルロットは目を見開いた。

「お助けキャラ? 双子の妹の?」

「そう、リリアン・アシャールよ」


「ええー! どういうことなんですか!?」

「私、二年前に死んだのだけれど……何故かマリアンヌの身体に入ったのよね。階段から落ちたショックでマリアンヌの魂が抜けてしまったのか……他の理由があるのかは分からないけれど」


「お助けキャラのリリアン……」

 シャルロットはじっと私を見つめた。

「そういえば、マリアンヌ様とカミーユ様はお助けキャラの孫なんですよね」

「ええ」

「そんな事もあるんですね……」

 そう言いながら頷いていたシャルロットは首をかしげた。

「でもどうして殿下にあんなに溺愛されているんです? 中の人がリリアン様だって殿下は知ってるんですか?」


「それは……何でも殿下の初恋が私だったらしくて」

「初恋」

「殿下の祖母の王太后……前作のヒロインが持っていた私の絵姿を見たとかで。それに彼女から私の話を色々聞いていたみたいで……」


「初恋が……お祖母様と同い年……」

 シャルロットの呟きに恥ずかしくなる。

 初恋が祖母の友人って、やっぱりおかしいわよね?!

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