新訳誠書

河端夕タ

第一部

山南敬助切腹

沖田の独白

 山南さんが死んだ。汚れのない切腹だった。


 屯所の一室、幹部が一堂に会して、新撰組総長の最期を見届けた。

 人血特有の錆に似た異臭はイグサに吸い込まれるが、密閉された部屋では限界がある。鼻を通って舌に乗る酸味の強い鉄臭さを、俺は二番組組長として、真正面から受け止める。

 山南さんは、短刀の柄を握ったままに果てていた。浅葱色の装束に一文字、鮮やかな赤。自ら突き立てた刀は、武士の覚悟を如実に語る。半端者の切腹は刀傷が浅く揺れてしまうせいで、大量の血とハラワタも溢れる。

 比べて、この見栄えの良さたるや。天晴れ、山南敬助。後にも先にも、これだけ見事な切腹は見られまい。


「わたし、うまくできていましたか?」


 沖田総司が、刀をすすいで尋ねる。意外にも、沖田はこれが初めての介錯だった。


「……結構なもんだ。奴ぁ、首が落ちたことに気づかず逝けたんじゃねぇか」


 誰も答えずにいると、土方さんが耳に小指を突っ込みながら言った。爪の間に挟まった耳垢を吹いて飛ばすと、懐から金子を出す。


「総司、ご苦労。こいつは介錯人への報酬だ」


 土方さんは金子を沖田に投げて寄越した。切腹の介錯を行なった隊士には、臨時の報酬が出る。尤も、一晩の酒に丁度良い幾ばくかの金子である。仲間の首を落とすことを金額で計るようではないか、と苦言を呈したのは、それこそ山南さんだった。


「副長。謹んで頂戴します」


 総司はふにゃりと気の抜けた微笑を見せる。この剣豪の笑顔は、人を斬る時と寺の童と駆け回っている時とで、何ら変わらなかった。


「土方さん」


 俺が呼び止める。周りを窺い見ると、幹部も同じく苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


「なんだ、新八?」

「清める前に、介錯の報酬を渡すというのは……」

「あぁ。オレぁこの後、籠らせてもらうからよ」


 土方さんはぶっきらぼうに俺を遮った。続けて言及されることが億劫なのか、土方さんはそのまま立ち上がった。


「始末はそっちでつけてくれ」


 最後に山南さんの首を一瞥して、土方さんはさっさと行ってしまった。

 それを合図に、脇に控えていた隊士が山南さんを片付けていく。短刀を手の中から抜き、桶に入り易いよう関節を整えて、最後に首を拾い上げる。

 ひどく穏やかな表情だった。それは本当に、まだ首を刎ねられたことに気づいていないよう。




「沖田。昨夜、山南さんと何があった?」


 日が変わってから、俺は沖田に尋ねる。酒をあおった勢いに任せて、努めて軽々と投げかけた。


「……えぇ、ありました。まぁ、たくさん」


 語順がおかしくなるから、沖田が酔っ払ったことはすぐにわかる。口を軽くするために呑ませたのだが、俺の見立てより二杯は早かった。


「一昨日、山南さんが脱走しました。それからわたしが、局長の命令で、山南さんを追いかけました。大津宿で捉えて、夜も遅かったので一泊して、今日、帰ってきました」

「それは、全員が存じ上げてらぁ」


 俺は茶々を入れながら、酔い潰れた幹部連中を足蹴にして、座敷の隅に追いやった。


「これは、山南さんの弔い酒だぜ? 事実をお前一人で吞み下すなんて、あんまりじゃあねぇか」

「…………」

「なぁ。山南さんは、どうして死んだ? 副長と同格の山南さんが、何故、脱走なんてしたんだよ?」

「…………」

「俺たちぁ発足以前、試衛館からの付き合いだろ。相談もなく、喧嘩もなく、山南さんは脱走した、だぁ? どうやって、納得すりゃいいんだよ」

「…………」

「……なぁ、総司。おまえは山南さんのこと、見ていただろう。最後に、あの人に何があったんだ?」


 存外、俺も酒が回っていた。沖田の表情も読まず、べらべら唾を飛ばしていた。それが威勢の良さであると唯一褒めてくれたのは、山南さんだった。


「新八さんって、したためてます? 俳句とか、日記とか」


 赤い顔をようやく上げて、沖田はそう訊いてきた。


「まさか。新撰組の文化人は、土方さんだけで十分だろ」


 俺の揶揄に、沖田はくつくつと笑った。


「でも、育ちが良いから。きっと、自伝とか書かれるんじゃないですか。永倉新八伝、です」

「さっきから、何が言いたい?」

「残して下さいよ、どうか。山南さんを。新撰組を」


 沖田は自分の鎖骨を摘んでから、語り始める。


「昨晩、山南さんはある女と共寝しました。最期の夜に、最初の同衾だったようで。これは、その女にぶちまけた……山南さんの人生です」




 山南さんは、文武両道を体現させた人格者です。わたしも、あと近藤先生も、自分の学の無さを自覚していましたから、山南さんのような方には憧れに近い気持ちがありましたね。


 試衛館にいた頃から、どうしてわたし達のところで剣を磨くのか、わからないくらいでした。昔、よく土方さんが言ってました。「北辰一刀流の皆伝が、煮っ転がされた喧嘩剣法学んでどうするつもりだ」とか。ひどいですよねぇ。


 でもね、山南さんは土方さんのこと、誰より好きだったんですよ。本当です。道場で鍛えた剣より、人格に根付いた剣の方がずっと美しい。そう、いつも仰っていました。そのたび、土方さんは喉仏が痒くなるとか言っていましたけど。


 浪士組募集を見つけてくれたのも、山南さんでしたっけ。今じゃわたし達、会津藩御預新撰組、ですよ? 山南さんがいなければ、どう足掻いても田舎道場の名物止まりでした。


 山南さんって、でも、上品すぎたじゃないですか。京に上っても、遊郭にも馴染まないで、書物とにらめっこしていました。遊女さまとのお遊び好きな新八さんたちは、知らなかったかもですね。


 色を好むことが武士の姿かどうかって、わたしにはわからないですけど、極端です、山南さんの身綺麗さは。一部の隊士なんて、男色だなんだって信じ込んでいたくらいですからね。


 言っていました。山南さん。


「自分の生き方は、他人を求める役回りと無縁なんだ」とか、何とか。


 今なら、少しわかっちゃいます。わたしたちが山南さんに手を伸ばしてばかりで、いざ山南さんから伸ばした手を、わたしはちゃんと握れなかったんだな、って。


 ともかく、良くも悪くも綺麗好きだった山南さんですけど、新撰組の中核にいたのは間違いないです。発足当初は副長、昨日までは総長。特に土方さんはあの調子ですから、隊士の拠り所はやっぱり、山南さんだったんです。


 近藤先生は威風で、土方さんは規律で、新撰組を引き締めています。そこからこぼれそうになった隊士を、山南さんが知識と人柄ですくい上げてきたんです。在り方が、正反対でしたから。土方さんのことを尊敬しながら、やっぱりぶつかる時は多かったんです。


 この頃……いや、濁すのはいやですね。彼が新撰組に来てから、頻繁に二人は衝突を始めました。


 参謀の、伊東先生。伊東甲子太郎先生。手ずから道場を畳んで新撰組に入隊したのは、戦力補強以上の価値があった、って、山南さんは嬉しそうでした。わたしは、へへ、わからなかったです。


 伊東先生は、山南さんと同じ北辰一刀流で、洋学、兵学にも長けていました。参謀っていう席に座って、傍目からは山南さんを押しのけたように見えたでしょう。事実、伊東先生は局長の近藤先生にだって意見を通していましたから。新参者のくせに、って、土方さんは面白くなさそうでしたね。


 そこも逆です。山南さんは伊東先生を尊重していました。少なくとも、私たちにはそう見えましたよね。同門の傑物には敬意を、って、よくお二人でお酒を酌み交わしたらしいです。わたしに難しい話はだめなので、聞いただけですけど。


 伊東先生と山南さん、そこと土方さんの反りが合わなくなって、結果、山南さんと土方さんの間に亀裂が、なんて言われ始めたんです。聞きましたか? 今回の切腹も、土方さんの鬱憤を晴らすため、なんて嘯く隊士まで出てきていました。


 私怨で斬るほど、山南さんの命は安くない。それを一番わかっていたのは、土方さんなのに……。




「総司。襟、崩れてるぞ」


 俺が指を差す。沖田は胡座をかいた腿に肘で杖を立て、そこに顔を乗っけていた。舟をこぎだし、沖田は前傾して頭を吊り下げているような姿勢で語り続ける。はだけた襟は体とともに揺れて、鎖骨の下のサラシが見えていた。


「みっともねえ。しまえよ」

「いいんですよぉ。もう、いいんです」

「…………」


 黙って、俺は目を逸らす。残った酒を一気に呑み干した。


「殺したのは、土方さんじゃない」


 沖田は寝言のように声を零す。


「あぁ。みんな知っている」

「近藤先生じゃない。伊東先生じゃない」

「おまえでもないからな、総司」

「首を落としたのは、わたしです」

「それが、山南さんの望みだろうが。直々に、介錯の指名だったんだ。誉を感じねぇってんなら、山南さんを侮辱するだけだ」

「わかってます。わかってますってば」


 沖田は赤い顔をしながら、口を尖らせている。俺もこいつとは旧知の仲。この顔になったら、もう機嫌を損ねるのはいただけない。


 俺は音が鳴るよう膝を叩いた。


「……わかった。総司、もう山南さんがどうして死んだかなんて聞かねぇよ」


 その代わり、と繋げて、沖田の顔が上がるのを待つ。

 奴と目が合ってから、俺は伝える。


「山南さんは、何のために、死んだんだ?」

「え」

「そうだよな、総司。これは、山南さんの弔い酒だ。過去を掘り返すなんて、浮かばれねぇ。せめて山南さんの武士の誇りを、肴にしようじゃねぇか」


 一筋、涙。

 沖田が泣いた。声も出さず、両目からぽとぽと涙が流れて、奴はそれを隠そうともしなかった。


「一つです。何のため、なんて」


 吐き出すように、沖田は言った。


「山南さんは、新撰組のために、死んだ」




 山南さんには会津藩ご重鎮から秘密裏に、局長昇進の打診がありました。


 近藤先生と土方さんの作った土台をそのまま、頭を挿げ替えて練度を上げていく必要がある、らしいんですって。尤も、松平公は近藤先生を信頼いただいていますから、あくまで一部上役からの密命、だったようで。


 局長を、近藤から山南に。副長を、土方から伊東に。馬鹿げたご提案の裏は、もっと馬鹿げていらっしゃった。わかりませんか、新八さん?


 新撰組は勝ちすぎたから、です。


 そもそも、負けることがわたし達の死だった。今日を負けたら、明日が来なかった。だから勝った。池田屋でも蛤御門でも、不逞浪士を、攘夷志士を、斬って、勝ったんです。特に土方さんやわたしみたいなのは、そうでもしなきゃ、武士になれなかったし、生きていけなかった。


 勝った、勝った、勝った。戦火に煤けた誠の隊旗が誇らしいと言ったのは、山南さんでしたね。


 もう、新撰組は部隊です。会津藩の後ろ盾を得て、浪士の烏合の衆じゃなくなった。なくなっちゃったんです。


 新撰組は近藤先生が頭で、土方さんが心臓です。どちらも、幕府に仇なす者を潰すことには余念が無い。不逞浪士は性懲りなく、京を目指しています。それらが動くための一番の抑止は、今、新撰組なんですよ。


 そこに、会津の呪いが深く絡みついているとのことです。


 会津松平は、徳川家への忠義がためにそのすべてを賭す。京の治安維持に藩の兵力を割くことが、松平公の使命でいらっしゃいます。


 たとえ遠く離れた会津に不作や飢饉が起ころうが、残された家臣からの批判が膨れ上がろうが、会津は京を守り続ける。その重責を、松平公はお一人で背負っていらっしゃいます。ただ、ご重鎮は違う。


 故郷会津に、一刻も早く戻りたい。そのための身辺整理に抜かりがないのは、さすが御偉方、ってところですか。


 会津は京から離れたい。しかし、徳川への義理立ては必要。京都守護職の実動部隊として新撰組は残しながら、でも管理の外で近藤先生と土方さんを頭に据えるのは、危険である。そのため、山南さんと伊東先生という体制を敷く提案をなさったのです。


 結果は、えぇ、この通り。近藤先生と土方さんの下に、伊東先生のみが残った。山南さんは会津の密命を放棄しました。自らの命を犠牲に。


 だって。だって……できるわけないじゃないですか。


 山南さんが、近藤先生を斬る、なんて。




「山南さんが、近藤さんを……」


 俺の鸚鵡返しにクタリと頷き、沖田は親指で酒に濡れた唇を拭う。


「土方さんは、近藤先生を侍大将にするために、鬼と呼ばれるまでになった。近藤先生がいなくなったら、土方さんの目的がなくなります。組織そのものを崩す最低限は、近藤先生の首、です」


「……見てきたように言うじゃねぇかよ。総司」


 思わず呟くと、沖田は「受け売りです」とはぐらかす。


「ご重鎮の手前、断ることはできなかった。それはすなわち、新撰組そのものを潰すこと、ですから」

「結局は、御預の直属部隊。存続も廃止もお偉いさんの一声でどうとでもなる、か」

「新八さん、のってきたじゃないですか」


 沖田はだらりと笑う。生意気には舌打ちで応えてやった。


「選んだ末が、新撰組からの脱走か」

「渦中の芯は、山南さんですから。あの人がいないと、松平公に隠匿した新撰組の取り潰しも大将の入れ替えも、成り立ちません」

「だからって」


 それからの言葉は、すんでのところで嚥下する。

 だからって、腹を切る必要があったのか。脱走し、行方知れず。それで事足りる。

 沖田まで使って連れ戻したのは、やはり非情じゃあねぇのか。


「隊を脱することを許さず。気軽に脱退できる組織に命は預けられない。何より、間者に踏み込ませるだけの隙を与えない。故に、上記法度を破るものは、例外なく切腹、である」


 沖田は読み上げるようにつらつらと話した。まるで、死装束の山南さんに訥々と語った、土方副長のようだった。


「ここまでは、新八さん、今回の切腹の経緯です。残りは……無粋な話になりますが」


 見上げるような沖田の様子に、俺は小さく首肯する。


「そこに、山南さんの人生がある。……だろ」


 俺が言うと、沖田はまた自分の鎖骨を摘んだ。


「……はい」




 昨日、わたしは山南さんと会うはずはなかったんです。


 屯所から山南さんの姿がなくなったのは、一昨日の夜更け。昨日の朝には部屋がもぬけの殻で、わたしが探索に出たのはせいぜい午の刻。京から大津宿は、四里もありません。


 わかります? 一昨日脱走した山南さんに、わたしが大津宿で追いつくなんて、ありえないのです。


 さらに、わたし一人で追跡したのは、近藤先生の指示です。その時、確かに言われました。


「追うのは宿場境の大津まで。それ以降は、行方知れずとして処断する」と。


 初めから、山南さんを捕まえる気なんて、わたしたちにはなかったんです。隊規違反とは言え、山南さんは試衛館からの付き合いです。もう新撰組に戻れなかろうが、切腹させるほど近藤先生の情は浅くない。


 大津宿に到着したわたしを、山南さんが待っていたんです。


 穏やかなままのあの人で、手なんか振って、わたしを迎えたんです。山南さんは、山南さんは……自分から、腹を切ったのです。


 わたしだって、わからないですよ。逃がすつもりだって、説得もしました。しましたよ。それでも、山南さんは首を縦に振らなかった。わたしと共に戻って、腹を切る。その一点張りでした。


 もう峠を越えられる時間じゃなかったので、大津で宿をとりました。そこで山南さんは一人の女と、寝ました。


 えっと、そのひと、は……山南さんを受け入れました。わたしの前では武士の本懐だとおっしゃっていましたが、その布団では、死への恐怖を語ったんです。彼女に噛み付いて、背中に爪までたてたんです。貪るように、自分が生きていることを彼女に残していました。今まで他人を求めない性分、だとかだったのに、一気に押し寄せたんじゃないですか。


 でも、それを誰が否定できます? 最期だからとか、じゃなくって、山南さんだから、って言うのも違って……でも、そういう「心の暴発」が、人間にはあるのです。


 例えばわたしのそれは、刃を敵の肉に食い込ませた瞬間です。新八さんにもあるはずで、誰にだってあるんです。山南さんの場合、それが昨夜だった。それだけです。


 そして、あの切腹こそ、山南敬助の命の在り方でした。死ぬのは、怖いです。わたしだって、山南さんだって。昨夜、あれだけ乱れて恐怖に震えたのに、わたしが首を落とした瞬間、山南さんは笑いました。わたしを甘味処に連れて行ってくれたときみたいに。新しい技を会得できたことを褒めてくれたときみたいに。市中巡邏から帰ったわたし達を労うときみたいに。


 山南さんは、後悔なんて微塵もないみたいに、笑って、わたし、わたしは……




 とうとう、沖田は規則正しい寝息を立ててしまう。


 話の落とし所を残して、しかし奴の口から語れる部分はすべて吐かせてしまった。俺だって、酒に溺れさせるようなやり方に罪の意識は持っている。


「帰るぞ、総司」


 俺は二人分の勘定を女将に渡して、沖田の肩を叩く。

 はだけた襟元に差し込む鎖骨には、男の歯形がついていた。


「……あぁ、そうかよ。山南さん」


 一つ呟き、俺は沖田を負ぶって京の夜に歩く。

 剣を振るうための筋肉しかない沖田は軽い。この身軽な体躯こそ奴の強さの象徴で、俺もこれには敵わない。


「あんたは、また違うよな。山南さん」


 沖田の方へ目を流して、俺は問いかける。


「惚れちまったら、負けだもんなぁ」


 総司。おまえだろう。昨日、山南さんと寝たのは。




 神道無念流の永倉新八は、豪傑揃いの試衛館でも三本の指に入る剣客だった。


 自分で言うのもむず痒いが、しかしこんなのは自慢じゃない。三本の指に入っていようが、一番の遣い手とは口が裂けても言えない。なぜなら、天賦の才を持っていたのは口減らしに出されていた奉公人の少女だったのだから。


 足軽の沖田家に生まれた三女、沖田ソウ。そいつが、新撰組一番組組長の本名。


 沖田家は大黒柱の父親を失い、女手一つで踏ん張った母親まで病床に臥した。九つになったばかりのソウは、ツテを頼って試衛館道場に放り込まれた。軒先で箒を握りながらしやくり上げるあいつを、近藤さんは何度も目にしたらしい。


 ソウが数えで十一になる頃だったと聞く。あいつは道場を覗き見て、見様見真似で箒を振り回していた。面白半分、近藤さんが竹刀を寄越したときに、ソウの人生が動き出した。


 沖田ソウは、しなやかな剣士だ。柔軟な体と筋肉は光速の太刀捌きを実現させる。

 沖田ソウは、したたかな剣士だ。土方さんの喧嘩剣法が骨の髄に染み込んでいる。

 沖田ソウは、しとやかな剣士だ。無骨な天然理心流が華々しい神楽にすら見えた。


 沖田総司は、それ故に最強だった。名と性別を偽り、京に上がるほどに。


 このことを知るのは近藤さん以下試衛館出身の面々と、一部の幹部隊士のみに限られる。尤も、新参隊士は何度言っても信じなかった。


 近藤さん、土方さんにとって、ソウは今でも妹のような存在だ。俺なんかは救いようがない。あいつが稽古終わりに一人隠れて汗を流すようになったとき、やっとあいつを女だと思い出すような体たらくだった。


 しかし、山南さんは違った。いつから、あの人にとってこいつは、手のかかる妹ではなくなった? 死の淵で縋りつく、女になった?


「……答えろよ。化けて出るくらい、あんただったらできるだろう、山南さん」


 悪態の虚しさで、途端に目頭が熱くなる。

 堪えるために大きく息を吸い込むと、香嚢の匂いに噎せた。

 香りの元は、沖田の髪の生え際だった。

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