第6話 儀式 1


「んん……ん……くすぐったい……よ……。だ……だめ……そこは……んん……」


 街の外れにある壊れかけの納屋の中に、マリルの艶っぽい声が響く。


「へ、変な声出さないでよマリル!」

「ヴァンちゃんが首を舐めるからだよ……」

「マリルが起きないからだろ? 声かけても全然起きないマリルが悪いんだからね!」

「ごめんごめん、昨日は色々あったから疲れちゃって……」


 そう言って起き上がったマリルが、「うぅ……」と辛そうに呻き、はぁはぁと息を切らす。


「大丈夫? 具合悪いの?」

「う、ううん。大丈夫。ちょっと貧血気味なのかな?」

「無理しないでマリル。もう少し休んでから行く?」

「それなんだけどね……やっぱりヴァンちゃんはノヒンさんのところに戻った方がいいと思うな」

「それはダメだよ! マリルのこと放っておけない!」

「本当にそれでいいの? 昨日もずっとノヒンさんのこと話してたし……」

「いいんだよあんなやつ! 僕の知ったことか! ま、まあ……マリルを領主様のところに連れて行ったあとなら、少し話してやってもいいけどね! でも謝ってくれなかったら許さない! その時は本当に絶交だよ!」

「ヴァンちゃんも素直じゃないなぁ。でも領主様のところなら私一人で行けるよ? だから意地張ってないでノヒンさん探しに行っていいよ?」

「ダメだダメだ! マリルは可愛いんだから……また昨日みたいなこともあるかもしれない! 僕が領主様のところに連れて行くよ! ほらほら行くよ!」

「でも……」


 何か行きたくない理由でもあるのだろうか、マリルが動こうとしない。


「もしかして……行きたくないの?」

「う、ううん……。行きたくないわけじゃないけど……。あのねヴァンちゃん……私ね……」


 マリルが真剣な表情でヴァンガルムを見つめる。その表情がどこか高揚しているようで、それは少女というよりも……


 まるで娼館の娼婦のように、怪しい色気を漂わせている。


「そこにいるのは誰だ!」


 バンッと大きな音を立てて扉が開き、甲冑を着た兵士が納屋の中へと入ってきた。磨き上げられた綺麗な甲冑で、傭兵などではない身元確かな衛兵のように見える。


「ぼ、僕、悪い魔獣じゃないよ! 友達のマリルが心配で一緒にいるだけなんだ!」


 何かの物語で聞いた事のあるような怪しいセリフを、ヴァンガルムが口走る。


「廃屋の納屋から怪しい声がすると通報があったので来てみれば……街中に魔獣だと? き、君! その魔獣から離れなさい!」


 衛兵が剣を抜いて構える。怪しかろうが怪しくなかろうが、魔獣は魔獣。この世界には人に好意的な魔獣もいるが、あくまで魔獣は人に害をなす存在。一般的な反応だ。


「ま、待って下さい! ヴァンちゃんは危険な魔獣じゃないんです! 昨日も酒場で私を助けてくれて……」

「この魔獣が……? いや……今酒場と言ったな? もしや昨日の惨殺事件……」


 衛兵がカチャリと剣を持ち直す。どうやら昨日の酒場での事件を、ヴァンガルムの仕業だと思わせてしまったらしい。


「ちょっと待って下さい! ヴァンちゃんこんなにかわいいんですよ? こんなに小さくてふわふわもこもこで……見てくださいよ! このつぶらな瞳!」

「や、やめろよマリル! そ、そこはだめだって……く、くぅーん」


 マリルに喉元をさすられ、ヴァンガルムが腹を出して寝転がる。


「た、確かにこんな小さい魔獣では、酒場の死体のような殺し方は出来なそうだな……。だがそうなると昨日の犯人はどこに……」


 衛兵が剣を納め、恐る恐るヴァンガルムのお腹をさする。とても気持ちよさそうな顔で転がるヴァンガルム。


「それで? 君たちはここで何をしていたんだ?」

「それは……私が……」

「マ、マリルは行商の途中で……くぅーん……親を殺されて……く、くぅーん……ここまで……くぅーん……ってやめろやめろ! 僕は気高き孤高のヴァンガルム! 気安く撫で回すんじゃない!」


 そう言ってヴァンガルムが飛び起きると、転がっていた木箱の上に立って背筋を伸ばす。


「ヴァンちゃんかわいい」

「う、うるさいうるさい! 衛兵さん! マリルは両親を殺されて天涯孤独なんだ! だからここの領主様が孤児院に力を入れてるらしいし、一緒にお願いしに行こうって話してたとこ!」

「そういうことか。なら一緒に行くか? 君も危険な魔獣ではないようだし、領主のパラン様ならば受け入れてくれるだろう」

「え? いいの?」

「ああ構わないよ。普段から領主様には孤児がいたら連れて来なさいと言われているしね」

「や、やったー! やったねマリル! 衛兵さんと一緒に行けるなら話は早そうだよ!」

「う、うん……そうだね……」

「そうとなれば善は急げだ! 行くよ! 衛兵さん!」


 どこか不安げなマリルをよそに、衛兵に連れられてパランの屋敷へと向かう二人──



---



 ──ノヒンの眼前に、まるで城壁のような堅牢な壁が立ちはだかる。高さもあり、厳重に守られていることが伺える。ただの領主の館にしては厳重すぎるほどに厳重だ。


 装飾が施されたどこか宗教的な重厚な門の前には、重装備の衛兵が二人いる。


(どっかから侵入しようと思ったが……こうも厳重じゃあ侵入しようがねえな。本気を出しゃあ壁くらい壊せるが……。ちっ、仕方ねぇ。正面から行くか)


 ノヒンは侵入することを諦め、重装備の衛兵が守る門の前へと歩を進める。


「そこの男止まれ! ここはパラン様の屋敷! 何用だ!」

「これが屋敷ねぇ? 城じゃねえか。ちょっとパランに用があってな。通しちゃくれねぇかな?」

「だから何用だと聞いている! それ以上前に進むな!」


 衛兵が剣に手をかける。


(ちっ、そりゃそうなるよな、どうしたもんか……)

「パラン様はこれから大事な儀式がある! しばらくは会えんぞ!」

「儀式だと? ……とりあえず聖レイナス騎士団で世話になったノヒンだと伝えてくれ」

「聖レイナス騎士団のノヒンだと? ……嘘をつくな貴様! 聖レイナス騎士団は次元崩壊に巻き込まれ、全員死んで壊滅したと聞いたぞ! 話はここまで届いて……いがはっ!!」


 言いきる前にノヒンの鉄甲が鎧を砕く。前のめりに衛兵が倒れ、残された衛兵がノヒンに向かって剣を抜く。


「き、貴様……ぁがっ!!」


 残る片方の衛兵も問答無用で殴り倒す。


「パランに騙されてやがる可能性も否定出来ねぇからよ、加減はした。大人しく通してくれりゃあよかったのによ」


 ゴゴンと門を開け、ノヒンが敷地へと入る。門を抜けた先は広い庭園であり、中央にはパランの銅像が鎮座した噴水があつらえてある。


(相変わらず趣味が悪ぃ。それより全く人がいねぇのが不気味だ。儀式って言ってやがったがあのやろぉ……まさかまた似たようなことをやるつもりじゃぁ……。ちっ、あれで終わりじゃねぇってのか?)


 パランにはあの日──次元崩壊の日の真実を問いただしに来た。


 だがこれはあの日の続きだとでも言うのだろうか。嫌な予感がノヒンの脳裏をよぎる。言い知れぬ焦燥感に駆られたノヒンは、気付けば駆け出していた。


 庭園を抜け、渡り廊下を抜け、目の前に巨大な円筒状の壁が現れる。


 まるでコロッセオのような形状だが、やはり装飾はどこか宗教的だ。通常のコロッセオとは違い、中の様子を伺うことは出来ない。眼前の壁の中からは、あの日と同じ禍々しい雰囲気が感じられる。

 

(ちっ、嫌な感じだぜ! パランの糞野郎が孤児を集めて世話してやがるなんて……ろくでもねぇことに決まってやがる!)


 ノヒンは駆ける勢いのまま、閉鎖的なコロッセオの扉を開けて中へと転がり込んだ。


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