図書館は走ってはいけませんよ

 めくっていたエチケットブックの後半のページで手を止めた。


『胸を大きくする方法』


 的中である。軽く内容を見て、精神論ではないことを確認してから、借りるぶんとして脇に抱えた。


「持つよ」


 すかさずヴィンセントが歩んできて、手を差し出してくれる。本当に細かいところまでよく気がつく。放っておいてくれて構わないのだが、これがヴィンセントの性格なのだろう。


「ありがとう」


 脇に抱えていた本をおとなしく渡した。


 エチケットブックの書架はまだ半分くらい残っているので、目ぼしい本をひらいては戻し、ひらいては戻しを繰り返していく。


「そういえばお兄様が追いついてこないわね」


 三冊めの本をヴィンセントに手渡したとき、気になった。広い図書館とはいえ、意図的にはぐれてからしばらくたっている。


「ルイが足止めしてるんじゃないかな。彼は優秀だからね」


 あの背の高い、焦げ茶の髪の、無表情な従者である。女性関係で身辺が大変そうなヴィンセントの従者をやっているのだから、優秀なのだろう。


「おっと、噂をすれば兄上だ」


 ヴィンセントが書架から通路のほうをうかがっている。わたくしも同じようにのぞきこむと、書架が連なる通路の先、らせん階段を上がってくるアルバートとルイが見えた。


「ヘレナヘレナヘレナヘレナヘレナヘレナ……」


 顔色の悪いアルバートが呪いのようにわたくしの名前を呟いているのが聞こえてくる。怖い。


「出すぎた物言いとは存じますが、マイ・ロード。呟きながら早足はまわりの方に不気味がられますので、お控えになったほうが」


「ヘレナの素晴らしさを語っていたらいつの間にかロード・ブラッドローにヘレナが連れていかれたからじゃないか! 君があまりにも聞き上手だから!」


「おほめいただき光栄です。図書館ではお静かに」


 すれ違おうとしていた紳士が怯えた顔でアルバートとルイのふたりを避けていく。ルイが優秀なだけかもしれないが、意外とよい関係なのではないだろうか?


「それじゃあ逃げようか」


「え? ちょっと!」


 ヴィンセントに手を引かれる。


「ヘレナ!」


 書架から通路へ走り出したら、アルバートのこの世の終わりのような叫び声が追ってきた。


「ロード! 図書館は走ってはいけませんよ。僕もですが」


 ヴィンセントが屈託ない笑い声を含ませながら背後に向けて叫ぶ。


 こいつ、面白がってるな?


 抵抗したら話がややこしくなりそうなので、またヴィンセントに引っ張られるのに付き合った。書架のあいだを何度も曲がり、らせん階段を下る。


「失礼!」


 ぶつかりそうになる紳士たちをよけ、角を曲がったところの書架の横でようやく止まった。わたくしはまた息も絶えだえで、書架の側板に寄りかかってしまう。


「ロー……」


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