あの魔王め

「お兄様。マーガレットと結婚を控えている身で前科を作ろうとするのはおやめください。わたくしは何ともありませんから。気を強く持って」


 アルバートをなだめていたら、ひらいたままだったドアがまたノックされた。黒いドレスに白いエプロンのメイドが立っている。


「ヘレナお嬢様、ヴィンセント・ブラッドロー侯爵がお見えになっています」


 親友ふたりの短い声と、アルバートの悲鳴が重なった。


「留守とお伝えしたの?」


 友人たちとの大切な時間をじゃまされたくなかったので、訪問者があった場合は留守と伝えるよう言っておいた。貴族のあいだでは居留守など日常茶飯事——なのだが。


「お伝えしたのですが、中でお待ちになると……」


 メイドが言いづらそうに眉尻を下げた。


 ブラッドロー侯爵家のほうがわが家より立場が上なので、先触れなしの訪問も少々の無礼も許される。当然、分かってやっているのだ。あの魔王め。


「ヘレナ、ロード・ブラッドローと親しくしていたの?」


「『赤き浮き名の魔王』よ? いくらヘレナでも危険ではない?」


「もしかしてロード・ブラッドローに弱みでも握られてしまったのかい? まだ暗殺者なら空きがあるぞ!」


「お兄様はすぐに暗殺者に頼るのはおやめください。ロード・ブラッドローとは少しお話しさせていただいただけよ。わたくしにはまったく興味がなくて、わたくしの扇子護身術に興味がおありなんですって」


 心配そうなマーガレット、ローザと、ひとりだけ桁違いに顔面蒼白になっているアルバートに微笑みかける。


 もちろんそんな話は大うそだが、ヴィンセントとの協力関係のことは誰にも話していないし、話せることでもないので、そのまま流していた。けれどたしかに協力すると言っていたし、わたくしに協力することがヴィンセント自身の利になると言っていたので、今後は少なからず会わないといけないのかもしれない。正直ちょっと嫌だ。あの場だけの冗談かと思っていたのに。


「分かりました。一時間後にお会いします」


 メイドへ向けて告げる。


「ごめんなさい、ふたりとも」


「いいえ。もし本当に脅されていたりしたら相談してちょうだいね。あらゆる手を尽くしてロード・ブラッドローを脅し返せる弱みを探し出すから」


「くれぐれも気を付けて。あとお兄様の動向にも注意してさしあげて」


 マーガレットがさらりと物騒なことを言い、ローザが至極まっとうな意見をくれる。


「当然僕は同席するからね? ああ、名前を言うのもはばかられる伯爵より先にロード・ブラッドローに剣を向けることになってしまうのか……でも拳銃はさすがに……」


「いろいろな意味で同席していただけたほうが安心ですので、よろしくお願いしますわ。あとロード・ブラッドローはまだ何もしていませんから、先制攻撃はおやめください」

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