どこのロマンス小説から拾ってきたのだ?

 ドロシーが満面の笑みを浮かべた。寄りそう赤のドレスと、黒のえんび服の後ろ姿が、廊下の角を曲がっていく。そうして、ああふたりは同じ黄金色の髪なのだなと、どうでもいいことが浮かんできた。不自然にぎこちないサイラスとは対照的に、ドロシーはずっと笑顔だった。


 何も言い返せなかった。


『レディ・ヘレナ・ロビンソンが胸が小さいからという理由で婚約破棄されたそうですわよ』


『新たなお相手はミス・ドロシー・アスターでしょう? 爵位も財産も伯爵家のほうがまさっているのに、おかわいそうに』


『伯爵家は家柄も財産も素晴らしいのに、お胸だけがなんて……ねえ?』


 こんな噂がすぐ広まって、あることないことが加えられていき、陰で笑いものにされる未来が見える。屈辱的にほかならない。


 非常識とはいえ、男性側から安産体型ではないからという理由で婚約破棄を申し立てられれば、おそらく成立してしまう。家が強かろうとも、持参金が多額だろうとも、女性側に異議を唱える権利はない。


 ていうかそれだったら最初から婚約なんて申しこんでくるなばか息子が!


 心の中で汚い言葉を叫んでしまったが、口に出さなければ問題ない。


 大体、サイラスのほうからしつこく口説いてきたのだ。


『君の瞳に恋してる。今夜は君の瞳に向かって愛を叫ぶよ。君の瞳に乾杯』とか、どこのロマンス小説から拾ってきたのだ? という口説き文句を並べたてられ、根負けする形で婚約してしまった。まあ容姿は悪くないし、デイル伯爵家は貧乏だけど由緒ある家柄だし、と思ってしまった過去の自分を殴りたい。


 サイラスは父親に『長男のサイラスを廃嫡して優秀な次男を後継者にしたい。ああ、次男が長男だったなら』と嘆かせるくらいの頼りないばか息子なのだ。


 まあ頼りない夫をわたくしが支えてさしあげましょうという変な母性があったのかもしれない。屈辱極まりないが、あほらしい口説き文句でも、恋愛結婚の真似事のようで浮かれてしまったのだろう。婚約してしまったのはわたくしにも非がある。


 けれどあきらかに持参金目当てだったくせに、婚約破棄してこちらに不名誉な事実を刻むだけ刻んで逃げるとは何様だ。このまま笑いものにされるのも哀れまれるのも気が済まない。


 わたくしは誰もいない廊下で、寒さも忘れて腕を組んだ。


 分かりました。自力で胸を大きくして社交界に見せつけてからシスターになって引退しましょう。


 大切に育ててくれた父と母、過保護すぎるけれど大好きな兄、使用人たちのため、貴族の娘として、家の名誉を守るために務めを果たそうとしてきた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る