第6話 嫌になるほど順調に
そのような感じで日々を暮らしている私が、現在自力で出来る事は――テレビやDVDを見る、オムツを自力で替える、お尻を拭く、寝る、寝返りを打つ、呼吸する、ご飯を食べる、水を飲む、喋る、考える――以上の十点くらいだ。もっと出来る事が見つかったら追記したい。
この状態でも花川くんが加わると自由度が爆発的に増えるので、私はそれが毎日の楽しみだった。歩いているように浮かせて貰って通勤気分を味わったり、懐かしい記憶に浸れる外食をするのが一番嬉しい。花川くんは器用なので、箸さえ指に挟めば、まるで私がラーメンを食べているみたいに演出してくれた。焼肉は個室の店を選び、私の言う通りの焼き加減で口に放り込んでくれるし文句など無い。あとはお風呂。バリアフリーとはいえ手すりが付いている程度なのに、さっぱりと洗ってくれる。毎日のムダ毛剃りも忘れないし、この間は髪まで上手く切ってくれた。抱くのにも私がラクな体位を見つけてきて「これ試してみましょうよ!」なんて爽やかに笑うから、ひっじょーに恥ずかしかったがキスで答えてみた。
私の石化はその後も嫌になるほど順調に進み、高校三年生の花川くんを受験生に仕立て上げた頃には太ももの付け根までが石になっていた。この『仕立て上げた』というのは花川くんが私の世話をするため進学を拒んだからで、もちろん私は進学するよう説得、あれこれ言ってくる花川くんを二ヶ月間の無視で乗り切った。ちなみに、その二ヶ月間は入院して、花川くんとの面会を拒否している。一応メールだけは受け取る設定にしていたのだが、最初の方こそ花川くんは私を論破しようとして、でも返信しないと段々泣き言ばかりになり、最終的には「解りました進学しますのでお願いです顔を見せてください死にそうです死にそうです死にそうですもう死にますせめて返信をください声だけでも聞くたいですしぬます」という、誤字交じりで句読点の無いメールが来た。それに返信したら、窓の外から花川くんが秒で現れたのには、さしもの私も驚く。彼は私の個室の場所を把握していた訳だ。花川くんは我を忘れたように私を浮かせ、そのままアパートへ向かうハメに。アパートではがんがん抱かれて参った。
その間、私が消えた病院では大騒ぎ。これについては花川くんに責任というやつを取って貰った。どうやって連れ出したのか根掘り葉掘り聞かれ、まぁだいぶ怒られたらしい。
ともかく。
これで花川くんは受験生となり、勉強なんかも夜遅くまでするんだろうなと思っていたのだが、そんな気配は微塵も感じさせない。彼の頭脳は相変わらず優秀だった。国立大の医学部という、私が考えるに最難関だろう志望校を持ってしても、花川くんの『安全圏』は犯せない。
一体いつ勉強しているのかと尋ねたら「学校の休み時間」という返答があった。その時間は友だちと過ごして欲しいものだが、無理やり受験するよう持って行った私には強く言えない。
ちなみに、花川くんが医学部を選んだ理由はご両親への強いアピールだ。私の世話ばかりして学力を落としてなどいない、むしろ奇病の人間と一緒に居る事で医者を目指そうと思った、とかいう言い訳も添えられていた。
医者に世話になっている身の私としては『社会に貢献したい』なんて動機だったら最高に嬉しかったのだけれど、「礼田さんの病気を治す為です」という雰囲気が無い事には安心した。今までの石化の経過からして、高三の花川くんが研修医を終えて一人前になるまでの九年後、私が生きているとは思えない。
(そうだ、九年。入学してからはストレートで合格しても八年か。医学生も研修医も忙しいらしいんだよなぁ。私と花川くんが暮らせるのは、ギリギリでも三月の中旬くらいまでかねぇ)
私は花川くんの手を離れた後、世話になっている病院で最期まで入院させて貰おうかなぁと思っていた。もはや私の世話は母さんやヘルパーさんの手に負えるレベルではなく、入院か花川くんの超能力に頼むしかない程度まで来ている。なにせ脚が石になっているから重くて仕方ない。母さんなんか片脚を持ち上げようとしただけでギックリ腰になる。
この話をどこで知ったのか、毛利と吉岡、大久保が交代で介助を――なんていう話が舞い込んできた。気持ちは嬉しいけれど、肩が石になったらオムツも自分で変えられなくなるので遠慮する。花川くんなら兎も角、その辺を近しい人に見られたくは無い。逆に看護師の方が遠くて頼みやすかった。でもまぁ感謝の意は伝えておく。私はいい奴ばかりに囲まれたモンだ。
そこから私は花川くんと、三月に別れると思いながらも幸せな日々を送った。数え切れないくらい出掛けたし、私の誕生日にはお祝いをしてくれて、クリスマスも一緒に過ごす。年末は蕎麦、年始には見切り品の御節と花川くん作の雑煮を食べた。死ぬまでに一回くらいは飲んでおくべきかな? と思ったお屠蘇のマズさには速攻で倒され、翌日は気を取り直し、初詣なんかに行ってみる。私は花川くんが無事に合格するよう願った。
この間にも私の肘は石化して、その波は肩まで来ようという勢いだ。膝の時の反省で、寝る時も肘を軽く曲げていたから、下の世話は何とか自分で出来る。
でもまぁ、石化部分の重さが段々厳しくなり――身体を起こす時は三角巾が今風になった、アームスリングとかいうので両腕を吊るような生活になってしまうと話は別だ。私はぺこぺこ頭を下げ、花川くんにオムツの世話を頼む。花川くんの態度は『待ってました!』という風だった。
「いやー、これでやっと僕も礼田さんの全てが見れてしまう訳です。オムツ交換の度に、部屋から追い出される事も無く」
「変態っぽく言うな!」
「僕は嬉しいですよ? 頼んでくれたこと自体が幸せだと思います。もしも見知らぬヘルパーさんとか看護師に、礼田さんのソコを見せるなら大反対してました」
「あー……まぁ看護師にはそのうち頼むと思うが」
「僕は嫌だな……うん、絶対に嫌ですね」
この辺で私は会話を切り上げる。もしも花川くんがヘソを曲げて、「やはり介助します」と進学の予定を取りやめられたら大問題だ。
その日から花川くんは、にこにこしながら下の世話をしてくれた。最初は素手でやろうとしたので「せめて使い捨ての手袋を使ってくれ」と伝える。花川くんはお湯を掛けたりして綺麗に拭いたあと、きゅっと私自身を摘まんだりするのでとても困った。その成り行きで抱かれる場合も多い。自分にこういう下心があるから、他の人間に世話をさせたくないのだなぁと感じた。馬鹿か、こんな女を抱きたがる物好きはこの世に唯一人だ。
まぁそれはそれで良いとして、私の脳内にはかなりの心配事が浮かんでいた。石化が肩にまで及んでしまったのだ。これで私の石化部分は肩から手の指先、腿の付け根から足の指先という感じになっている。次は一体、どこが石化を始めるんだろうか。
(うーん……どこを起点としても生命の危機だよな……)
頭や顔から始まればすぐ脳に到達するし、肩だと呼吸器関連に影響が出そうで、脚の付け根なんか腸閉塞になってしまう。
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