染色世界のインパーフェクト

春猫うつつ

プロローグ

「キュッ?」


 ある日、一人の動物保護団体に勤めている男が一匹のウサギを発見した。

 脚力などは普通の個体より少し強い程度のものだったが、決定的に他の個体とは違う一点があった。


「なんだこいつ?体が黒いぞ?」


 そのウサギは体の一部が黒く染まっていた。

 普通、黒色のウサギはいてもおかしくはない。しかし、その個体は何かが違うのだ。

 結局違和感が拭えなかったものの、男は近くにいた団員などに確認をとり、最終的に上司に連絡を入れ、その個体に異常が無い事が確認されると無事にウサギは保護施設へと送られた。

恐らく突然変異の一種だとでも思われたのだろう。


 ウサギが施設に送られて数日が経った。

 男の勤めている団体は、動物を施設へ送るなどといった役割はなく、団員内で当番を回していた。その日は偶然男が当番だったため、動物を乗せた車で施設へ訪れた。


「……妙に静かだな」


 施設に入るためにパスワードを入力をしつつ、男は周りを見渡す。パスワードの盗難防止などの為に―――カードなどに変える予定はないらしい―――普段からそのような行動を強いられているわけだが、その日だけは自らの直感に従っての行動だった。

 結局のところ誰もおらず、その行動は杞憂だった。……行動は。


 パスワードの入力を終え、男は車を車庫へと向かわせる。

 いつもなら職員の案内があるのだが、この日はなかった。元々、この施設は人手が足りておらず、業務が忙しい場合は案内などの優先度が低いものは後回しにされる。そのため、このような事が起きても本来なら問題はないはずだ。

……そうに違いない。


 男は施設内の妙な静けさにおびえつつも運転を続ける。

その思考は運転になど回されておらず、数日前のウサギがこびりついているだけだ。きっと、あんなものを見たせいでこの静けさが気になるだけだ。と男は自身の不信感をありえない、と一蹴りする。


 男は車庫に着くと動物たちの入ったケースを車から出して、比較的体重の軽い動物のショーケースの持ち手を握った。

持ち上げると、中にいた犬が衝撃に驚いたのか「ワヴゥゥ……」と唸った。恐らく浮遊感が居心地悪かったのだろう。それに、知らない場所に閉じ込められているので防衛本能的なものが働いているのかもしれない。

 普段は気にもしないようなことだが、不安に駆られている今はそれも気味悪く感じてしまう。


 これ以上考えても無意味だと判断したのか男は施設の検査場へと向かう。動物たちをケースの中に保護するときにもうワクチンなどは摂取させているが、流行りやすい

ものだけだ。細かい病気などの検査及びワクチン摂取などは終わっていない。

 足を進める中、時々職員と出会うが、誰一人として挨拶どころか見向きもしない。しかし男が通り過ぎると、その背をジーッと見つめている。

案内もせず何をやっているんだ、と男も人とあったおかげか、愚痴を呟ける程度に放ってきていた。


 そうこうしているうち、男は検査室の前まで来ていた。

 男がドアに手をかけると、中から声が聞こえてきた。


「また来たのか……」


 呆れと恐怖が五分五分といたような弱弱しい声だった。

 男は何を言っているのだ?と思ったが気にすることはないと扉を押したが、鍵が駆けられていた。おまけと言っては何だが、扉の前にはタンスや机などが置かれており、ドアは開けられそうにない。

 流石に何かのドッキリだったりサボりだったりだとしても男の頭には血が上っていた。


「ふざけるんじゃねぇ!さっさと開けやがれ!」


 怒りや中の人物の反応による恐怖も相まって、男は叫ぶ。

暴言などはあまり吐かない。あとあら何か言われるのが面倒くさいからだ。

 中にいる人物は何かに気づいたようだったが、男にとってはどうでもよかった。だから次に待つのは……。


「いいか!?お前がやってんのは職務放k―――」


 ゴッ!という鈍い音が響き、男は崩れた。

戦場では冷静さを失った者から死ぬというが、戦場とすら気づいていない者が前提以前の時点で死ぬ、という教訓を中から少し覗いていた者は得ただろう。

 崩れた男は常にこと切れている。その身はグッチャグッチャという汚い咀嚼音を立てる真っ黒な動物たちが喰らっている。その中には男が保護したウサギもいた。


 やがて動物たちは満足したのか、その場を去る。室内からその様子を見た者達は扉の目の前にある血生臭いソレに吐き気を催したが、同時に感謝をした。動物たちが去ったからだ。

 そしてそんなことが起これば……。


「なぁ……。」


 室内に取り残された一人が扉の外にあるだろうソレを指さし、引きつった笑みを浮かべながら呟いた。その全身は震えている。


「嫌だ!俺は生きるんだッ!!!!」


 男の挙動を見て、察しのいい一人がそう叫んだ。


「お前がいけッ!」

「お前がッ!」

「ふざけんな!」


 ここまでくると嫌でも意味が分かる。『生贄を出せば生き残れる』。

 非常時はお互い協力しないと、などと普段は善良な人間アピールをするが、結局自分が良ければそれでいい。人間の根幹はそんなものだ。


 そして人間はパニックになるときちんと頭が回らない。小学生でもまだマシな言い合いができるだろう、と思うような汚く、醜く、幼稚な押し付けが始まる。

 次第に、室内の人間たちの争いは激化していき、暴力にまで訴えるまでとなった。

 ここから先は語るまい。まぁただ、この者達の死地は室内だったとだけは言っておこう。


◇◇◇


 同時刻。

 世界各地で同じような事が起こり始めた。


『速報です!世界各地で全身が黒く染まった動物たちが暴れています!普通の動物とは違い、身体能力が桁外れなほど強化されているらしく…とにかく逃げて下さい。私はこんなことやってられません!…プツッ…ザーッ』

 

 アナウンスがすぐに流れ始めるが、いったいどうすればいいというのだろうか。

 常にアナウンサーは仕事を投げ出してしまっている。いや、ここまでの事態に陥っているのにせめて少しでも情報を発信している時点で、称賛されるべきか。


 頼りない情報だけでは、まともな判断が下せない。

 常に諦めたのか優雅にティータイムを楽しむ猛者も現れ始めている。

また、“黒„に気を付けろ、という情報が渡されたせいで、運悪く黒色の服を着ていた人が何人も殺されている。

 まさに世紀末というべきか。


 漫画や小説ならこういうときは覚醒した主人公が助けてくれる。しかし現実はそうはいかない。

 たった数秒を他人を蹴落としてまで生きようとする者、普段は大人しいばあちゃんが杖で動物に抵抗し、主人公を気取ったバカが動物に特攻を仕掛けて命を散らしていく。最後のは何がしたいのか本当に分からないが。


 東京のある街でも、できるだけ避難しようとする人々で溢れかえっている。

 そんな中、避難していた男性の一人―――倉橋くらはし はじめが、黒色に包まれた。

 周りはまた黒に怯え、倉橋を殺そうとする。

 しかし、黒が周りからの攻撃を拒む。


 早々に殺すことができないと判断した人が、一人、また一人と倉橋から離れていく。

 そこへ黒に染まったゴリラが到来。目の前の子供に目をやる。

 そのままゴリラは子供をはたき殺そうとするが、倉橋がその腕を受け流し、顔面に拳を撃ちこんだ。

 溢れ出す血。その元はゴリラの顔面からだ。


「助かった…?」


 と、その子供がその場に安心で崩れ落ちている。

 少年が崩れると、人々は歓声を上げ始めた。さっきまでさんざん蹴落とそうとした人間に対して。

 喜びに倉橋を胴上げ使用と近づくが、倉橋は無視して少年に駆け寄った。


「ありがどお、おにいぢゃん!!!」

「うん、良かったね。」


 歓喜に咽た子供の方に倉橋は手を置いた。


「楽に死ぬことが出来て。」

「エ゛?―――」


 そしてもう片方の手が子供の腹を穿った。


「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!??」

「うるさいなーもう」


 そのまま子供が倒れないうちに顔面へ一蹴り。少年は消息を絶った。


 あまりにも一瞬の出来事すぎて周囲は理解が追い付いていないようだ。

倉橋はそれをいいことに、また近くにいた高齢男性を殺した。

 それと同時に、悲鳴が上がる。倉橋の下から必死に逃げようと人々は四方に散っていく。


「あーあ、残念。まいっか。」


 現れたはずの英雄は、一瞬で去った。ただ、子供を殺したいがために、邪魔をしたゴリラをひねっただけだった。

 また、絶望なのは英雄が悪の者だっただけでなく、こちらには戦力がなく、あちらは際限なく増えていく事だ。

加え、倉橋の実力を見た周囲の動物は倉橋の命令に従っているようだ。暴力だけでもかなり厄介だった集団に、脳が誕生してしまった。


 また一人、黒に染まっていく。また一人。

 黒に染まるのはまだマシだ。お遊び半分で拷問のような殺され方をしたような者に比べれば。

 この時点で趨勢は決まったのだ。ただの人間は逃げる事しかできない。


 まだ、この世界に英雄が生まれるのには、もう幾ばくかの時間を要した。

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