虫たちのはなし
望月遥
蚊の女王
「雨がねえ、全然降らないのよ」
草木に覆われた庭の真ん中で、突き抜けるような夏の青空を見上げて彼女は言った。晴れているのはいいことなのでは?と僕は返す。
「あなた、なんにもわかってないのね」
その言い方に棘を感じて僕はムッとしたが、黙って言葉の続きを待つ。
「こんなに暑いとボウフラが死んじゃうわ」
ボウフラ? ボウフラってあの蚊になるやつ?? そんなのいなくなった方がいいじゃないか。僕の心に浮かんだ疑問を読んだように、彼女は語りを続ける。
「ボウフラは水を綺麗にしてくれるのよ。それに、蚊は普段花の蜜を吸ってるから受粉の役にも立つ」
言いながら手を伸ばし、咲いていた真っ赤な芙蓉を引き寄せた彼女の横顔は、とても美しかった。
「蚊は食物連鎖において鳥や魚や昆虫たちの貴重な食糧なのよ。蚊がいなくなったらこの世界はちゃんと回らなくなってしまう」
芙蓉から手を離し、僕の方をじっと見つめる彼女の目が潤んでいるように見える。随分蚊に詳しいんだね、と僕が言うと、彼女はくつくつと笑った。暑い真夏の日差しの下だというのに帽子も日傘も使っていない彼女の、化粧っ気のない白い肌が日光を反射して輝いている。
「そうよ」
さっき芙蓉に触れていた彼女の手が、今度は僕の頬に伸びてくる。
「だって私は」
細く白い指先が届くか届かないかの感覚につい目を閉じてしまうと、ひやりと冷たいものが頬に触れた。
「だって私は、蚊の女王だもの」
目を開けた僕の視線に、ぺろりと唇を舐める彼女の舌が艶かしく映る。思わず僕が自分の頬に手をやると、うっすら滲んだ血の色が、指先に移っていた。
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