第33話 誕生日プレゼント【クロエSIDE】

 1月6日はわたしの誕生日だ。

 18歳になった。


 朝6時に起きて、司令塔の屋上に登り、城壁の向こうを見た。

 オースティン軍の陣容が変わっていた。

 西の方を向き、なにかに備えている。

 たぶん、待ちわびていたものが来るのだ。

 ジルベールがやってくる。


 8時頃、地平線にヴァレンティン軍が現れた。

 最前列から最後列までピタッと揃った堂々たる軍陣で草原を進んでいる。

 列の後ろ、騎馬隊の中に白馬の王子様がいた。

 悪の王を倒すために、ジルベールがついに来てくれたのだ。

  

 1年前の17歳の誕生日に父から、クロエは王子様と婚約することになった、と告げられた。

 わたしの胸は歓びで打ちふるえた。

 でも、その婚約は災厄の始まりだった。

 サイラス・オースティン王子との相性は最悪。

「おまえは虫が好かない。引っ込んでろブス」

 王族との面会やら婚約の儀やらいろいろな儀礼的なものが終わり、王子とふたりきりになったとき、最初に告げられた言葉がそれだった。

 わたしは可愛いとか美少女とか言われたことはあっても、ブスと言われたことはなかったので、一瞬頭が凍結した。

「え?」

「ちょっとは期待してたんだけどなあ。だめだおまえ、嫌いなタイプなんだよ。こっち向くな」

 ガツン、といきなり顔を殴られた。

 甘い期待は突如として消え失せ、失意と苦痛の毎日が始まった。

 何度も叩かれ、蹴られ、罵倒された。

「おまえが公爵令嬢でなかったら死んでもらうのになあ。さすがにブライアン公爵の娘は殺せないや。いちおうボクにも政治感覚ってやつがあるからね」


 サイラス王子は女性が嫌いで、わたしを殴っているのではなかった。

 彼は女好きだった。

 形だけとはいえ、わたしという婚約者がいながら、平気で女遊びをしていた。

 とっかえひっかえ、何人もの女性と遊んでいた。

 侍女や貴族の令嬢、歌姫、女性騎士らと付き合っていた。

 それらの女の人たちは次々と死んだ。絞殺、撲殺、刺殺、毒殺、射殺、処刑……。

 好きな女をいたぶり、死なせる趣味があるようだった。

 王子に好かれなくてよかった、とわたしは思うようになった。

 彼はときどき現れて、「ブス、死ね」などと喚き、殴る蹴るの暴力をふるう。

 男の力でお腹を思いっ切り殴られて、わたしは悶絶した。

 頬を張られて、口の中が切れた。

 脛を蹴られ、痛みで泣いた。

 関節を逆方向にねじられ、懸命に抵抗したが、彼が飽きるまで離してもらえなかった。

 わたしにしかできない使命がなかったら、つらくて自殺していたかもしれない。

 秘かに水晶を取り寄せ、夏冬の聖女のつとめを果たすことだけを考えて、生き延びた。

 痛みに耐える理不尽な日々は、婚約破棄と国外追放を言い渡されるまでつづいた。


 ライリーの草原で行われた戦闘を、司令塔の屋上で、わたしは最初から最後まで見た。

 その戦いは、城から打って出た騎兵隊が、わたしのつくった爆弾を敵陣に投げつけるところから始まった。

 それはちょっとした前座だった。

 直後に両軍が激しくぶつかり、しばらく巨人と巨人が押し合っているような状態がつづいた。

「ちゅうおぉうぐんだぁんまえへー」という天まで届くような大声がしたとき、形勢がはっきりと変わった。

 ヴァレンティン軍がオースティン軍の中央を食い破るようにして突破し、反転した。

 味方が敵を包み込むような形が出現し、わたしは会戦の鮮やかな勝利を目撃した。

 獅子の旗はいつの間にか折れて、地に横たわっていた。

 背の高い兵士が復讐すべき男を捕らえ、縛り、かついで歩き、白馬の王子様の前に放り投げた。

 敵の王を捕らえたのだ。

 戦争は終わった。


 正午頃、ジルベールを先頭にして、城門からヴァレンティン軍が入ってきた。

 わたしは門の横で立っていた。

「ジルベール、待っていました。ありがとう!」とわたしは言った。

「クロエ! 無事でよかった!」

 彼はわたしを見て、輝くような笑顔になった。

「エリエル様と会えました!」

 カイシュタイン山で目的を果たしたことを、夢中で伝えた。

「そうか! 婚約……できるな……!」

 白馬の王子様の頬が赤く染まるのを見て、わたしは心の底からうれしくなった。


 激闘を終えた兵士たちは、兵営や広場で食事をし、休養した。

 幹部たちは司令塔の1階に集合した。

 ジルベール、ふたりの将軍、12人の万人隊長。

 イーノ、3人の千人隊長、わたし。

 そして、捕虜となった敵の王、サイラス。


「ジルベール王太子殿下、援軍ありがとうございました。大勝利おめでとうございます」とイーノが述べた。

「イーノ、ご苦労だった」とジルベールがねぎらった。「皆にも礼を言う、ありがとう。ヴァレンティンは守られた」

 ヴァレンティン軍の幹部たちは笑いさざめいた。

 サイラス王は彼らに取り囲まれ、手足を縛られ、床に倒れていた。

 わたしに拷問同様の日々を与えた元婚約者は、王の尊厳を失い、虜囚のはずかしめを受けている。

 わたしと視線が合うと、希望を見い出したかのように、目を見開いた。

「クロエ、おまえはオースティン人だろう? ボクを助けてくれ!」

 命惜しさに、臆面もなく叫び出した。


 わたしは黙ってサイラス王を見つめた。

 あなたがわたしにしたことを思い出してよ。

 幾度も本気で暴力をふるわれ、死にそうになった。

 暴言も暴力と同じくらいつらかった。

 最後には暗殺されかけた。

 わかっているでしょう? わたしはあなたを殺したいほど憎んでいるのよ……。 

 殺意を込めた視線を向けると、彼は怯えて、「ひっ」とうめいた。

「あなたはクロエとの婚約を一方的に破棄し、国外追放処分にしたそうだな」とジルベールがオースティン語で言った。

「こ、婚約は破棄したが、追放なんてしていない……」と捕虜となった王は弱々しく答えた。こいつに恥という概念はないのだろうか。

「嘘つき……」とわたしはつぶやいた。


「あなたは女性に暴力をふるうのがお得意だったようだ」とジルベールが追及した。

 サイラスは首を振った。

「ち、ちがう。ボクはそんなことはしていない」

「いくつもの情報筋から、あなたが恋人を何人も殺しているとの報告が入っている」

「誤解だ!」

「宣戦布告もなく、大義名分もなく、ヴァレンティン王国に攻め入った。これも誤解か?」

 ジルベールが冷たく言い放った。

「父の遺言だったんだ。大陸全土に平和を樹立せよって!」

 なおも言い逃れようとする怯懦な王。

「戦争によって平和を樹立するのは、あなたの王太子時代からの持論だったのでは? ご自分の口で、兵士たちを前によく演説をしていた」

「ボクは戦争によってなんて言ってない。世界平和を成し遂げたいと言ったことはあるけれど……」

「軍隊の前で世界平和を成し遂げたいと言う。手段は武力ではないのか?」

「武力じゃない。言論による外交でやりたかったんだ。今回のことは前の王やその側近たちに言われて仕方なく……」

「オリバー王の側近たちは、あなたの意思でほとんどが追放されたはずだ」

「ちがう、ちがうんだ……。ボクは平和主義者なんだ。戦争なんて反対だった」

 サイラスは自分の非を絶対に認めようとしなかった。

 なんという格好悪さ。ここまで往生際が悪いとは、わたしも知らなかった。


「あなたと話していると疲れる。クロエ、サイラス王の言葉に真実はあったか?」

 ジルベールがわたしに話を振ってくれた。これで発言できる。

「ひとかけらもありません」とわたしは答えた。

 裏切り者、とサイラスが喚き、ジルベールは目でもっと言え、とわたしに催促した。

「この方は女に暴力をふるうのが趣味でした。わたしも散々やられました」

「どんな暴力だったか言ってくれ」

「腹を殴る、頬を張る、脛を蹴る、関節を逆に曲げる、首を絞める」

「おまえの首は絞めていない!」

 語るに落ちた。

「サイラス陛下は侍女を絞め殺していますよね」

 王は絶句した。ジルベールのサイラスを見る目が極度に冷たくなった。


「ジルベール、わたしは今日、誕生日なんです。18歳になりました」

 唐突だが、わたしはそう言った。

「おめでとう?」

 突然の話題変更に、王子も戸惑ったようだ。

「誕生日プレゼントだと思って、わたしに一度だけ、サイラス陛下への復讐をさせてもらえませんか?」

「かまわないが、プレゼントならちゃんとしたものをやるぞ」

「ありがとうございます」

 わたしはつかつかと歩いて、倒れている王に向かった。

 彼の顔は蒼ざめていた。


「なにをする気だ? やめろ、やめてくれ。ボクはママにだって殴られたことがないんだ。来るな!」

 ママって……。こんなやつだったのか。

 捕縛されている王の前に立ち、彼の全身を見つめた。

 わたしは暴力をふるったことがない。

 うまくやれるだろうか。

「気持ち悪い。ボクを見るな。あっちへ行け、ブス」

 ブスという暴言を久しぶりにもらった。

「取り消せ!」とジルベールが叫んでくれてうれしかった。

「じゃあ、あなたにもらった暴力を、ほんの少しだけお返ししますね」

 わたしはにっこりと微笑んだ。

「待って、やめて、痛いのはいやなんだ」

「わたしもいやでしたよ?」

 1パーセントくらいは受けた痛みを返したい。

「ひいっ、やめてえ」

 狙いをよく定めて、王の股間を思い切り蹴った。

「ぐぅおおおお……」

 サイラスを悶絶させ、わたしはニッと笑った。

 居並ぶ男性たちを震えあがらせてしまったけれど、そのくらいは仕方がない。 

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