第23話 王と王妃との面会

 9月28日も朝からカイシュタイン登山について、シロー・トードーと話し合った。

 シローの目は細いが、その眼光は鋭い。頭脳も明晰なようだ。

 階級は下士官で、十人隊長をつとめている。

「クロエ様は登山服は持っているのでやすか」と尋ねられた。

 わたしは首を振った。持っていない。

「ブラウスとスカートでは登山はできねえです。靴も滑りやすい革靴ではいけやせん。冬の軍服が良いでやす」

「わたしに合うサイズはあるかしら」

「小柄な兵士もおりやすから、だいじょうぶでさあ」

 後で兵営に行ってみよう。

「それとこの上なく大切なことでやすが、資金はいかほどありやすか」

 わたしは思考停止に陥った。

「あ……。お金……かかるよね……」

「10月1日に出発したいのでやすよね。今日にでも食糧などを買い込まねばならねえです」

 わたしはジルベールの部屋に駆け込んだ。

「ジルベール、登山資金をください~っ」

「計画性がなさすぎる……」

 完全に呆れられた。


「クロエ、きみを両親に紹介しよう。王と王妃が婚約を認めてくれれば、そもそもカイシュタイン山に登らなくて済む」

「あ、はい、そうですね」

「ドレスに着替えてくれ」

 わたしは自室に戻り、シローにいったん帰ってもらい、午後にまた来てくれるよう頼んだ。

 ジルベールに買ってもらったドレスを着た。淡いピンクの上等な布で仕立てられた肩出しドレスだ。

 ノックの音がして、「着替えたか」というジルベールの声が聞こえた。

「はい」

 部屋から出ると、彼はテールコートを着ていた。正装した王子は、イケメンぶりが際立っている。

「かっこいい……」と思わずつぶやいてしまった。

「きみは綺麗だ」

 ジルベールに褒められて、顔が熱くなる。

 彼は左腕の肘を軽く曲げた。

 わたしは右手をその肘に添えた。

「では王の間へ行こう」

 彼がゆっくりと踏み出した。わたしはその横に並んで歩いた。


 初めて王の間に入った。

 明るい陽光が差し込む広間があって、そこに猫背の男性とジルベールに似たものすごく美しい女性がいた。

 このふたりがヘンリー・ヴァレンティン王陛下とカミラ王妃陛下だろうか。


「おはようございます、父上、母上」と王子があいさつをした。

「おはよう、ジルベール」

「おはよう……」

 王の声はよく聞こえたが、王妃の声は小さくて聞き取りにくかった。

 ふたりはテーブル席に向かい合って座り、チェスをしていた。

「私の負けだ。カミラは強すぎる」

 チェスは王妃の勝利で終わったみたいだ。

 青い瞳と腰まで届く長い銀髪を持つ女性は、勝ってもにこりともしなかった。

「ジルベール、そちらの美しいお嬢様はどなただね?」

 わたしは腰を折り、深く頭を下げた。

「お初にお目にかかります。クロエ・ブライアンと申します」とわたしは自分で言った。

「オースティン王国のブライアン公爵の令嬢で、きびしい夏と冬をやわらげる魔法の使い手です」とジルベールが補足してくれた。


「証拠を持ってきたのかしら」

 カミラ王妃の声は驚くほど小さい。ひとり言のようだ。

「彼女がエリエル様の末裔であるという物的証拠はありません。ですが昨日、季節の魔法を行使し、大熱波を退けました。この超常の力をもって、証拠とするわけにはいかないでしょうか」

「魔法使いであることは、エリエル様の子孫である証拠にはならない、と言ったはずです」

「わたしはクロエと結婚したいのです」

 ジルベールが声も高らかに言った。

 はっきりとした意思を両陛下に伝えてくれて、わたしは感動した。

 彼は本当にわたしと結婚したいのだ……。

 そのことを想うと、胸がキュンとなった。


「ジュリア・クラーク公爵令嬢……」  

 カミラ王妃は誰の顔も見ないで、虚空に向かってつぶやいた。

「ジルベールにお似合いだと思うわ……」

 とりつくしまもないとはこのことだろうか。

 わたしたちは椅子に座ることもできず、立ったままだった。

「王太子の婚約は、ヴァレンティン王国の国益にかなうものでなければなりません。教王家と婚姻を結べば、宗教的安定を得ます。大貴族と結べば、政治的安定を得ます」

 王妃は小さな声で淡々と話した。

 王はそのようすをうかがうばかりで、自らの意見を言おうとはしなかった。


 ジルベールが王位に就けば、カミラ・ヴァレンティン陛下は国母となる。

 生きている限り、国の中枢にいるであろう女性。

 子息の恋愛をまったく無視しているが、まちがったことを言っているわけではない。外国人であり、身分も低いわたしには、口出しのしようがなかった。

「母上、クロエとの婚約を認めてください。彼女はエリエル様にゆかりのある聖女です。宗教的な安定を得たければ、これ以上の縁談はありません」

 彼が抗弁してくれるのがうれしい。

「月光神の末裔であるという証拠があれば考えましょう」

 ちらりとわたしを見て、王妃が言った。

 やはり証拠が必要なのだ。カイシュタイン山へ行くしかない……。


 ジルベールはカミラ陛下と向き合うのをやめ、王の前につかつかと歩み寄った。

「父上、この国の王としてご決断を。私とクロエとの婚約を認めてください」

 ヘンリー陛下は困ったように肩をすくめた。

「話が醸成されれば認めよう。まずはカミラにうなずかせなさい」

 決定権はあくまでも王妃にあるようだ。


 わたしとジルベールは退室した。

 わたしたちは王太子の間の彼の部屋へ行った。

「やはりカイシュタイン山へ行かねばならないようですね」

「命にかかわる登山などしてもらいたくない」

「わたしは死ぬつもりはありません」

「必ず生きて帰れ。無理はするな」

 ジルベールは机の上に金貨を山と積んだ。

「装備は万全に。食糧は潤沢に」

 感謝とそれ以上の申し訳なさを感じながら、わたしは金貨を受け取った。


 ジルベールの助けがなければ、わたしはなにもできない。

 彼のためにできることがあれば、全力で尽くしたいのに。 

「わたしにできることはなにかありませんか」と尋ねた。

「死ぬな。生きてここに帰り、元気な顔を見せてくれ」

「はい……」

 ジルベールがわたしを強く抱きしめた。

 彼の身体は細いが、薄い鎧のように筋肉がついている。

 わたしは彼の背中に手を回し、抱擁を受けとめた。

「きみと離れたくない……。私もカイシュタイン山へゆく……」と彼はささやいた。

 無理だ。クルト王子が亡くなり、王太子になったばかり。命の危険がある登山が許されないのは、彼の方だ。

「もう一度王の間へ行ってくる!」

 ジルベールは衝動的に言って、わたしから身体を離し、部屋から飛び出していった。  


 彼は硬い表情で帰ってきた。

「オリバー・オースティン王の病状が相当悪化しているそうだ。サイラス王子の即位が近いと見られている……」

「サイラス王子が……!」

 彼は軍事的野心を公言している。危険な王になりかねない。わたしの暴力的な元婚約者。

「国際情勢が急変する可能性がある。私は王都を離れられない……」

 最初からジルベールに同行してもらうつもりはなかった。

「あなたの足を引っ張る女にはなりたくありません」

 わたしは口角を上げ、彼に笑みを見せた。

「ジルベールを助けられるような妃になりたいんです。必ず元気で帰ってきます。待っていてください」

 彼はわたしの髪を撫でた。 

 苦しげに「わかった……。待っている……」と言ったときの泣き笑いのような表情は、長くわたしの心に残った。

 

 登山の準備を大急ぎで進めた。

 シローは惜しみなく働いてくれた。

 アイザックは600人の登山隊員を揃えてくれた。

 デヴィットが参加してくれて、心強い思いがした。

 10月1日、わたしたちはゾーイ城を出立した。

 全員が黒い冬の軍服を着て、編み上げの長靴を履いていた。食糧や黒水晶などの重い荷物を背嚢に入れ、馬に乗って進んだ。

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