第19話 ジルベール元帥
忙しくなってきた。
婚約、推理、軍事、なにひとつとしておろそかにはできない。
私は兵営へ行った。
兵営には指揮官舎と下士官舎、そして数え切れないほどの一般兵舎があった。
指揮官舎は4階建て。1階と2階に千人隊長、3階に万人隊長、4階に軍団長が住んでいる。
私はガスパール・クレメンテ軍団長に会った。中央軍団を統率している将軍。
右の瞳は緑、左は黄。鼻骨は折れて曲がっている。唇に裂傷がある。ひと言で言えば奇相。無言で圧を感じさせる初老の男性だ。
「王太子殿下、とお呼びしてよろしいですかな」と彼は開口一番に言った。
「王太子の軍事上の階級はなんだ?」
「元帥です」
「それは王の階級ではないのか」
「王陛下は大元帥です」
「ガスパール軍団長の階級は?」
「大将です」
「元帥は大将の上位か?」
「むろんです。わしは中央軍団の長にすぎません。王太子殿下は中央と東西南北の軍団の指揮権を有しておられます」
「では、私のことはジルベール元帥と呼んでもらおう」
私は内心のおののきを押し隠して言った。ガスパール将軍には歴戦の貫禄があり、筋肉がはち切れんばかりに黒い軍服を押し上げている。私の首など片手でへし折れるだろう。
「ジルベール元帥、とお呼びします」
「それで良い」
私にはライリー駐屯軍を指揮した経験がある。
戦闘はしていない。軍事調練をしただけだ。兵数は3000人だった。
中央軍団には桁ちがいの兵力がある。
総兵力は6万。6つの万人隊、60の千人隊、600の百人隊がある。
ガスパール将軍は一兵卒からのたたき上げだ。百人隊長、千人隊長、万人隊長を経て、軍団長になった。
「中央軍団の士気は高いか」
「むろんです」
「兄の護衛隊は規律が緩んでいた」
「由々しきことです。クルト殿下がそれで亡くなられたのだとしたら、罪は万死に値します。ですが、近衛兵は王の直属で、わしの指揮下にはありません。元帥が引き締めればよろしいでしょう」
ガスパールが言葉を発すると、熱風が飛んでくるような迫力があった。
「わかった」と私は丹田に力を込めて言った。
「本題に入ろう。私は中央軍団の指揮をしたい。あなたの仕事かもしれないが、差し支えないか」
ガスパール軍団長はかっと目を押し開いた。緑と黄の瞳が光ったような気がした。
「どうぞ」と彼は答えた。その力量があるならやってみるがいい、と言われているようだ。
「万人隊長を集めてほしい」
「万人隊長を呼べ」と将軍は副官に命じた。
5分後には、6人の万人隊長が揃っていた。
「私はジルベール・ヴァレンティン元帥である。これより中央軍団総員による軍事調練を行う。全軍、広場に整列せよ」
万人隊長たちが軍団長を見た。ガスパールがうなずくと、彼らは走って部屋から出て行った。
私は城壁を背にして広場に立ち、整列する中央軍団を見ていた。
見事だと思うほどすばやく、全軍が整列を終えた。
6万の軍隊の威容に、私は感嘆した。
規律の乱れは微塵も見られず、秘かに安堵した。
「元帥閣下、整列を完了しました」と第1万人隊長が報告した。見るからに豪傑、というタイプの男だった。
「どのような隊形か報告せよ」
「閲兵基本隊形であります」
「それではわからない。説明せよ」
「最前列が第1万人隊第1千人隊第1百人隊であります。百人隊順序ごとに並び、最後尾は第6万人隊第10千人隊第10百人隊であります」
「百人隊長を先頭とする縦列に組みかえよ」
「ひゃくぅにんたいちょうせんとうぅ、じゅうれつぅ」と第1万人隊長がびっくりするほど大きな声で唱えた。
隊形の変更が始まった。
兵は士官の指示のもと整然と動いた。最前列が最右翼へ、最後列が最左翼へ。
隊形の変更は粛々と進み、乱れなく終わった。
600人の百人隊長を先頭にして、部下の兵士たちが縦に並んでいる。
百人隊長が突撃すれば、兵はつづくだろう。
「第1万人隊長、このうち騎兵は何人いるのか?」
「4000人であります」
「全員騎乗せよ。2000人ずつ、最右翼と最左翼に並べ」
「はっ」
第1万人隊長は淀みなく号令した。
「きへいうまにのれぇ、だいいちだいにせんにんたいぃさいうよくぅ、だいさんだいよんせんにんたいぃさいさよくうぅ」
騎兵が走って厩舎へおもむき、馬蹄を響かせて整列した。
第1万人隊長は単に戦闘能力が高いというタイプではなく、頭も良さそうだ。
「第1万人隊長、名前を言え」
「アイザック・ユーゴであります」
私は隣に立っているガスパール将軍を見た。
「第1万人隊長を私の副官兼務としたいが、よろしいか」
「元帥のお心のままに」
「アイザック、万人隊長のまま、私の副官となれ」
「承知しました、元帥閣下」
「現隊形を会戦突撃隊形と称する。全軍に告げよ、アイザック」
「げぇんたいけいぃを、かぁいせんとぉつげきたぁいけいぃとする。かぁいせんとぉつげきたぁいけいぃ」
「明日は午前9時に来る。会戦突撃隊形になり、私を待て」
私はもはやガスパール将軍にはことわらず、全軍に言い渡した。
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