第20話 王都での日々【クロエSIDE】

 わたしたちは9月19日にヴァレンティン王国の首都ゾーイに到着した。

 9月8日にライリーを出発して、王国を半横断する11泊12日の長旅を経て、ゾーイ城下に入った。

 屋台街の料理の種類の多さと匂いのかぐわしさに圧倒され、わたしは思わず「お腹が空きました」とつぶやいた。

「さっき昼食を取ったばかりではありませんか」と女性騎士のジョアンナに呆れられた。彼女はわたしの身辺を警護してくれている。

「見たことも嗅いだこともないごはんがいっぱいあるんだもの」

「この街ではあらゆる地方、あらゆる国の料理が食べられるのです。オースティン、ヨーン、オルエス、ジュールの商人も住んでいますから」

「ジュール人? 魔人ではないですか!」

「わりと普通の人たちですよ」

「わりと普通なのですか。危ない人たちだと思っていました」

 わたしはかなりなめらかにヴァレンティン語を話せるようになっている。ジョアンナといっぱい会話して、この国の言語に慣れてきたみたいだ。


 わたしはゾーイ城内のジルベールの屋敷に個室を与えてもらった。

 彼の身近にいられて、ひとまず安心した。

 水晶と黒水晶も運び込まれた。

 これでいつでも季節の魔法を行使できる。太陽神ソルは9月でも大熱波を放つことがある。油断は禁物だ。

 黒水晶は冬に暖を取ることができ、武器化することもできる。 

 ごはんは侍女がつくってくれるようだ。

 ここで生きていけそうだ。


 ジルベールは王と王妃に面会し、王位継承第1位になったと言い渡されたそうだ。

 クルト王子は殺された疑いがあるという。

 ジルベールは真偽を確かめるために捜査を始めた。アリーダ妃やクルト王子の護衛兵から話を聞いたようだ。

 その夜、わたしはジルベールに城下の酒場に連れていってもらった。

 彼は酒場の女性店員にも質問をしていた。

「どなたなのですか?」

「兄さんの恋人だった」

 お兄様の死を調査するのがつらそうで、見ていられなかった。


 9月20日にはデヴィットとジョアンナがゾーイ城内を案内してくれた。

 王宮の屋上にそびえ立つ主塔を見上げた。

「333段のらせん階段の上に薔薇の花咲く空中庭園があるそうです。ジルベール殿下と一緒なら、登れると思いますよ」とジョアンナが言った。

 ゾーイ大聖堂は青く丸い屋根が特徴の月光教の教会。屋根の下にはステンドグラスの窓が美しい祈りの間やカミラ王妃の弟、ディーン・スペンサー教王の住まいがある。

 わたしは祈りの間に入り、月と星と生命が描かれているというステンドグラスを眺めた。きらびやかな模様が外光を受けて7色に輝いている。大理石でつくられたエリエル様の像もある。人々がその前で熱心に祈っていた。

 兵営へ行き、長旅をともにした衛士の何人かと再会した。その日の昼食は兵営内の食堂で取った。パンと焙った干し肉とゆで卵と野菜たっぷりのスープ。パンのおかわりは自由だった。

 大貴族の邸宅が建ち並ぶ一角もあった。マーフィー侯爵家、シエナ公爵家、クラーク公爵家はひと際大きなお屋敷だった。アリーダ妃が大荷物を使用人たちに持たせて、マーフィー侯爵邸の門をくぐるのを見た。

「アリーダ様、実家へお帰りになるんですね。ジルベール殿下が王位継承者になられたのだから、いつまでも王太子の間にはいられませんよね」とジョアンナが言った。なるほど。

 深い井戸があり、そこから汲んだ冷たい水を飲んだ。

 巨大な浴場があった。平民にも開放されているそうだ。デヴィットといったん別れ、わたしとジョアンナは女湯に入った。

 大きなお風呂がいくつもあった。いつまでも浸かっていられそうなぬるい湯では、褐色の肌の女の人が楽しそうに泳いでいた。整った顔立ちで、ジルベールに似ている。

「あの方はジルベール殿下の妹、ベリッサ王女殿下です」

「妹君なのですか。よく似ていますね」

 わたしはさまざまな泳法を試す王女を眺めた。気持ちよさそうだが、周りには迷惑ではないだろうか。

「お風呂で泳いでもいいの?」

「だめです。でも、王女殿下を制止できる方は、ここにはいません」

 ジョアンナはじとっとした目で彼女を見つめていた。

 わたしはユニークそうな王女と話してみたいと思った。


 9月21日には前日と同じメンバーで、城下の屋台街へと繰り出した。

 焼いたとうもろこしを食べ、牛乳を飲み、バターの香りがする焼き菓子を頬張り、羊肉と根菜の煮込みを味わい、桃の果汁でのどをうるおし、辛麺をすすった。そのスープは唐辛子だらけで真っ赤だった。飲み干すのは不可能だと思ったが、ジョアンナはけろっと丼を干したので驚いた。

「ジョアンナ、お腹を壊さない?」

「私は南部の出身です。辛麺は郷土料理で、このくらいの辛さは普通ですよ」

「これで普通……?」 

 その後、完熟したトマトをかじり、ワイングラスを傾け、辛麺より辛いという辛漬物に挑戦して敗退し、コロッケと呼ばれる揚げたての芋のフライをふーふーと冷ましながら口に入れ、腸詰に舌鼓を打ち、雑炊で締めた。

 ヴァレンティンの食文化を堪能した1日だった。

 会話するのはいつもジョアンナとだったが、無口なデヴィットは常に周囲を警戒してくれていて、わたしは安心していられた。


 9月22日、ジルベールとアフタヌーンティーを楽しんでいると、ベリッサ王女がやってきた。

「ジルベールお兄様、どうしてお引っ越しなさらないのですか」と彼女は言った。

「ずいぶんと日焼けしたな、ベリッサ」

「水泳を始めたのです。夏の間、ニナ湖に通っていました。最近は大浴場で泳いでいます」

「風呂で泳ぐな!」

「いけないのですかっ?!」

「だめだよ。のんびりと浸かっている人の迷惑になるだろう」

 王女がしゅんとしたので、わたしは秘かに笑ってしまった。

 その後、彼女とおしゃべりをして、わたしは好感を抱いた。ジルベールお兄様が好きすぎるかわいい妹という感じがした。

 

 ベリッサ王女の王様への直談判で、その日のうちに王太子の間へ引っ越すことが決まった。

 9月23日に引っ越しが実施された。

 ジルベールは自分の部屋の隣室をわたしにくれた。

 水晶と黒水晶も新居に運ばれた。水晶はライリーから輸送されて、増量している。   


 9月24日には貴族の令嬢たちが、次々と王太子の間にやってきた。

 楽しいことではないが、独身の王太子にご令嬢方が会いにくるのは仕方のないことだ。

 美しい姫君たちを見て、わたしは不安になったが、ジルベールの愛を信じて、じっと耐えた。


 その翌日には、ベリッサ王女が遊びにきた。

「ジルベールはお忙しいようです」と伝えると、「クロエ様、お話をしましょう」とおっしゃった。

「わたくし、ジルベールお兄様のお手伝いがしたいのです。お兄様が王になったら、ヴァレンティンはますます発展すると思います」

 そう話されたときには、返答に困った。

 亡くなられたクルト殿下のことを考えると、無邪気に相槌は打てなかった。

 白馬についての話はとても楽しかった。

「ジルベールはまるで白馬の王子様のように、わたしを暗殺者から救ってくれたのです」

「お兄様は王子なんだから、王子のように振る舞うのはあたりまえです。でも白馬には乗っていないですね。いけないわ、お兄様には白馬に乗ってもらわなくちゃ」

 ジルベールが白馬に乗ったようすを想像すると、うっとりした。

「そうですね。きっと格好いいです」

「わたくし、お兄様に白馬を贈るわ。待っていてください、クロエ様」

 第一印象のとおり、ベリッサ王女はとてもユニークな方だった。


 王女と話していたとき、ジルベールから「話がある」と声をかけられた。

「母からきみがエリエル様の末裔だという証拠を提出しろと言われた」と彼はわたしに告げた。 

 証拠なんてない。あるのは母から聞いた言い伝えだけ。

 でも、季節の魔法が使えるのは、堕天使様の子孫であるからだ、とわたしは信じている。

「母を納得させる証拠がなければ、きみとの婚約はできない……」

 ジルベールの表情は悲痛そのものだ。

 彼にだけ困難を背負わせるわけにはいかない。

 王子との婚約のために、わたしは一大決心をした。  

「エリエル様を大氷河から解放し、わたしが子孫だと証言してもらいます。それで良いでしょう?」


 わたしはエリエル様をどうお救いすべきか考え始めた。

 ネフ・ゲオーグ鉱山長がエリエル様がカイシュタイン山に降臨された伝説があると言っていた。その高い山を覆う大氷河に、季節の魔法の創始者が封じられている可能性がある。

 登ろう、とわたしは決めた。

 8000メートルを超える未踏の高峰だ。登山家の助力がほしい。

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