第17話 スカーレット

 スカーレットを私の個室に招いた。

 誰でも出入り可能な広間で密談をするわけにはいかない。

 私の部屋にはベッドと本棚があり、食事ができるテーブルと4つの椅子があり、応接セットもある。

 彼女に椅子に座ってもらい、私は対面に腰掛けた。


「なにか飲まないか。紅茶か果実ジュースか、もし飲みたければワインもある」

「けっこうです。なにかしら大切なお話があるんですよね」

 スカーレットは儀礼的に軽く微笑んでいた。褐色の肌と明るいブラウンの髪を持つ女性衛士。

 その目はやや吊りあがっているが、凛々しい美人と言っても差し支えない顔立ちだ。

 彼女の背筋はぴんと伸びていて、手のひらは太ももの上に置かれている。

 警戒し、身構えているようだ。少しリラックスさせたい。

「私はワインを飲もうと思っているのだが」

「では私もいただきます」

 私は侍女に白ワインを持ってこさせた。ふたつのグラスに注がせてから、退室させた。

 部屋の中は私と女性衛士のふたりきり。

 さて、どうやって本当の話を聞き出そうか。


 私はワイングラスの脚を持って、その香りを確かめた。ぶどうというより柑橘系の香りがした。

 スカーレットはグラスの丸いボウル部分を持ち、ワインをひと口飲んだ。

「美味しいワインですね」

「ワインに詳しいのか」

「そんなことはありません」

 首を振り、グラスを傾けて、また少し飲んだ。

「このワインは、ニナ湖畔で飲んだものよりは美味しいです」

 彼女は話の切り口を提供してくれた。アルコールの効果だろうか。それとも最初からその話をするつもりで、王太子の間を訪れたのだろうか。


「私は兄の死について調べている。あなたから詳しい話を聞きたいと思っている」

「それ以外に私を呼び出す理由なんてありませんよね。私が知っていることなら、なんでもお話しします」

「では、ワインの話からうかがおう。8月29日にも飲んだのか?」

 少しばかりの間があった。それから、スカーレットは護衛隊にとっての不都合な事実を開示した。

「はい。クルト王子殿下の衛士全員で飲みました」

「兄から目を離し、酒を飲んでいた。あまり褒められた護衛ではなかったようだ」

「おっしゃるとおりです。申し訳ありません」

「謝らなくてもいい。あなたは責任者ではない。あの日の状況を教えてくれれば、それでいい」


 彼女は詳細に説明してくれた。

「私たち以外には誰もいない静かな湖畔でした。クルト殿下が、おまえたちも楽しめと言って、ワインボトルを1本くださりました。お酒はひとり1杯ずつでしたが、護衛は8人とも気が緩んでしまいました。とても暑い日でしたから、日射しの強い砂浜にいるより、林の中にいる時間の方が長かったと思います。クルト王子、アリーダ妃、テオ王子をずっと見てる人なんていませんでした。全員がクルト殿下から目を離した時間もあったかもしれません」

「あなたはアリーダ妃の騎士だと聞いた」

「はい。他の方たちはクルト殿下の親衛隊で、私だけがアリーダ様の護衛でした。隊長が冗談を言い、みんなは笑い転げていました。どこが面白いのかわかりませんでしたが、私も笑いました。隊の雰囲気を壊さないように……」

 兄のせいでもあるが、護衛隊は油断し切っていたようだ。

 誰かが兄を殺そうとすれば、その隙は十分にあったと思える。


 スカーレットしか知らない核心を訊こう。正直に答えてくれるだろうか。

「あなたがクルト兄さんを見つけたとき、彼は生きていたか?」

「は?」

 彼女は意味がわからないという顔をした。演技なのか素なのか、私には判断できなかった。

「つまり、衛兵たちが兄を探し、湖の真ん中あたりであなたが見つけたとき、生きていたかどうかということだ」

「意識はありませんでした。顔だけがぽっかりと水面から出ていて、呼びかけても答えませんでした。手足は動いておらず、漂っているような状態でした」

「本当か?」

 私はスカーレットの瞳を食い入るように見つめた。

 彼女の表情が強張った。

「なにが言いたいんです?」


「もし兄さんを殺したかったら、あなたには実行することができた」

 女性衛士は私の目を強く睨み返してきた。

「私は殺していません」

「第1発見者にだけ可能だ。誰よりも先に兄さんを見つけ、秘かに潜水して、湖の深みに引きずり落とす。完全に息絶えてから悲鳴をあげ、死体を見つけたふりをする」

「そんなことはやっていません!」

 スカーレットの声には怒りが混じっていた。

「あなたはかつて兄さんの愛人だった時期がある。長くはつづかず、捨てられた」

「あの方の女遊びは有名です。私は王太子殿下には抵抗できず、遊ばれただけです」

 そのとおりなのだろう。非は彼女にはない。だが、真実に迫るため、私はさらに言った。

「兄を憎んでいたとしてもおかしくはない。復讐という動機があり、水泳が得意という技術もある」

「言いがかりです! 私はクルト殿下が浮かんでいるのを発見し、お救いしようとして、懸命に浜まで泳いだのです。もう亡くなっているかもしれないとは思いましたが、できるだけのことをしたんです!」

 彼女が嘘をついているのか、本当のことを言っているのか、やはり判断できなかった。


 スカーレットは大きく深呼吸をした。

「ひとつ証言を変えてもいいですか」

 私はうなずいて、つづきを待った。

「あの日対岸に誰もいなかったというのは嘘です。白い水着の女性がいました。ベリッサ王女殿下です」

 この台詞には驚かされた。

 妹は「その日は行かなかった」と言っていた。

 スカーレットの言葉が事実なら、ベリッサも嘘をついていたことになる。

「私は休暇の日には、よくニナ湖で泳いでいました。水泳が好きなんです。ベリッサ殿下も頻繁にニナ湖に来ていました。白い水着と褐色の肌。あれはまちがいなく王女殿下でした」

 あの日、あの湖に、水泳が得意な女性がふたりいたことになる。


「私は特別に目がいいんです。遠い対岸の白い砂浜にいる白い水着の女性を見つけられたのは、私だけだと思います。クルト殿下の妹君がいて不都合とは思えなかったし、死んでしまった後になってから王女殿下がいたとは言えませんでした。王族を疑うような発言を、私ごときが言えるはずないじゃないですか」

 彼女の声は震えていた。

「でも、私が疑われているとなったら、話は別です。あの日、ニナ湖畔には12人いました。これが真実です」

 私の心は揺れ動いていた。

 ベリッサが兄さんを殺した可能性がある。そうスカーレットは言っているのだ。

「それは本当か」

「こんな嘘を言ったら、無事ではすまないことくらいわかっています。月光神に誓って本当です!」

 偽証とは思えなかった。

「もう話すことはありません。帰っていいですか」

 私は席を立ち、木製の扉を開けた。   

 おそらくクルト王子よりアリーダ侯爵令嬢に忠実な女騎士は、すっくと立ち上がり、王太子の間から去っていった。

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