魔術の生まれた日
フィオー
1
これからまた戦争が起こりそうだった。
で、それに備えて父さんは、僕に文字を教えようとした。
ひとりで生きていけるように、って言う父さんの熱さが悲しかったのを、僕は必死で隠した。
文字が読めれば、朝早くから長い棒を持って窓を叩くかわりに、おじさんのコネで新聞社での下働きができるらしい。
前におじさんがやって来た時に、
「我が親族だ、まだ子供だが、俺の下について働け、俺が一人前に育てよう」
と僕に言ってくれた。
「でも、これから覚えるから、働くのは1年後ぐらい、13才になるだろうね」
って僕が言ったら、
「いつまでも待ってやるよ、ほら見ろ」
おじさんはカバンから、最新号の新聞を取り出した。
「ここの記事がおじさんのだ。今、いつも干ばつで苦しむ青海地方の、灌漑用のため池を作る計画が、戦争が始まるために後回しにするという政府に対しての記事を書いた」
正義感のあるおじさんは、怒っていた。
そんな事があるなんて、知らなかった。僕も正義感に燃える。
僕も協力したい、早くおじさんの元で働きたい、とおもった。
でも、文字を習うのに、父さんは文字なんて読めなかった。もし母さんが生きていたとしても、母さんも読めなかったから無駄だったろう。おじさんは仕事で忙しいから無理だ。
で、どうなったかというと、モギゼコールさんのところで、僕は学ぶことになった。
これは弱ったぞ、と思った。
モギゼコールさんは前の戦争で、すごい活躍した戦士で、巨躯で思慮深く、町の英雄だったけど、今じゃ老いさらばえていた。
当然のごとく、文字は読めるらしい。
けど、いくら安いからって言っても無理じゃないかな。
時たま、散歩してるモギゼコールさんを見かけたことがあったけど、ぼんやりとしていて、服もだらしなくて、大きな体も骨と皮ばかりだから乞食に見えたっけ。ちょっとでもお金が欲しいんだろうな……。
ああ、とても英雄には見えなかった……そんな人のところで教わるなんて……。
父さんは、行ってみてダメだったら他を探す、とりあえず行ってこい。と言う。
僕は家から追い出されるように、モギゼコールさんの家へと出発した。
先生の家は、英雄だからと王様から貰った広い庭園の中に建てられている。
柵越しに庭園の様子を見て、僕はびっくりしてしまった。
芝生は抉れ、白い石畳は粉々になっている。木は、雷でも落ちたのか、枝が折れてたり、表面に激しい傷がついてたり、1本としてまともなのが生えてない。
何でこんな……。
柵には場も何もしてない。僕は、足元に注意しながら、遠くに見える小さな家へと向かっていく。
どうやら貰ったのは庭園だけらしいな……。
中に入ると、モギゼコールさんの家は、外よりもみすぼらしく、散らかって、汚かった。
全部の壁が、ぎっしり詰まった本棚になっていた。
床やテーブルには文字でびっしりの、何後かわからない言葉で書かれた紙が散乱している。
1回も掃除なんてしてない、と思われるほど、部屋中ほこりだらけ。
その中でモギゼコール先生は、部屋の真ん中にあるテーブルに座ったまま、こっくりこっくり眠っていた。
「先生、先生。 起きてください先生」
モギゼコール先生は僕の声に気付くと、
「わ! 誰だお前!」
「すっすいません。よ、呼んでも返事がないので勝手に入りました、今日から教わる、あの、リベルラ・ロッサです」
僕は深くお辞儀する。
「ああ、そうか……待ってた、待ってたら寝ちゃってた……」
モギゼコール先生は、気持ちよく伸びをした。
骨と皮だけの長い腕を、ググッと伸ばす。
それから白くて長い髭を、絞るようにグッと握った。
モギゼコール先生は髪も真っ白、服も真っ白、全部白いな。
「ロッサ君、君は戦争を望むか?」
「……え?」
急な質問に、僕はあたふたし続けた。
「また戦争が始まりそうだ……わしは、ずっと、戦争が返って来てからずっと、戦争の事ばかり考えていた」
「……そう……ですか……」
また始まるって言うしな……。
「で、君は戦争を望むか?」
「……いえ、そんな、望むわけないです……嫌いです……」
なぜかモギゼコール先生は、疑っている目つきになる。
「また戦争が起こると思うか?」
「……はい、まだ戦争は終わっていなくて、いつ侵略されるか、わからない、です。父さんも、また始まりそうだからって、剣と防具を取り出しました……」
僕の話を聞いて、先生が眉をひそめた。
「じゃあロッサ君、どうやったら戦争を無くせると思うか?」
「え? そりゃ……、……、……うんと……わかりません……」
先生が急に、静かに笑い、
「わしも、ずっとそれを考えている……」
と俯いた。
……何の話なんだ、これ……。
……文字を教えてくれよ……関係ない事ばかり……。
それで僕がもじもじしていると、
「魔法ってあると思うか?」
「……え? あの……はい?」
モギゼコール先生は、また急に聞いてきた。
僕は、弱ったぞ、と直感で思った。僕はあたふたし続けた。
「……しかたない、文字を教えるとするか。その約束だったし」
モギゼコール先生はヨロヨロと立ち上がる。
全身を見て、枯れ木の精みたいだと思った。
何か前見た時より、数段老いさらばえている。
「ああ、最近、研究しすぎて全身が痛い痛い……」
◇
週に数回、先生の都合に合わせて、僕は文字を習いに通った。
モギゼコール先生は、予想外に、すごくよく教えてくれた。
いろいろな言語で書かれた本がつまっている本棚から、先生は教材として毎日違う一冊取り出し、僕は手取り足取り、その文章を翻訳していく。
僕は必死に、そこで使った単語、文法方を頭に叩き込んでいった。
先生は、ぼんやりしている以外は、やはり噂通りのすごく賢い人で、ガンキ語に加え、キスレブ語、シェバト語、アーリーン語、タズム語、ソラリス語と何か国語も堪能だった。
それに先生が最近、どんどん血色が良くなり肉が付き始めた。
前はうさぎ跳びとかしてたくらいだ。
……まぁ変ところも、全然あるけれども……。
……時たま独り言で、戦争を無くすには……とか、魔法の力の体系化……とか、そんな事をボソボソしゃべってたり、するくらい……。
いや、それだけじゃない。
庭園の木が、日が経つにつれて、真っ二つに割れているのと、根本しか残っていないのばかりになっていったのには、恐怖を感じた。
「……雷が落ちた」
って先生は言う。
それ以上は、なんか怖くて聞けなかった。
……まぁ……それくらいなんだってない。
僕は、教わるのはガンキ語だけで良かったのが、おじさんが、
「もし全部の言語を覚えたら新聞社としても重宝する」
というので、僕は全部覚える事にした。
僕は、今まで以上に一生懸命取り組んだ。
その矢先だった。
ついに戦争が始まってしまった。
すぐに父さんは招集され、戦争に赴く。
「俺らの家系は長生きだから、曽爺さんがそうだったろ。俺らが戦争で勝って、お前を長生きさせてやるからな」
そう言って、父さんは行ってしまった。
父さんの、あの切れの悪い剣とやつれた防具を装備した姿が忘れられない。
……もう帰ってこない、ことはわかってる……。
……まだ勉強も最中なのに……。
新聞社で働くことを条件に、おじさんが毎日バンを持ってきてくれた。先生へのお金も払ってくれた。
だから、悲しくて泣きそうになると、僕はすぐに一生懸命勉強した。
それで疲れると、戦争を無くすには……と、つい考え出してしまう。あんなものさえなければ、とつい……。
その時、僕は先生みたいになった、と思った。
……戦争は、なんで無くならないんだろう……。
そうやって、1年が経った。
戦争は敗戦が続き、領土は3分の1になる。
「政府は軍備にしか税を使わなくなった。青海地方だけじゃない。もう餓死者も大量に出ている……なのに、新聞が発行できないなんて……」
おじさんは、政府の命令で、何かあったらしい。毎日、国を誉める記事ばかり書いていた。
その頃僕は、文字を2か国語マスターして、いつでも働けることはできていたけど、やることがないらしい。
文字と言うのは意外に簡単で、僕は半年後には、ガンキ語が読めるようになる。
一生懸命勉強したかいあって、1年ちょいで、もうガンキ語とキスレブ語で書かれた本は読めようになった。
先生もおじさんも、皆が僕を誉めてくれた。
まぁ昔から物覚えだけは良かったから、嬉しかった。
今は、ソラリス語を勉強中だ。
そして、それももう終わる。次はシェバト語だ。
それなのに、今日、
「……君は、良くやっている……」
モギゼコール先生が、勉強している僕の隣でポツリとつぶやいた。
いつもの独り言と違うのが直感でわかった。
「どうしました?」
僕は、勉強を中断して顔を上げる。
先生は、思いつめた顔をしていた。
「おそらく、もう教えられそうにない……明後日で終わりにしよう……」
僕は驚いた。
「そんな! まだ覚えてる最中じゃないですか!」
「戦争が激化の一途だ、そして、もう……民の生活は限界を迎えている……そう……わしは、行かなくてはならない……」
僕は何を言っているのか、わからなかった。
「行くって……何言ってるんですか……」
困惑している僕に、先生は、
「今年も日照りが続いたよな。それで今年も死人が出ている青海地方のために、頓挫しているため池作りを終わらせなくてはならない……梅雨の時期はもうすぐだ、これを逃せば、死者が膨大に出る。そして、わしが行って工事を終わらすと、まちがいなく、わしの力が王軍に伝わるだろう」
「……?」
「……ロッサ……わしの事を、頭のおかしいと思うか?」
僕は困惑した。
「……いえ、とても賢い、人だと、それは、ちょっと、変なところもありますけど……あの、正直、何を言っているのか……」
モギゼコール先生は苦笑いをする。
「……ついてこい、魔法を見せてやる」
先生が俯きながら、すっくと立ちあがり、スタスタとドアを開けて外に出ていった。
「……魔法……」
僕は、困惑しながらもついていく。
先生は庭園を歩いていき、少し離れた所にある裂けた木を指さし、
「見ろ」
と背後の僕を見ずに言った。
モギゼコール先生は、右腕を上げる。
僕の目は、上げた右手に移動した。
パッと先生の手が広がる。
その瞬間、先生の手の辺りからブンブンと、空気の震える音が鳴り響く。
……なんだ!?
先生の右腕の先の空間が、激しく振動し始めた。
鋭い光が起こる。
「うわぁ!?」
空間を裂かれたような、大きな音が鳴った。
ドォォォォンッ、ていう、体の中まで震える激しい重たい音だった。
その音と共に、真っ二つに割れていた庭園の木が、根元を残して爆発霧散し、黒焦げになって、消滅している。
僕は、何が起こったかわからなかった。
あっけにとられていると、
「魔法じゃ。ちょいと激しいのにしすぎたな」
モギゼコール先生は、右腕を下げる。
そして僕に振り向き、微笑んだ。
もう辺りは、振動も音も、全部なくなり、元通り静かになっている。
先生は、近くにあった木の根っこに向かって右手を伸ばす。
先生の手の回りの空気が、また震えだした。
まただ!?
瞬間、轟音と共に、木の根っこが地面の中から、ぐぐぐっと持ち上がり宙に浮いた。
「せ、先生! これは! なんですか!? 魔法!? 魔法だ!」
僕は驚いて叫ぶ。
「魔法ですよね!? ねぇ! ねぇ先生!」
「ああ、そうだ。そうだって言ってただろ。これは魔法だ」
モギゼコール先生は、大きく頷きながら言った。
「どうやってやったんです」
「そこは、長い話になる、ふぅぅぅ……ちょっと待て、はぁはぁ……」
先生の息が切れている。
「精神力を使うのでな、わしがなぜぼんやりしているかわかったろう……わしがこの力に気付いたのは、戦争中だ。50歳を超え、体力も限界に来ていた時だ。最初は寝る前に蠟燭の火を消しに行くのに、いちいち立ち上がらなくて良いってだけだった。こうして」
先生は僕に向かって右手を伸ばす。
「念じると、風が吹き、火がふっと消える……」
ヒュッと僕に向かって風が吹き、前髪が全部後ろに行った。
「やばい……すごいすごい! なんでその魔法を、皆に言わなかったんです?」
「……ああ……」
モギゼコール先生は肩をすくめる。
「言ったさ、しかし最初の段階では、皆、手品としか思わなかった。まぁ、わしは別に信じなくても良いし、ただ面白半分で毎日魔法を使い続けた。そうしていたら、わしの魔法は、どんどん使えば使うほど、強力になっていった。石を手を使わず念じるだけで割れた時、わしは怖くなった。わしは誰にも言えなくなった」
先生は、しばらく何も言わず、ただぼんやりと空中の一点を見つめ、やがて、ゆっくり首を振った。
「わしが引退すると、そしたら王は褒美をやるというので、この庭園を、人の目付かずに魔法が使える場所を望んだ。ここで魔法を、魔法とはどういうものなのか、どこまで極められるのか、そんな研究をして余生を過ごそうと思ったんだ。ここまで来るのに25年かかった……そして、もう魔法を隠すのはやめようと思う」
「ああ、それは素晴らしい! すぐに王へ報告をしましょう!」
僕は目を輝かせ、先生を尊敬の眼差しで見つめる。
「違う! そうじゃない!」
そしたら先生が怒鳴った。
「わしは、この力をため池づくりなどに使いたい。この力があれば砂漠に水を流すことも、川の氾濫を止めることも、冬の寒さに凍える生活も、すべて無くすことが可能だろう」
先生の話に、僕は言葉を失ってしまった。
「この力を使って、戦えと言われるに決まっている。だから、ずっと隠したかったんだ。王へ報告なんてもってのほかだ。そんな事すれば、また、戦争に駆り出されるだけだ」
「……じゃ、報告しないんですか?」
先生は首を振る。
「この力を使えば、たくさんの人を助ける事ができる。しかし、そんな事をしてしまったら、政府に知られてしまうのは避けられないだろう。わざわざ報告なんて行く必要なんてない……そう」
バッと先生が、強い口調になった。
「わしは手始めに青海地方へと旅立ち、頓挫しているため池を作ってこようと思っている」
「ぅぅぅぅ……」
僕は、感激と興奮でうなってしまった。
「すばらしい! なんてすばらしいんだ! 先生、僕はあなたに一生ついていきます! 政府が何言ってきても、聞かなかったら良いだけですよ! すぐに向かったほうが良いと思います!」
先生に駆け寄り、手を握る。
モギゼコール先生が、大きくうなずいた。
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