milk ss
古海うろこ
ep 0
はためく洗濯物と柔らかく光るフローリングの色が好きだった。休日の昼間がいい。平日は自分だけが止まっているみたいな気がしてしまって、時々だめになった。飾り気のない衣類を干して、ベランダの手すりに頬杖をつく。見下ろす街は驚くほど平和で、僕はそのまましばらく行き交う車やスーツの人々、学生の姿を眺めてから、朝の光できらきらと輝くビルの青い窓や壁面なんかを見ていた。木々がそよ風に揺れる。近所の中学校から響くチャイムの音ではっとした僕は、ぐっと体を伸ばし深呼吸する。ほんのりと甘さすら感じそうな、新芽の香りをまとう春の空気が体内を巡る感覚がして、生きているなあと思った。
生きている。僕は生きている。当たり前の生活の中、時々ひたりと忍び寄る鋭い気配に息を呑みながら。
十一月の朝、着信音で目覚めた。公衆電話と表示された着信をとったのは気まぐれだったのか寝ぼけていたからなのか、とにかくいつもなら取らなかったであろうその電話に、僕は出た。もはや運命だろ、と今思い出しても笑っちゃう。だってその相手は白野真だった。
中学二年かそこらで僕は自分が不治の病に侵されていることを知る。自分で言うのもなんだけど、僕はまともな両親のもと、それなりに裕福で平和で幸せな家庭に育った。温かい食事も清潔な服も綺麗な部屋もある。愛犬のミケランジェロだってそばにいて、いったいこれ以上何を望むものがあるのかと、思った。思うようにしていた、のかもしれない。
僕は決定的に愛が欲しかった。この身を捨て去りたくないと、生涯ともにありたいと切に願うような愛だ。もちろん、父さんも母さんも僕を大切にしてくれたし、愛情は感じている。でも僕の心の一番深いところが求めているのはそれではない。暖かい家の中でやわらかなブランケットを被りたいのではなく、広大な嵐の夜、小舟にしがみつく孤独と生きることへの必死さの中で、ちいさな灯台を見つけたかった。それが白野真だ。
生まれ故郷を離れて海辺のうつくしい街に引っ越したのが、高校一年の夏というすごく中途半端な時期だった。ゴールデンウィークが終わり、なんとなくクラスの中でグループが出来上がりつつあるころ、三つあるうちの一つのクラスに転入することになった。
ここへ来たのは生まれついての持病の治療のため、大きな病院に通う必要があるからだということにしてもらった。「嘘には半分くらい本当のことを混ぜるのがコツなのよ」と昔、母が言っていた。母さんはいつもとても冷たく見える。けれど母さんの皮をベリッと剥ぐことができた人は、誰より情に深く燃えるような愛を秘めてるってわかるだろう。医者という仕事柄、そういうふうに平静や冷静を維持することが、自分を守ることに繋がるらしい。
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