【完結】この百合は営業じゃないのかもしれない

金木桂

百合営業

『じゃあそろそろ撮りますね~のん先輩』


 美湖沢御子みこざわみこ、通称みこみーは愛嬌良くそう言った。

 ヴィスコード越しなのにその声は当然のように可愛いくて、これまでの配信活動で何人の男性リスナーを篭絡してきたのか。想像に容易い。私には無いものだ。羨ましいと思ったりすることもあるけども、まあ私の声質だってみこみーとコンビで配信活動をやってるのだから捨てたもんじゃないはず。でも羨ましいんだがこの野郎。寄越せそのきゃぴきゃぴなロリボイス。


 気を取り直して、と。


「ういっす。みこみー最初の仕切りよろ」

『のん先輩~?』

「分かってる分かってる。もっと頑張るから」


 みこみーが愛嬌たっぷりに私に催促してくる。

 分かってる分かってる。百合営業スタートの合図ですね。


『じゃあのん先輩。最初の恒例のあれ、よろしくお願いしま~す!』

「はいはい。……みこみー、ずっと一緒に活動しようね」

『オッケーです~じゃあ配信ボタン押しますね! ぽいっ!』





─── ── ──





 私が何故V配信者になったかと言えば単純で、TS憑依したからである。省略しすぎた。もうちょっと詳らかに説明すると、前世からVの世界には憧憬を持っていた。前世ではただの大学生で、更に言うなれば留年も2回した。2回目の留年で、どうも私は頭が悪いということに気付いたのだった。閑話休題。

 取り柄なんて一つもない前世だったが、それでも唯一ハマっていたのはVtuberという文化である。恐らく当時の私は日本でも上位に入るくらい、異常にのめり込んでいた。


 Vtuberと言えば私がハマっていた当時、総勢一万人を超すと言われているほどの一大コンテンツだ。私は中でも様々なハコで推していたため、認知していたVは200人くらい。チャンネル登録して追っていたのは50人ほどで、当然そうなれば時間は無いから2タブして同時並行で配信を見ていた。まあこんなことをしていたら留年するのは当然だったかもしれない。


 で、或くる朝。

 目が覚めたら美少女になってた。死んだわけじゃない。なんかネット小説みたいなノリで、本当に唐突に美少女に憑依していた。


 取り合えず見た目について言及しよう。

 私の髪色は日本人としてはあり得ないことに金色だった。いや、金色と言うには少しくすんでいる。それがそこはかとなくダウナーな印象を人に与えそうな感じで、正直個人的には好きだ。しかも少々癖っ毛気味で、まあうん。好きです。日本人か怪しいけど。

 身長は低め、目は幾ばくか釣り目っぽい。胸は……無くはないが目立つほどでもない、という情報に留めておこう。


 こうなって最初は困った。困りに困った。女性というものを私は知らなかった。女装趣味もなかったし、前世(前の自分を正確に形容する表現が思いつかないため、ここでは正確性よりも分かりやすさを優先して憑依直前まで私自身がいた世界を前世と呼ぶことにする)でVに現を抜かしていた人間なので彼女もいるはずもなかった。そんな訳でまずは女性について知ることから始めることにした。

 その調査の中でこの身体の本来の持ち主の日記を読んだのだが、どうにも私は女子中学生だったらしい。不登校児だ。

 しかも読み進めば親からはネグレクトされていたみたいだった。両親は必要な分の金だけ私の口座に振り込んでいて、自分たちは違う家で暮らしているということが私の日記から読み取れた。どうも尋常じゃなく酷い家庭環境だったことが伺える。私にとって都合は良かったけども、この身体の持ち主である女子中学生のことを考えると居た堪れない。親の愛情が大事な思春期に、こんな仕打ちをされているなんて。然るべき場所に訴えられる案件だ。彼女は日記上において、両親についての事柄は事実ベースで淡々と綴っていたが、恐らく無関心を自分に課すことで自身の心を防衛していたのだろう。誰も助けてくれる人がいなかったのか。いなかったから不登校なんだろう。


 とはいえ私が私でないことを知られるのはあんまり良くないことだと思った。なのでアクションは起こさなかったし、同じ理由で中学校に登校することもなかった。

 何せ私が"私"であることは私しか知らない。そして何時かこの状況が解消される可能性だって存在する。そうなった時、"私"という存在が彼女の将来を邪魔するのはとても憚られた。だから私はこれまで同様に、必要最低限の外出を除いて引き籠ることにしたのだった。幸い、この世界はほぼ私の知る現代日本と同じであったのでその観点においては何にも懸念事項は無かった。


 そんな生活が一ヵ月ほど続いた。しょうもない毎日を享受していた私にとって、女性と言う状態になれてしまえば今の環境はさほどストレスフルなものではなかった。元から一人称が私だったので、外でふと話しかけられても怪しまれることもなかったし。そもそも話しかけられる機会もなかったが。


 結果的に私に訪れたのは淡々と流れる時間。テレビを呆然と見たりネットサーフィンをする、隠居生活。何が起きたかと言えば、ついに私は我慢出来なくなった。

 この世界にもVtuberはいたが、それは前世よりは流行しておらずかなりマイナーなジャンルであった。しかも初のVが出てから既に五年目、どうにもこの世界のオタクにはVという存在はあまり刺さるものではなかったみたいだ。斯く言う私は当然数人ほど追っていたとはいえ、やはり母数が少ないこともあって演者のクオリティーは前世の中堅層と比較してもお粗末なものばかりで。トップ層でやっとチャンネル登録者10万人レベルである。これは良くない。うん、良くない。


 その瞬間、私は閃く。

 この美少女の身体を使って自分がVになればいいのだと。私自身がVの世界の発展に貢献すればいいのだと。


 考えれば考えるほど、その案は良いように思えた。

 ネットに露出するのは声だけなのだから私の中身が別人であるということもバレない。つまり"私"がこの世界に存在していた痕跡にはなりえない。そのことは私のV参戦への心持ちをより軽くさせた。

 加えて言えばこの子の両親がいつ現金の振り込みを止めるか分からない。なら多少貯金があった方が良いだろう。でも初期資金として少し使い潰してしまうのは先に謝ることにする。ごめん。


 私は早速貯金を下ろして新しいパソコンとマイクやモーションキャプチャーなどの周辺機器を買うと、SNSにアカウントを作って絵師さんを探し始めた。Vを始めるには最低でもlive2Dの絵が必要だ。私は前世語りで論じた通り、特技は何一つ無い。だから絵だって人並み以下くらいの腕前だ。とてもVとして表に出せる絵を書けるレベルじゃない。

 よって、絵師さんを探しては依頼を掛けてみたわけだがそもそもVが流行っていないこの世界はlive2Dの技術を持った絵師さんは多くない。かと言って3Dモデルを発注するほどの金銭を使うのは気が引ける。よって私はlive2Dが使える人も使えない人も纏めて依頼を出していた。だからこそ滅茶苦茶無視されたり突っ撥ねられたりしたんだろうけど、しょうがないことだ。


 2週間ほど絵師さんを探して、遂にその絵師さんと出会った。というかその絵師さんこそ、以後のパートナーである『美湖沢御子』その人である。


『へ~。Vtuber、そんなのがあるんですか! 私知りませんでしたよ~!』

「はい。あまりメジャーではないのですが、挑戦したいと思いまして」


 彼女はメッセージではなく私との通話での交渉を望んできた。何でもあまりチャットが得意ではないらしく、口先の方が自信があるとのことだった。そんなことを初対面の人間にテキスト上で言ってる時点でそこまでチャットが不得意であるようには思えなかったが、彼女がそうしたいのならまあ私としても異存はない。


『それにしても女性だったんですね~。しかも若いし。てっきり私、男性かと』

「バ美肉じゃないですよ」

『バ美肉……?』

「何でもありません」


 そうなのだ。このVが発展してない世界にはバ美肉という概念も存在しない。だから現存するVは私の認知している限りでは性別と声が一致している。両声類と言われたら白旗を振るしかないけど。


『……あの、それなら私もやっても良いですか』

「はい?」

『Vtuber、興味出ちゃいました!』


 何のことを言ってるのだろう。

 そう思って聞き返して、思わず飲んでいた水を吹き出しそうになった。


「……まあ、そうですね。良いと思います」

『やったぁ! じゃあ今日からコンビですね私たち!』

「えっ。なんで?」

『だって一緒にやるって話だったじゃないですか!? 酷いですよ~!』


 いやいやそんな話は一度もした覚えはなかったが。というかどういう思考をすれば話で聞いただけのVtuberになりたいと思うのか。V狂いの私でもさっぱり意味不明である。みこみーはその時から天然な節があった。まあそれに伴ってかなり高額で見積もっていたキャラメイク費用がただになったから良いけども。


 ともあれ。


 こうして2か月を掛けてキャラを作成し、私こと『冬川のん』と『美湖沢御子』はデビューしたのである。

 『冬川のん』はやる気がなく怠惰で、でも負けず嫌い。これは私の声質がそういった少々落ち着いた声であるところからつけた設定である。顔と同じように声もダウナー気味だったので、結構ハマりキャラだとこの時は自負していた。一方で『美湖沢御子』は快活でピュアで愛嬌のあるロリっ子。こちらはほぼ素である。前世ならウケないだろうが、まだ黎明期であるここなら勝算はあった。

 と、そういった設定を武器に、私たちは二人で一つのチャンネルを作って配信を始めたのだった。


 しかし予想と裏腹に、すぐに艱難辛苦に見舞われる。

 具体的には人気が出ない。4か月間、みこみーと二人でゲーム実況やラジオ等の活動を行っても大して再生数にはならなかった。登録者数も200人を割るくらいで、絶賛低人気Vtuberとしての立場に甘んじていた。

 そう。私は舐めていた。

 どこかVがコンテンツとして非常に面白くて流行している世界から来たのだから、自分はそのノウハウを知り尽くしている状態で強くてニューゲームをしていると勘違いしていた。異世界に現代知識を山程持って転生した気分だった。だが違ったのだ。私は前世じゃただの一人のリスナーに過ぎなかった。コンテンツを生み出す側の努力を知らなければ、ただコンテンツを享受するだけの何でもない人間なのだった。


 それを自覚した私は舵取りを変更することをみこみーに提案する。


「みこみー。これからは少し違う方向性に行こうと思うんだけど」

『え? なになに?』

「ビジネス百合って聞いたことある?」

『なんですそれ?』


 そう。これからはもっと直球にキャラ付けをしていかなくてはならない。だがVtuberというのはその多くは前世から配信者で、自身のキャラ付けというのを熟知している人たちが演じている。それに対して私もみこみーも元はただの一般人、そんなノウハウは分からない。ならば分かりやすい形で、関係性を構築していけばいいのだ。

 

「今までは私たち、設定と絵はあれどほぼ素でやってきたでしょ。それをもう少し演技していこうって話。具体的には私はみこみーのことが好きで、みこみーも私のことが好き。でも互いにその自分の気持ちがバレるのが怖くて、ちょっとしたスキンシップくらいしか出来ない関係性で収まっているような、そんな感じ」


 この世界でも百合自体は同人誌において大きなコンテンツだ。だからこういった可愛い女の子の絵が二つ並んでイチャイチャしてればもうちょい人気が出るかもしれない。そうなればVの世界に目を向けるオタクも多少は増える……かもしれなかった。


『うーわいいね! じゃあ折角だから私とのんちゃんは先輩後輩ってことでどうかな!?』

「先輩と後輩?」


 意外にも呑み込みが良すぎるみこみーに私は二段階で首を傾げる。

 先輩と後輩? まあ悪くはないけども。


『ね、いいでしょ? 私が後輩でのんちゃんが先輩ね!』

「なんで……?」

『だってのんちゃんって声落ち着いてるじゃん。私じゃ幼すぎるよー』


 とか宣う相棒に溜息が零れそうになる。

 お互いにリアルの話題はあまり話さないとはいえ、実年齢的には私が学生証などによれば14歳。みこみーは模試で医学部A判定がどうこうとSNSで言ってたから間違いなく高校生。てか頭つよつよですねみこみー。これからはさん付けで呼んだ方がいいのでは。え? そんなことない?


『それに私、のんちゃんに甘えてみたかったんだー。ってことで宜しくのん先輩!』

「え、ええ……本当に先輩後輩設定付けるなんだ……いいけどさ」


 斯くあって、私たちは『舞桜学院Vtuber部』として再デビューした。チャンネルは作り直してないから名前と心持ちだけ。


 それからは私の計画通り、と言うべきか。このビジネス百合路線は視聴者の心に刺さったみたいで今までの数値が嘘のようにぐんぐんと伸び始める。そうして現在では登録者6万人を目の前にする、Vでは中々の大手となった。……前世的にはまだまだかもしれないが、この世界では依然として16万人半ばのVがトップなので一桁万人でもトップクラスに数えられてしまうのだ。


 チャンネル内容は大きくは変わらない。しかし私とみこみーの甘いスキンシップが話題を呼び、視聴者は現在でも増え続けている。ビジネス百合の効果は偉大だった。


 ここで注釈と言うほどでもないが、付け加えておくことがある。

 私は基本的に配信内だけ演じてれば良い派だ。中身は男とはいえ、Vに対しては性的印象を持ってない。ガチ恋だのユニコーンだの、そういう人種ではなかった。純粋に頑張る可愛い美男美女が好きだったのだ。

 だが、私と違ってみこみーは配信外でも百合営業をしている。配信前の掛け声なんかその代表例である。そこまでやり通す理由は聞いたことないが、推察するならば演じるなら徹頭徹尾やりたいタイプなんだろうと思う。ちょっと面倒臭いけど言い出しっぺの私がそれを咎めるのは良くないと思っているから付き合っている。あと何だかんだ声が良いので悪い気はしない。何せ登録者6万人の天然快活系美少女Vtuberの話をS席から聞けるんだ。そう考えると若干口元がニヤつきそうになって、手で隠すのに必死になる。別に私自身の姿がカメラに映るわけじゃないのにだ。はい。恥ずかしいので閑話休題第二番終了。


 そして、現在に至る。


「百合営業……これだけのブーストがあればそりゃ、みんなやるよね」


 夜11時まで行った配信後、みこみーの会話で思わず私はそうボヤいた。まあ本心である。前世で私があれほど熱狂的にファンだったのを棚に上げて、つい言ってしまった発言だった。苦戦し続けた4か月が嘘みたいに、この3カ月で登録者がグングン伸びている。


『うん。やっぱり女の子同士の恋愛っていいもんね。何と言うか、華やかだし煌びやかだし』


 私の言葉にみこみーも同意する。少し言葉が足りてないから危ういが。頼むから配信ではここまでぽやっとした発言をかましてくれないでくれ。


「そだね。可愛い動く美少女アバターが並んで、可愛い声が絡み合ってるから。死角ないっちゃないか」

『それにのん先輩可愛いし~! めちゃ可愛いですよね~!』

「何が。いや本当に何が」


 未だに百合営業を続けるみこみーに私は対応に困る。リスナーを前にしているならば幾らでも取り繕うことができる。私もこの数カ月で一端の配信者としての風格が身に付いたのだろう。一方でプライベートに関してはただの引き籠りで、社会から途絶された沖合200海里ほどの孤島で毎日を過ごしているのと同じ。前世を鑑みても学生という身分が名実ともに失われた私からすれば、コンビニ店員の「ありがとうございました」にも真っ当な言葉を返せる自信が無い。前はここまで酷くは無かったのに。対面って怖い。


「可愛いって観点を持ち出すんなら、それはみこみーの方が絶対にそう」

『謙遜ですかー? 私、自分よりのん先輩の方が好きですよー?』

「自分を比較対象にされると言葉にし辛いからやめてよ。そのさ、あとこっちはどうでも良いけど、私は自分のことが好きなみこみーの方が好きだからそういうこと言うのはダメ」

『んんん~!! 可愛い~~!!』


 こいつは私のことを猫様か何かと勘違いしているんじゃないだろうか。そう思ってしまう時がしばしばある。例えばそう、今とか。

 最初はみこみーだってここまでじゃなかった。もっと普通に私たちはコンビとして活動していた。しかしビジネス百合として活動し始めるのを境に、みこみーのスキンシップ的百合発言がアクセルベタ踏み状態に。前述したとおり以降は配信内外で営業を続ける絶対に百合分からせるウーマンになってしまった。そのノーブレーキっぷりはまるで自分が壊れたと気づかずに稼働を続ける給仕ロボットみたいだ。いやエモか?


「そういうの良いから。心から」

『塩ですね~。まあいいです。ねえねえ、それよりオフ会しませんか? 私たちってもっと仲深めた方が人気出ると思うんですよ~お願いっ!』

「またその話? 何度も断ったよね」

『いいじゃないですか~。減るものも無いですし、知らない仲じゃないどころかこうして肩を並べる同士ですし』


 ね、ね? と甘い猫撫で声でオフ会に誘うとするみこみーの言葉を「無理なもんは無理」と真っ二つに切り裂く。

 私がこの世界にいたという証拠を現実で作るわけにはいかない。だからみこみーには会えない。別に意地悪してるわけじゃないのだ。今の私の両親にも会いたくないし、地元の小学校の時の知り合いとかにだって偶然でも会いたくはない。私は"私"であって、私じゃない。本来なら今こうしてVとして活動しているのもグレーなのだから。


『はぇ~。もう、いいですもん。いつか会ってもらいますから!』

「はいはい。考えとく考えとく」


 素っ気なく対応する。そうすればみこみーは一拍空けて気の抜けたような笑い声を上げた。


 いつまでこんな活動を出来るか分からない。ある日には突然私は私に戻っていて、天井の見慣れた蛍光灯に目をパチクリさせるのかもしれない。だがそれでもいい。元の鞘に戻るだけだ。


 けど、それまでなら。

 私自身がVとして。私が楽しかった、面白かったと感じたすべてをこの世界を還元してみたい。それが今の空虚な心を埋める全てである。


 そのために、私は明日もみこみーと一緒に配信をする。いつか、私たちが必要がなくなるくらいVtuberというジャンルが盛り上がる日か。それとも私が居なくなって何もかもが元に戻る、その日まで。







─────────────美湖沢御子───────────────







 私があの子、のんと出会ったのはたった9カ月前。一目惚れだった。いや私が惚れたのはその怠そうながらも凛とした声音だったから一聞き惚れ? まあどうでもいいよね。


 絵を描くのは趣味だったし、好きなことだった。私にとってそれが唯一、私の存在をこの世界で確かなものにするために絵という手段は切っても切り離せないという要素もあった。だからあの日、初めてDMで依頼が来た時に、受けるかどうかは分からなかったけどすぐにお礼を言うべく通話で交渉することを選んだ。


 でもお礼は言えなかった。だって私の理想みたいな声がそこにはあった。

 何て言うんだろうか。のんちゃんの声はさながら、欝世を知った天使のような、そんな感じがした。特段声フェチじゃなかったのに、のんちゃんのせいで私はこんなんになってしまった。たった一回でこの縁を切りたくない、その一心だけで衝動的に何の興味もないVtuberに一緒になると宣言してしまうくらいには私はのんちゃんの声の魅力に囚われてしまった。えへへ、まあ良いんだけどね。


 だってのんちゃんは声だけじゃなかった。それをとある日の配信前のハプニングで私は知ることになる。


 上手くソフトが起動していなかったのだろう。のんちゃんのアバターではなく、リアルの方ののんちゃんの顔がWEBカメラに映し出されてしまったのだ。いわゆる配信トラブルってやつだね。

 で、私は当然の如くトラブルに気付いた瞬間のんちゃんの顔へと視線を移した。

 別に期待してたわけじゃないよ。私はのんちゃんがどんな顔だったとしても別に対応を変えようとは思っていなかった。のんちゃんはのんちゃんだ。ここでのキャラクターは私の描いた二次元キャラだから、リアルの顔なんてどうでも良い。


 と、思っていた。

 けど違った。のんちゃんはリアルだととんでもない美少女だった。というか私より全然年下だったのが意外だった。最低でも二つは上だと思っていたのに、映し出されたのはどう見ても中学生か同い年くらいの美少女だ。

 多分これが駄目だったんだと思う。私は本格的にのんちゃんにハマってしまった。これが沼に沈み始める最初だったんだと思う。

 なにせのんちゃんとは飽くまで一緒にVとして活動をする仲間という立ち位置で、女性同士だ。配信でのキャラがある以上過度な発言は出来ないし、したくない。それでのんちゃんに嫌われたら元も子もないしね。ついでに配信外だってほぼ私はいつも通りだったはず。突然態度を変えたら不審がられるし、それは私の望むところじゃない。


 そんなじれったい毎日を神様はきっと見てくれていたのだろう。

 のんちゃんがこんな提案をしてきた。

 『ビジネス百合って知ってる?』と。


 これを逃す私ではないのだ。

 すぐさま方針を変えた。ここで変えなければ二度と態度を変えれないと思って配信外でも勤勉にキャラを貫くようなふりをした。私は実際にはふりじゃなくて本気だからね、ふふん、造作もない。加えてのんちゃんが私のことを好きであるのも、ふりとはいえ心が躍った。

 最高だった。望みが全部叶ったとその刹那は本気で思った。


 でも人間の欲は飽くなきもので、すぐに物足りなくなる。理由は明白。私にとってのんちゃんは既にVtuberのみならず、現実でのあの少し影があって可愛いのんちゃんものんちゃんだからだ。

 そう考えればもう思考の熱は冷めなくなって、私はのんちゃんにオフ会を提案していた。何だかんだと仲良くやれているし、体裁を取り繕う理由もあったから断られないと思ってた。


 でものんちゃんは私の誘いを悩む隙なく断った。取り付く島もないとはあのことだったんだと思う。

 最初はショックだったけど、少ししてのんちゃんにも事情があるんだと思い直した。勘違いじゃなければのんちゃんも私のことが好きだ。それが私のものと種類が一緒かと言えば分からないけど、即効で否定するほど浅い関係性ではないのは確かで。


 だから私は深淵を覗くことにした。もっとわかりやすい言い方をするよ。身元特定。おっけー?

 のんちゃんは配信では随分と気を使っているけど、私と会話するときは随分と特定につながるような情報を喋る。家の近くのスーパーの件数、近くのランドマークとなる建物、小学校までの距離、家まで聞こえてきた花火大会の話題。のんちゃんはああ見えてうっかり屋さんだから、私じゃなくてもこれまで話題に乗った点と点を結び合わせれば容易に住んでる地域を特定できる。


 正直、Vtuberには今でも興味がない。チャンネル登録者数六万人を超して、多少の金銭が貰えるようになったとはいえ結局はたったそれだけの事。私の本命は最初からのんちゃんだ。それ以外のことは今は二の次三の次。Vtuberをやってるのも全部のんちゃんのためでそのほかの理由なんてない。


 だから私がのんちゃんをもっと知りたいと思うのはまあ、普通のことで。




 そして現在。私は特定したのんちゃんの家の前に立っていた。




 ねえ。のんちゃん。いえのん先輩。

 あれだけオフ会を断っておいて、私みたいな先輩に順守な後輩が何もしないとお思いですか? 甘いですね~。甘い。本当に、のん先輩は考えが甘いです。


 だから、のん先輩がどれだけ甘かったのか教えてあげます。


 私は意を決してのん先輩の家のインターホンを鳴らした。


















 あの。

 居留守に負けました……。


 のん先輩は私が思っていた以上に引き籠り体質だったみたいだ。ぐすん。いやぐすんじゃないが。


『でさ。聞いてよみこみー。今日ちょっと嫌なことがあってさ』

「い、嫌なことですか……?」

『うん。多分カルト宗教かなんかだと思うんだけど。昼間にしつこいピンポン野郎が来て私の睡眠時間が削られた』

「へ、へー。カルト……それは嫌ですねぇ……」

『ああいうのってすごい面倒くさいよね。ほっといてもゴキブリみたいにくるし、出たら出たで入信するまで粘着質なストーカーみたいに纏わりつかれるし。死ねばいいのに』

「ゴキにストーカー……ははっ。そ、ソデスネー」

『ん。どうしたのみこみー。何かあったの。私でよければ相談に乗るけどどう』

「な、何でもないですよーえへへ。いつも通り私は意気軒昂、回山倒壊、元気一発です!」

『最後のはリボビタだからちょっと違う……いいけどさ』


 絶対!!!

 絶対に諦めませんから!!


 次の作戦を練りますから覚悟しててねのん先輩!!

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