如月の歌 ~静かに大きな波が打ち寄せて~

二月十五日

床につき立たないままに一ヶ月

腿が細りて踵が赤く


 寝た生活が続き床ずれができないように色々な対策をしても、

 かかとはどうしてもついている時間が長く、赤くなり始め。



「ありがと」と小さな声でつぶやいて

目を開けたまま眠り落つ祖母



二月十六日

「アズノール」祖母の踵に塗り込んで

赤み むくみも 消えてなくなれ


 炎症性皮膚疾患の治療薬「アズノール」。

 踵の褥瘡の赤みが少し良くなったと思ったら、今度は急なむくみが出て 

 きて心配に。マッサージはよいというので出来るだけ続け。



寝たままで入浴サービス極楽と 

三人がかり髪もふさふさ


 バスタブもお湯も持参で入浴サービスに来てくれる。

 本当にありがたいし、すごい技術だなあと。



二月十七日

はぎれにて かつてつくりし吊るし雛

枕元にて祖母に微笑む


 和裁も器用にできた祖母。かつて作った彩り豊かな吊るし雛は見ると

 気持ちも明るくなるよう。ひな祭りまでもう少し。



「食べぬのは体の寿命、無理せず」と

それでも強く 前を見る祖母


 すっかり食が細くなり、食べないのを家族は心配するけれど、体に必要

 な栄養だけを少しずつでも食べる祖母。静かに強い意志は続く。



二月十八日

妹の息子家族の来訪に

別れの予感 手を振る祖母よ



二月十九日

ウグイスの初鳴きの声つたなくも

祖母の寝息と春の輪唱


 今年最初のウグイスの鳴き声を聞いた朝。

 「ケキョ」と控えめに、たどたどしく練習中。

 祖母は昨日から寝っぱなしで、規則正しい寝息がウグイスと連唱。



二月十九日

看護師を見よう見まねで娘孫

介護初心者 祖母も苦笑す


 看護師さんはささっと魔法のようにできるあれこれが、体を少し上に

 上げるだけでも一苦労。手際が悪いと祖母もしんどそうだけど、大変

 な時にうまくいかない失敗は、なんかもう笑うしかないよねと。


二月二十日

月曜日 訪問入浴 うららかに

こもれ陽 祖母の足で揺らめく


 寝たままお風呂は極楽で。終わったあとは深い眠りに。



一時間 ベッドで自動体位変え

祖母の体は なお窓向きに


 床ずれ防止で、ベッドの上に自動で体位変換するシートを介護保険で

 レンタル。なかなかのすぐれものだけど、祖母の体はなぜか窓の外に

 向きたがるようで。



二月二十一日

おしゃべりな祖母が静かになりにけり

うなずくだけの三日間過ぐ


 三日目の朝、一言「お茶」と。



祖母寝込み介護の日々が続いても

慣れてはならぬ これ非日常


 日常化してルーティーンになってしまうのがこわい。残された時間だと 

 したら、あとなにができるか見つからないのもこわい。今はただ、この 

 非日常が終わって、祖母元気だった日常が戻るのを強く信じたい。



二月二十二日

目を開き夢とうつつを往来す

すべての境 模糊となる祖母


 寝ているようで醒めていて、起きているようで夢見る祖母。

 ほとんど食べず、しゃべらなくなってもう四日目。

 それでも意識はしっかりと。



大好きなアイスですらもイヤイヤと

活仏のごと痩せゆく祖母よ


  口の中で溶けるアイスを確かめるように。

  三口目には口を閉じてイヤイヤと。



二月二十三日

医師からの「看取りの手引き」読み込みて

残されし日が短きを知る


 ひとつひとつが祖母のいまに当てはまり。残りの時間の短さは、不安で

 しかないけれど、どうか祖母にとって穏やかな時間でありますように。



二月二十四日

リハビリも食事ですらも負担なり

祖母の力を削らぬように


 アイスですらもうイヤイヤで、スポンジお茶も口をつぐんでしまう。

 先生は、体がもう欲していないので、栄養も負担になることもありますと。



二月二十四日

ベッド脇 大きく笑うチューリップ

祖母もお返し アイコンタクト



二月二十五日

走り続けの脈拍に

休む間もなく駆け抜ける祖母


 血圧は少し高めに保ちつつ、そのために心臓フル稼働で脈拍が上がる。

 まるで走り続けのような脈拍数。

 今朝は寝たままで114。



二月二十五日

正面の祖母の描きし絵を替えて

心旅するランブラス通り


 祖母のベッド正面の絵を、箱根からバルセロナのランブラス通りに掛け

 替え。

 椅子にのぼって絵を掛け替える私を目を見張って見つめる祖母。祖母は

 本当にいろんなところに行ってたくさん絵を描いてたなあ。



二月二十六日

苦しげな祖母の呼吸を聞きながら

手を握り待つ夜明けは遠し



二月二十六日

三滴の水のごくんに苦しみて

涙にじむも 目はぱっちりと


 命の水を少しだけ。飲み込むのも、もう苦しく。



祖母の鍼 母も便乗按摩受け

無理せぬように老老介護


 老老老介護かな。お願いできる助けは借りつつ。


二月二十六日

命綱 点滴の針抜き終えて

あとは静かにただ安らかに

 

 一日一日どんどんと変わる状況に、気持ちはついていかず。



喉の奥 ごろごろ異音 口ひらき

むくむ指先 温もりほのか


 どうすることも出来ず、手足をこすり、スポンジでお茶を少し。


二月二十七日

ろうそくの灯火ゆらり消えそうで

祖母の反応 徐々にかすかに



祖母が吐く空気が甘く変化する

知らせの香り闇に慄く

 

 夜中に苦しげにえずいた祖母。

 もう何日も食べていないので吐き出すものも何もないけれど、

 漂う甘やかな香り、別れのサイン。


二月二十七日

医師が来て祖母の顔見て治療なく

むくみも取れてこのままがよし


 もうすべき治療はすべて終え、安定した状態で、静かに過ごすのがいい

 でしょうと。

 再び点滴をしても、むくみと痰で本人が厳しくなると。

 いい状態ですよ、と先生も看護師さんも。顔色も血色が良く、血圧も安定。



二月二十七日

訪問の入浴介護バスタブに

雛様シール心うららか


 訪問入浴も今日で最後になるかも。無事入れて、ほっと一息。

 バスタブの足元に季節のお雛様シールが貼ってあって気持ちが和む。



和歌山のみかんを搾りスポンジに

柑橘の香をそっと舌乗せ


 おばあちゃんにどうぞと和歌山の大きなデコポンもらったよ。

 せめて搾った汁のかすかな香りと味を。



二月二十八日

明け方に祖母の指先冷えゆきて

苦しむ姿 何もできずに



乗り越えて清青の空 見上ぐ祖母

足の指先 色変わりゆく


永訣の朝の青さが清らかで

最後のアイス 舌で溶けゆく



手を握り最期の息を吐き出して

旅立ちの祖母 涙ひとすじ



箪笥より死装束に着物出す

手縫いの襦袢 縫い目細やか



枕経 祖母の戒名朗朗と

住職念じ引導渡す



死化粧 つけすぎの紅 拭きとるは

祖母のいつもの習慣ゆえに



献体へ祖母乗せ車走り出す

ウグイス一声 澄んで哀しき




 桜の花が咲くのを待たずに、祖母が自宅で息を引き取りました。

 生前からの希望で、亡くなったその日に枕経を上げたあとは、大学病院の献体へ。

 見送るようなウグイスのひと鳴き。

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