第7話

「なんかへんなもんが見える」

 マディはそう言った。言うしかないからだった。実際へんなもんが見えているのだから仕方ない。

 さっきまでまるで見えなかったはずのものだった。

 それは炎だった。たき火のような炎。しかし、色はほぼ無色だった。ともすれば陽炎のようにも思えた。それがアリカからメラメラと立ち上っているのだ。後を見ればアリカがペットと豪語する怪物のような犬からも燃え上がるように立ち上っていた。

「それは魔力だ。全ての生物には魔力が備わっているから生物である限りそれが見える。そして、それが見えるお前は魔力に直接干渉出来る。試しに私の魔力に触れてみろ」

 言われるままにマディはアリカの体の表面から立ち上る炎に恐る恐る触れてみる。少し暖かかった。そして、何故か感触が確かにあった。柔らかい感触。しかし、感じたことのない不思議な感触だった。マディはそのまま炎をつかみ引っ張ってみた。

「おお」

 マディの手にアリカの炎が移り大きく燃え上がっていた。

「上手く出来たな。お前は今私から魔力を奪ったんだ。私はそれくらい奪われてもなんともないが並の魔物なら動けなくなるほど衰弱する。お前は触れるだけで相手を無力化出来る力を得たってことだ」

「な、なんなんだこの目。俺はどうなったんだ」

「余ってる魔眼を貸しただけだ。それでお前は魔力を見れるようになったってだけだな」

「なんか良く分からんが」

 魔眼だのそれを貸すだの言われてもマディにはさっぱりだった。昨日まで農夫として農場主に蹴り飛ばされる生活をしていたのだ。あまりにも世界が違いすぎる。

「便利な能力を手に入れたとだけ思っておけ。ついでに体も変えるか」

 そう言うとアリカはマディの腕を掴んだ。

「なん.....なにすんだお前ぇ!!」

 なにか鈍い音がしてマディの肩がプランと変な方向に曲がっていた。どう見ても尋常ではない。そして不思議なことに痛みがまったくないのも怖かった。

「少しいじる。痛みは消してるから我慢しろ」

「消してるってじゃあやっぱりなにかおかしな.....やめろおぉ!!!」

 動揺するマディを無視してアリカは体中に触れていき、どんどん鈍い音を立て、そしてマディの体はぐにゃんぐにゃんにされていった。

「どうなるんだ俺の体は!!!」

 絶叫するマディをよそにアリカはマディの体にペタペタ触り続ける。

 マディはなにかがおかしな自分の体に恐怖し絶叫し続けた。

 そして、そんな風な恐ろしい状況が数分続いて、

「よし、これで良いだろ」

 気付けばマディの体は元通りになっていた。

 マディは恐る恐る腕を振ったり足をパタつかせたりしてみる。これといってどうともない。少なくとも見た目にはなにも起きていなかった。マディはホッとする。

「なにをしたんだ」

「試しに思いっきり地面を踏みつけてみろ」

「は? こうか?」

 言われてマディは思い切り地面を踏みしめる。いつもの感覚なら堅い音がして足跡が少しつくはずだった。しかし、

―バガン!!!

 とんでもない音がした。そして、音に見合ったことが起きていた。マディが踏みしめた地面。それは大きく陥没し、砕け、周囲の地面が大きく盛り上がったのだ。

「俺になにをしたんだお前は!!」

 すかさずマディは叫んだ。

「戦いやすいようにいじっただけだ。その力と魔眼があれば並の魔物じゃ相手にならないだろ。私の下僕ならそれくらいの強さはないとな」

「もう人間じゃないぞ!!」

「心配するな。この仕事が終わったら元に戻してやる。力加減を間違えて屋敷をめちゃくちゃにされたらたまらないからな」

「そういう問題か!!」

 ものの数分でマディの体はどう考えても人間のそれではなくなってしまったらしかった。地面を蹴り砕くなんて言うのは普通の人間には出来るはずがないのだ。魔術かなにかを使えば出来るのかもしれないがマディはそんなものは使っていない。純粋な肉体の能力のみで地面を蹴り砕いたのだ。昨日まで極貧の生活を強いられ痩せ細っているマディに出来るはずがない芸当だ。

「なんなんだよ.....どうなるんだ俺は」

「ようやく魔族の下僕になるってことのヤバさが分かってきたみたいだな」

 ふふん、となぜかアリカは得意げに笑っていた。マディにとっては冗談ではなかった。もうマディには自分が人並みの生活とやらから遠く離れた場所に来たのを感じていた。今までの生活もクソだったがこっちもクソだった。あっちもこっちもそれぞれ別の意味で人間の生活ではないのだ。

 アリカの屋敷のベッドで心地よさに身を任せていたのが遠い昔のようだった。

「なにはともあれ準備万端だな。こいつもお待ちかねだ。早くなにか食わせないと冗談抜きでお前を食いかねない」

 見れば怪物は無表情のまま口からよだれを垂らしていた。恐ろしいことこの上なかった。

 とにかく、マディの肉体も無事アリカの横暴に耐えられる人間で無いものになったのだ。これで異界探索が始まるらしかった。マディはもう帰りたくてたまらなかったが逃げられるはずもなかった。

「それにしてもお前私に触ろうとしたときも触られたときもやけにどぎまぎしてたな。もしかして女と付き合った経験がないのか?」

「よ、余計なお世話だ!!」

 今までの生活を考えれば異性と交際するなんていうのは夢のまた夢だったのだ。そもそもマディは死ぬほど奥手なのでまったくそういったことに縁はなかった。

「なんだ、図星か。かわいいやつめ」

 そう言ってアリカは指でマディをつついてきた。

「や、やめろ」

「なんだ、この程度でも顔を赤くするのか。大丈夫か?」

「嫌なやつだ!」

 アリカはケラケラ笑っていた。まったく、とにかく色んな意味でマディを振りまわす魔族だった。

 そして二人はこの世のものでない景色の荒野を歩き始めた。

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