第39話 射石飲羽で掴んだ勝利の先に~喜律さんサキュバス説の真相~
床にお尻をつけて壁にもたれかかり、隣の勇敢な彼女に心配の目を向ける。
「大丈夫か? 痛くない?」
「はい。まったくです」
強がっているけど、ハンカチで傷口を抑えるたびに顔をしかめているじゃないか。まあすぐに血が止まったあたり、幸い傷は浅かったみたいだけど。
「それよりも無事でよかったです。もし成仁さんの身に何かが起こったらと思うと、いてもたってもいられず窓を突き破ってしまいました」
「ありがとう。おかげで助かったよ」
映画の主人公みたいにガラスを割って突入する喜律さんは最高にかっこよかった。他人にやさしくルールに厳しくときに勇敢に立ち向かう。そんな彼女に憧れたんだ。
改めて喜律さんはすごい人だ。そう思った。
「くそっ! あとちょっと! あとちょっとだったのに!」
部屋の真ん中では両手を縄で縛られたギャル。もといサキュバス。
拘束は両手だけでいいの? と思うかもしれないが、聖なる十字架の光を浴びたリリカは一時的に普通の女子高生並みの力しか出せないらしい。だから巨乳撲滅党代表の土志田さんが鬼のような顔でたわわな胸にひたすらビンタを食らわしているというのに、反撃することなく「あぅあぅ」と喘ぐことしかできないでいた。
すべてが終わった。
サキュバスが取り押さえられ、喜律さんも俺も死なずにすんだ。
肩に荷重がかかる。喜律さんが寄りかかって頭を乗せてきた。俺も頭を傾けて応える。
「やっと堂々と一緒にいられるな」
「嬉しいです。私たちの未来は粘土ヨーヨーですね」
「ああ。前途洋洋だ」
辛い思いをさせてしまったり別れを切り出されたり、一時はどうなるかと思ったけど、もう俺たちを妨げる壁は消え去った。
喜律さんを愛する俺と、俺を愛してくれる喜律さん。
ふつうの人間のカップルがいる。
ただそれだけだ。
「すーーーーーごく雰囲気がいいところ申し訳ないのだが、ちょっといいかな?」
このままアトリウムに行って挙式を上げようかと考えていたところ、割り込んできたエクソシスト。
俺たちは顔を寄せ合ったまま黒髪のアンニュイ系女子を見上げる。
「いやいや、何の御用ですかっていう顔をしないでくれよ。まだ終わってない」
「へ? そうか?」
「朝久場さんも捕まって、私の疑惑も晴れて、もう何も問題ありませんよ」
「だから、それ。なんで矢走君はサキュバスなんて言い出したのさ」
『あ』
顔を見合わせる。
最大の疑問。
今回の事件の主因ともいえる発言。
『私、実はサキュバスなんです』
すべての元凶といえる言動。
これのせいで喜律さんの正体を土志田さんに隠すことになった。隠密デートをすることになった。リリカを仲間に引き入れることになった。本来なら土志田さんが最初から疑っていたリリカを最後までマークしておくだけで済んだ話だったのに。
「確かめるけど、本当に自分をサキュバスだと思い込んでいたんだね?」
「はい。間違いなく母親にそう言われました」
一度聞いた話だ。
喜律さんが小学生のときにバスケットの大会に出た。キャプテンだったけどケガをしていたためベンチスタート。喜律さんを欠いたチームは勢いがなく劣勢に立たされてしまう。しびれを切らした喜律さんは志願してコートに立ち、諦めない精神でチームを鼓舞して見事大逆転に導いた。
その日の帰り道。お母さんに言われたのだ。あなたはサキュバスだと。
最初に聞いた時、あまりにも唐突な展開には俺も疑問を感じたけど、実直な喜律さんの生みの親が嘘をつくはずがないという想い込みによって納得してしまっていた。
けれども、今にして思うと、今日まで続いた勘違いのスタート地点はそこだったんじゃないか? 喜律さんは何か大きな勘違いをしてしまったんじゃないか?
「おい朝久場君。サキュバスというのは人間として育てられ、ある程度成長した段階で親から真実を告げられるものなのかね?」
三人で一斉にリリカを見る。
すっかりしおらしくなったリリカは口をへの字に曲げてから、
「……それはない。だって生まれた時点で自分がサキュバスだと自覚するから」
「へえ。ちなみにこれも再確認だが、朝久場君から見て矢走君は本当に同族じゃないんだね」
「うん。絶対違う。匂いも違うし体型もロリだし」
「余計なお世話ですねえ……」
そう言って自嘲する喜律さん。以前よりも負の感情を出してくれるようになったのが実は嬉しかったり。
「つまりだよ。君がお母さんの言葉の意味を勘違いして受け取ったんだ。それ以外考えられない」
再び喜律さんに向き合うエクソシスト。
「でも、確かにお母さんは言いましたよ。私がサキュバスだと」
「どういう文言で?」
眼を近づけて問い詰める。リリカも興味があるのか喜律さんを見つめる。俺も端整な横顔を見つめる。部屋中の関心が喜律さんの口に向けられている。
「わかりました。お母さんの言葉を一字一句違うことなく伝えます」
真を置くようにふぅと息をついた。
一瞬静まり返る教室。
その一瞬で俺はどうでもいいことを考えていた。
もう下校時刻間際だよな。部活をしている人もそろそろ撤収作業に入ってるに違いない。カーテンを開けたら空は真っ暗かも。そんな時間まで俺たちは闘っていたんだな。今日だけじゃない。この数週間、頑張ってきた。いろんな思い出ができた。土志田さんと出会い、スリリングなデートをして、サキュバスだったとはいえリリカとの思い出もある。サキュバスの存在が俺たちの縁を繋いだのかもしれない。そう思うと、悪魔もあながち悪いだけの存在じゃないのかもしれないな。
そんなことを考えた。
そして喜律さんが口を開いた。
「喜律は射精飲羽の精神を宿しているね、と」
……え?
「…………なんて?」
復唱願う。
「だから、射精飲羽の精神を宿しているねって言われました」
…………。
辞書出版社のみなさま。絶句という言葉を画像付きで解説したいなら今すぐ俺の顔を撮ってくれ。きっと文字がなくとも伝わると思う。
俺だけじゃない。
クールな土志田さんも、サキュバスのリリカも、ふたりとも絶句。
「あれ? 伝わりませんか?」
なぜケロッとしているのだマイハニー。
「射精飲羽ですよ? 男性の方の……その……しゃ、射精をですね、飲む羽。つまり、精液を飲む羽をはやした生き物ってことです。そうしたらもうサキュバス以外ないじゃないですか。ほら、イメージ画像でも悪魔の羽をはやしていますし」
あろうこと解説までしてしまう始末。
誰も口を開かない。いや、開いた口が塞がらない。たった今耳にした事実を程よい硬さに咀嚼する術を持ち合わせていなかった。
沈黙が続き、喜律さんは焦り出す。
「あれ? 何かおかしなこと言ってます? あ、確かに射精の意味を調べるために検索したり、サキュバスを調べるうちにエッチな画像に行きついて思わず凝視してしまったとかそんなエピソードもありますが……でもでも! 私は決してエッチじゃないですよ! そこは勘違いしないでください!」
俺と土志田さんはついに吹き出してしまった。
何がおかしいんですか! とアワアワする喜律さんは無垢な小動物みたいで可愛らしかった。
そんな彼女の頭にポンと手を置いて、俺は言った。
「大丈夫。喜律さんは今も昔も変わらないってことが分かったよ」
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