第38話 最後の戦い
リリカの拘束から脱出した俺は素早く距離を取った。
「はぁはぁ。やったぞ」
しかし安堵するのも束の間。
運が悪かった。拘束から逃げ出した先は教室の出口と反対側。つまり部屋を出るにはリリカの横を通り抜けないといけない。
「……へえ。やるじゃん」
けろりと立ち上がるリリカ。俺の手が痛くなるくらい全力の掌底を打ち込んだはずなんだけど。
「でも残念。どの道アタシの手からは逃れられない。諦めたほうがいいんじゃない?」
不敵な笑みを浮かべ、威嚇するように羽を広げる。その拍子に揺れ動いた部屋の空気が微風となって俺の髪を揺らす。
ゆっくりと距離を詰められ、じりじりと後ろに下がる。背中が壁についた。
もう策はない。
目を閉じて祈る。
――頼む! 時間は稼いだ。あとは助けが来るのを待つだけ。
願いは、叶った。
「無事ですか成仁さん!」
けたたましく打ち鳴らされるドア。リリカが驚いた顔で振り返る。
「朝久場! やはり貴様がサキュバスだったのか!」
緊迫した土志田さんの声。
「なんで! どうして? エクソシストの家に向かったはずじゃ」
「これだよ」
初めて優位に立った俺はしたり顔でポケットに入れていたものを見せる。
「トランシーバー。押し倒されたときにこっそり通信を入れておいたんだ。会話はすべて土志田さんに筒抜けだよ」
緊急用のトランシーバー。念のために携帯しておいてよかった。
「くッ! 餌の分際で生意気な!」
リリカは血が出そうなほど歯を食いしばっていた。可愛らしい顔は失せ、悪魔みたいだった。
しかし、それはすぐに余裕のあるにやけ面に変わった。
「でも、鍵がないんじゃあ入って来られないよね」
そう。依然としてリリカに分がある。
リリカは事前に喜律さんからカギを盗んでいた。出入り口も廊下に面している窓もすべて施錠済み。
これでは土志田さんも手が出せない。
「さあ矢走君! 早く鍵を開けるんだ!」
「はい! ……あれ? 鍵がありません!」
「なんだってー!」
「アハハ! あんたたちはおとなしくそこで聞き耳を立てていればいいのよ!」
甲高い声で煽ってから、俺に向き直る。
「さーてナリピー。これ以上悪あがきはさせないよぉ。アタシがおいしくたっぷりと食べてあ・げ・る」
「……くそ」
視線を落とす。
さすがにこれまでか。
諦めない精神を持っているとはいえ、できる限りのことはしたんだ。これでダメなら納得するしかない。
目の前まで接近してきたリリカ。俺の両肩に手を置き、首元を舐める。
「ああ! なんて甘美な味! 匂いも最高! もうたまらない!」
サキュバスの生ぬるい舌の感触、髪からほとばしる甘い匂い、これから犯されるという妄想。サキュバスの妖力に当てられ、徐々に頭が真っ白になっていく。快楽を受け入れる準備が整った。
残された意識の中で最愛の人物に別れを告げる。
さようなら喜律さん。もっと一緒にいたかったよ。せっかくこれからというときに分かれるのは辛いけど、最後に君の声を聞けて良かった。俺を絶望の淵から救ってくれた君には感謝しかない。ありがとう、さようなら。
唇に柔らかい感触がした。
意識が快楽に支配されていく。もう何も考えられない――
「とりゃあああ!」
ガラスが割れるような鋭い音に意識が再覚醒した。
とっさに密着していたサキュバスを突き飛ばす。彼女も音に驚いていたのか、力なくよろけた。
広がった視界。
廊下に面した窓が割れ、床にはガラスの破片が散らかっていた。
その中心にうずくまっていたのは小さな体と大きな勇気を兼ね備えた完全無欠の少女。
困っている人がいたら必ず駆けつける。みんなのヒーロー喜律さんだ。
「精神一到何事か成らざらん!」
強い語気で立ち上がる。その両腕からは血が流れていた。
「喜律さん! 大丈夫か!」
「ヘッチャラです! それよりも無事ですか!」
「俺は大丈夫だけど」
そう言って唇をぬぐってから、この仕草は不味いと思った。
「! キスを強要されたんですね!」
火をつけてしまった。
温厚な喜律さんが初めて見せた敵意。猛犬。凄まじい剣幕で睨みつける。それを一身に受けたリリカは見下すように鼻で笑った。
「何か問題でも?」
「あなたを許しません!」
喜律さんはグッと腰を落とし足に力を溜めてから、力強く地面を蹴る。初速十分のタックル。この速さなら並の人間はなすすべもなくやられてしまうだろう。
しかし相手はサキュバス。
「遅い!」
「うッ!」
脇腹に蹴りを受け、小さな体は吹き飛ばされた。壁に体を打ち付け、力なく横たわる。
ブチン。
俺の中で何かが切れた、
「リリカぁ!」
背中を向けていたリリカの腰にタックルをかます。
「っ!」
喜律さんに気を取られていたリリカは不意打ちに対処できなかったらしい。踏ん張りがきいていない。そのまま部屋の反対側まで押し切る。
「ちょ……! 離してよ!」
まるで痴漢ビデオみたいに体の前面を扉に押し付けられたリリカが、後ろ手で俺の頭を掴んで離そうとしてきた。
「うぉぉぉ!」
だが、心の底から湧き上がるパワーは無限。喜律さんに手を出したこいつを俺は許さない!
「何で!? どこにこんな力が!?」
声色が焦っている。同時に頭に加わる握力が強くなる。頭がガンガンしてきた。このままゴリラに握られたリンゴみたいに頭蓋骨ごと潰されてしまうかもしれない。それでもかまわない。これ以上喜律さんを傷つけないために俺は闘い抜く!
「よくやった番条君」
安心感のある低い声がした。
「怪力のサキュバスを取り押さえてくれればあとは無力化させるだけさ。重責を果たしてくれたこと、感謝するよ」
割れた窓から入ってきた土志田さんが、白い十字架をかざす。
「さあ忌まわしき淫魔! その力をおさめたまえ!」
白い光があたりを包み込んだ。
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