第30話 ひび割れた関係
「さーて。今日も今日とてサキュバス討伐会議と行こうじゃないか」
すっかりお馴染みとなったメンバーで集まる月曜の昼休み。窓際の隅っこは俺たちの定位置となっていた。
議題は昨日のデートの件。
発起人である土志田さんが今日も雄弁と語り出す。
「これまでのデータだと明らかに朝久場がサキュバスだった。しかし土曜はどうだ? サキュバスらしい動きはしていたものの、番条君の反応がイマイチではないか。そもそもサキュバスというのは歴史的に見ても男を誘惑する能力に長けている。その男がすでに他の女にゾッコンでもない限り、煩悩の隙間に容易に忍び込んでしまうのだ。これは中世の西洋の画家の残した書記から推察されるわけだが、そもそもサキュバス伝説の成り立ちのおさらいをするとだね……」
はい、脱線。この会議はいつも暴走機関車土志田さんのサキュバス雑学お披露目会に成り下がってしまう。
だから隣に座る喜律さんとゆっくりおしゃべりできる時間として重宝していたんだ。
でも、今日は違う。
「……」
窓からの日差しを浴びている栗色のひまわりは萎んでいた。背を丸めて外界からの干渉を拒むように無言で箸を進める。
喜律さんの様子は昨日から変わらない。
悲しい顔でうつむき加減。朝から口を利いてもらえない。唯一交わした会話といえば朝一番に顔を合わせたとき「……香水の甘い匂いがしますね」「たまたま家にあったからつけてみたんだ」「……そうですか」それ以降、喜律さんの背中がより大きな丸みを帯びるようになったので、ますます声をかけづらくなった。
周りの人たちもあまりの変化に声をかけられずにいた。「あの喜律さんが落ち込むなんて常闇よりも暗い事件があったに違いない。一般人が触れたら闇に取り込まれてしまうよ」ミイラ取りがミイラになることを恐れていた。
唯一その原因を知る俺も、沼に沈むひまわりをすくい上げる手段を見つけられていない。
悲しみの根源が俺とリリカのデートに対する嫉妬だったとして、じゃあどんな手を打てばいいんだ?
リリカと偽カップルを解消すればいい? それはダメだ。もしそんなことをしたら、せかっくサキュバス候補から外れている喜律さんが怪しまれてしまうかもしれない。ただでさえ土志田さんは第二候補の可能性を検討しているわけだし、下手な動きは取れない。
昨日の愚行を謝る? それをしたいところなんだけど、朝から土志田さんのマークが厳しい。彼女の前で喜律さんとのお付き合いを示唆するような発言は控えなければならない。
そんなわけで昨夜メールで謝ってみたんだけど「朝久場さんと一緒にいる方が楽しそうでしたよ」と素っ気ない返信。それからは取り合ってくれなかった。やはり気持ちを込めて直接伝えないと話にならない。
命を守るために悲しい思いをさせても意味がない。
悲しみを取り払うために命を危険にさらしても意味がない。
謝罪をしようにも隙が無い。
閉塞的状況が俺を悩ませる。
「であるからして……って、君たち。聞いているのかい? 相槌も打たずに食事に没頭して。そんなにお腹が空いていたのかな? この食いしん坊さんめ」
「……」「……」
「あれ? ふたりとも仲悪い? 喧嘩中? どうした?」
生育過程で胸と一緒にデリカシーを捨ててしまった土志田さんの質問連打は煽りにしか聞こえなかった。
「でも喧嘩しているにしてはお揃いのクマさん人形をカバンにつけているじゃないか。とても仲良さそう。あまつさえカップルにも見えるくらいだ」
「! 喜律さんとは付き合ってないからな!」
「びっくりした! いきなり大声出すなよ。冗談だよ冗談」
「わ、悪い……」
昨夜の公園での詰問のせいで警戒心が……。
「そんなに矢走君の恋人だと勘違いされたくないのか。まあ朝久場君がいるから不倫を疑われるのが嫌なのかね」
「そうじゃない! いや、そうだけど」
本音と建前の板挟み。
「…………」
ああ。ひまわりがますます深くお辞儀する。
「それよりも話を聞いてくれ。ここからがサキュバス史の面白いところなんだ。近世の科学技術の発展に伴い伝承の信ぴょう性が失われていくわけだが……」
また始まった一人旅。
俺は弁当に視線を落として喜律さんとの仲直りの方策を思案しようとした。
と、そのとき、
「ういーっす」
悩みなどこれっぽっちもなさそうな軽い声が聞こえてきた。
顔を上げると、
「来たよー」
土志田さんの背後で派手なピンク弁当を揺らすツインテールギャル。
朝久場リリカの襲来だ。
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